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フェミニズムがオンライン・コミックではなく女性漫画と呼ぶ理由

[ワーカーズ三行要約]ギャング、パク・ヒジョン、「コミックス フェミニズム-オンライン・コミック時代の女性漫画研究」、独立研究者ネットワーク『窮理』プロジェクト発表論文、2018

キム・ソンユン(文化社会研究所) 2018.12.17 09:06

2015年のいわゆるフェミニズムリブートからフェミニズム観点のオンライン・コミックが増え、読者の呼応を得ている。 一角で言われるように「フェミニズム オンライン・コミック」の時代がきたのだ。 ところで今日紹介する「コミックス フェミニズム」の著者、ギャングとパク・ヒジョンは「フェミニズム オンライン・コミック」という表現の代わりに、 多少曖昧な「オンライン・コミック時代の女性漫画」という用語を使うのが正しいと主張する。 女性が生産して女性が受け入れる漫画という、多分に包括的な用語を選択するということだ。

どんな用語を選択するかは常に重要な問題だ。 それは一種の線引きであり、したがって線の内と外を分ける。 線を大きく描いても問題にる。 多くのことを包括すればするほど、さらに多くのことを話す負担を担わなければならないからだ。 限られた紙面の論文なら、特に負担になる仕事だ。 それでも彼らはあえて女性漫画という用語を選択した。

▲キメンギ作、漫画〈私のIDは江南美人〉より

著者らはフェミニズム オンライン・コミックと別途のジャンルであるかのように呼べば 「女性漫画をめぐって存在する他の差別」について話すことがぎてない効果が生まれるという。 この言葉を私が正しく理解しているのかわからないが、 フェミニズム オンライン・コミックに分類するのが難しい女性漫画の 性政治的な意味と挑戦的なニュアンスを見逃すという話のように聞こえる。 そのような脈絡で、著者らは自分たちの作業をフェミニズム オンライン・コミックで語られる漫画を 「女性漫画の流れ中に戻す作業」だと宣言している。

では著者らはどんな方法で女性漫画の歴史を、 また、そして新しく書いているか。 だいたいこのように見られる。

  1. 過去の少女漫画を中心とするジャンル的な慣習は、 読者の好みと女性たちの人生をロマンス中心に引いていく効果があった。 作品中の女性はその範囲内でのみ意味あるキャラクターになることができた。
  2. 後期-資本主義的特徴が本格化して、漫画というジャンル内では オンライン・コミック時代を迎えることにより、 女性漫画でも少女漫画的な慣習を破る動きが現れた。 もちろんそのような転換が順調だったわけではなく、 ジェンダー権力を認識したり再現するまでの一連の過渡期的な動揺が伴った。
  3. フェミニズム リブート以後は、ジェンダー権力と家父長制的な暴力構造の問題が 作品の前面に登場する。 こうした変化は「創作-受容-批評の女性文化(共同体)」の 長い挑戦があったから可能だった。 これがまさに「女性漫画」を歴史化することによって得られる教訓だ。

過去に戻って1990年代。 著者のギャングとパク・ヒジョンは少女漫画の慣習に対する明示的な挑戦があったことを付け加える。 もちろんそれよりはるかに遡れば、少女漫画自体は以前の時期とは違って女性の文化的消費と欲望を実現させる解放的な意味を持ったものだったりもした。 ただしその中の「少女性」とロマンスは、解放の未完成を見せる要素だった。 したがって1997年の女性漫画を標榜した雑誌≪ナイン≫の登場、 そしてこの流れを受け継いだと評価される2004年の女性漫画プロジェクト 「今に見てろ」の批評的な試みに注目する必要がある。 著者らによれば、彼らはこれまでの純情的な要素から断絶する挑戦だった。 正確に言えば、(少女漫画はそれなりの歴史的な意味があるので それ自体は尊重するものの)少女漫画で等値させられない女性漫画に対する生産と批評を拡大しようという文化的実践だった。

著者らは2015年以後のいわゆるフェミニズム オンライン・コミックの登場が こうした歴史的な実践と無関係ではないという事実を暗示し、時には明示する。 これは以前から存在していたが、大多数がなにげなく見過ごしてきたことに対する新しい「発見」であろうか、 でなければ存在しようがしまいが、以前からあったことだと話すべき当為的な「主張」であろうか。 著者らは1990年代の女性漫画、オンライン・コミック時代初期の女性漫画、 フェミニズム リブート頃の女性漫画を広げて 女性漫画の挑戦的な歴史を叙事化する。 そのような点で、彼らの説明の論理は発見の歴史記述に近いと見られる。

歴史性を発見するということは、どんな効果を呼び起こすのだろうか。 著者らが発見した女性漫画の歴史に従ってみよう。 彼らは最近の女性漫画が少女漫画という枠組みを破って登場した論点として、 次の3種類に注目する。 ロマンスに落ちた女性ではなく「働く女性」が登場した点、 容貌を性的価値とする「社会的環境」を扱い始めた点、 そしてロマンスの補助的な装置に過ぎなかった「性暴力」の状況を問題の状況と再現した点だ。

これらの変化は1990年代以後、韓国女性の生活の境遇が変わり始めたことを反映する表示でもあるが、 同時に作家、そして彼らにある種の圧力を加える読者と批評家が 何か集合的に希望し始めたという事実を示す要素でもある。 機会があるたびに何度も言うことだが、 すべての芸術的な再現は現実を再現するのではなく、 現実に対する希望を(しばしば転倒した形態で)再現するだけだ。

そのような希望が家父長主義的な制約、またはジェンダー権力によって、 時々屈折を味わうのは他の見方をすれば当然だ。 例えば働く女性が家族内の相変わらず性差別により全て独立した主体になれないまま挫折するとか、 化粧と素顔を強要するダブルスタンダードにしばらく煩悶するとか、 性暴力の状況を例外的な状況と誤認して、ジェンダー権力の問題を見過ごすといった場合だ。

そのような点で、著者らが扱う2015年以後の作品 (女性労働における〈アバウト ブランク〉、〈一人を育てる方法〉、〈会社を辞める最高の瞬間〉、 容貌差別社会での〈化粧を落とす男〉、〈私のIDは江南美人〉、 性暴力論理での〈ああ、財布忘れた〉、〈それでもいいのか〉)は 理想のようなイデオロギー的な制約をひっかきまわすという点で、 女性漫画の理想的な展望に最も近い作品に該当する。 だいたいこのような形だ。 彼ら各々は果てしなく自己啓発しろという支配的な労働倫理を振り切って 日常的な時空間の自己倫理に忠実であろうとする生活の展望を提示し、 いわゆる「女敵女(女の敵は女)」をはるかに超えて、 互いに手を差し出す女性の連帯を見せ、 家父長制な規律が「相互に連結した力のシステム」であり、 現実には司法の正義が不在だという事実を看破する。

著者のギャングとパク・ヒジョンも認めるように、 このようにジェンダー権力に対する認識と再現が可能になったのは、 何よりも(創作-受け入れ-批評の)女性漫画生態系の形成が最も重要だったと解説される。 この十数年間の女性漫画作家の明示的な挑戦がなければ、 そして批評家のプロジェクトがなければ、 そして何かの解釈的言語を持つ読者大衆の出現がなければ、 今日の女性漫画の優勢種としてのフェミニズム オンライン・コミックという現象が出現できたのだろうか。

そのような脈絡で、この論文は女性漫画だけでなく(女性文化共同体の効果として) 今日のフェミニズム政治が歴史的に形成されたことを密かに強調する作業として理解することもできる。 著者らのおかげで、われわれは現在を説明するもうひとつの言語を持つようになった。(ワーカーズ49号)

原文(ワーカーズ/チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2018-11-26 21:19:04 / Last modified on 2018-12-18 11:25:13 Copyright: Default

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