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家事労働、GDP、そして価値法則

[ワーカーズ] 99%の経済

ホン・ソンマン(チャムセサン研究所) 2018.11.12 11:55

家事労働の価値? 誰が払うのか

家事労働の価値が360兆ウォンだという。 統計庁は「家計生産衛生勘定」を開発し、無給家事労働の価値が(2014年基準) 年間360兆7千億ウォンだと発表した。 家事労働は一種の自家労動で、市場で取り引きされずに直接消費されるので 市場価値、価格を持たない。 そのため家事労働の形態を分割し、市場に存在する類似の労働の平均価格に換算した。 家事労働の価値評価に対し、一方では女性を無給家事労働に帰着させるという批判と、 家事労働の価値が実際より過小評価されているという批判が共存する。 そして家事労働の価値をGDPに含めようという要求はかなり前から存在していた。

家事労働の価値がいくらだと表現されても資本主義の現実では家事労働の価値はない。 地球を回るだけの月が地球ではないように、 家事労働は価値を測定する「国民所得勘定」ではなく、 「衛星勘定」の価値評価額として残っているだけだ。 統計庁の発表も家事労働は価値ではないということだ。 統計庁は家事労働の価値評価を発表するにあたり、 その効果として今まで日雇いで計算された専業主婦の保険賠償金策定基準や、 国民年金などの社会保障保険金を支払われる時、 適切な待遇を受ける根拠などに使えるという点をあげた。 新しく発表された家事労働の価値評価がなくてもあまり変わらないもので、 実際に使い道がないという点をむしろ告白している。 したがって、家事労働の価値を市場価値に換算(!)する問題よりも 価値と認めさせることが核心だ。 いくらに当たるという耳に良い声ではなく、それでもいくらということが重要だ。

価値として認められるということは、貨幣で交換(支払い)されるということだ。 社会的に役立ち、その上、生産的とさえ感じる生産物も、 市場で貨幣に交換されなければ価値がない。 線路に落ちた人を命を賭けて助ければ、義人になるかもしれないが(この事自体では) 経済的価値はない。 家の清掃をして洗濯をしてご飯を炊き子供を育てることを私がすれば価値がない家事労働だが、 家事手伝いが代価を受けて働けばそれは価値ある労働だ。 このように、資本主義生産関係では全く同じで仕事でも市場で交換されなければ価値がない。 この時、交換は貨幣を媒介した交換をいう。 したがって家事労働が本当の価値を持つためには、 家事労働に貨幣で支払われなければならない。 しかしこのことはどうすれば可能なのだろうか?

(1) 賃金(所得)が家事労働の支出の規模ほどに増える

(2) 政府が家事労働の価値を支払う

(3) 韓国銀行が金を印刷して支払う

(4) 家事労働の程度が似た家庭どうしが交代で労働して互いに支払うというケースだ。

先に、賃金をさらに上げる場合を見よう(議論の便宜のために自営業などの事業所得は除く)。 そのために360兆ウォンを労働者賃金(被雇用者報酬)として企業がさらに多く支給しなければならない。 GDPで被雇用者報酬の総額は767兆6千億ウォン(2017年末基準)だ。 360兆ウォンを追加で受け取るには、労働者賃金全体の50%をさらに上げなければならない。 行く手は遠そうだ。

次に政府が支払う方式だ。 まず税金を見よう。 2017年度の国税徴収総額は265兆ウォンだ。 政府が追加で家事労働費用360兆ウォンを支払うには、 すべての税金を平均135%上げなければならない。 35%上げただけで国がひっくり返りそうなのに、135%の引き上げは戦争でも起きない限り不可能だろう。 もし成功しても現在の租税構造では間接税の割合が高く、 平均的な税金の引き上げは政府が労働者と庶民の財布からさらに多く奪って戻す方式なので朝三暮四に近い。 それでも累進制を強化するのも現実的ではない。 現在、所得税最高税率は40%だが、これを135%上げるといえば、 所得の全てを税金で取っていくことになる。 ここで累進制をすれば、税金徴収ではなく資産没収になる。 それでは税金引き上げの代わりに政府の予算を調整すれば可能ではないだろうか? 2018年度の政府予算は428兆ウォンだ。 教育と補助金など、家計に移転される移転支出予算177兆ウォンを除けば 政府の予算全体を家事労働費用に使っても足りない。

韓国銀行で毎年360兆ウォンのお金を刷って各家庭に支払う方法はどうか? 事実上の量的緩和だが、現在のマネタリーベースは151兆ウォンだ。 この方法では毎年マネタリーベースの二倍以上のお金を刷らなければならない。 ハイパーインフレーションはもちろん、 外国為替危機が押し寄せてくる危険は必須だ。

一つの政策で360兆ウォンを調達するのは負担が大きいので これらの政策を混ぜて負担を減らしてみよう。 賃金で120兆、税金120兆、韓国銀行通貨発行120兆を混ぜてみてはどうか? これも不可能だ。 (市場)価値が追加されない賃金と新規の通貨発行は、 どんな形でも物価に同じ(あるいは累積的な)影響を及ぼす。 その上、税金は所得移転なので理論的に可能ではあるが、 負担を1/3に減らすにしても現在の国税総額の50%近くを上げなければならない。

最後に家事労働の程度が同じような家庭どうしが家事労働を交換して相互に支払うケースがありえる。 この場合は所得と支出が同時に増えてGDP規模を大きくするが、 所得水準や家事労働の現実(無給労働)は全く変わらない。 帳簿上だけで収入と支出が大きくなった計算だが、 これについては以下でさらに詳しく扱う。

このように、資本主義生産システム内では家事労働の価値を実際に保障される方法がない。 ある者は家事労働の代価として基本所得を語るが、上のような問題に陥る。 労働者賃金で再生産費用(家事労働費用)をすべて補填すれば資本の蓄積が中断されたり資本主義生産を持続できない構造だからだ。 米国、ヨーロッパ、日本のような先進国でも新興国でも開発途上国でも区別なく、 資本主義社会において家事労働と女性の位置はあまり変わらないという事実もこれを証明する。 資本主義はこのように家事労働を体系的に搾取しながら維持される社会だ。

「賃金は労働力再生産費用」という定義は一部の真実だけしか含んでいない。 賃金が労働力再生産のすべての費用を含むのなら、 誰も無給の家事労働をせず生活が可能でなければならない。 しかし現実はそうではなく、誰か、特に家父長制ではほとんど女性が無給の家事労働を遂行することで労働力が再生産される。 これは1人世帯でも同じだ。 賃金で労働力再生産に関する賃金財の一部が購買可能なだけで、 あとはすべて無給の自家労働を遂行しなければならない。 またはそのような無給労働を条件としていのみ賃金水準が決定される。

GDP計算論争と価値法則

家事労働の価値問題は、社会で生産された価値とは何かであり、 いかな評価されるべきかについての質問を投げる。 そのような点で、家事労働の価値はGDP計算論争の一つの軸だ。 国内総生産を意味するGDPは成長の指標として使われる。 1年間で国内で生産された最終生産物の市場価格総額と表現されるGDPは、 理論的にその年に新しく生産されたすべての価値(付加価値)を対象にする。

GDPの限界は数十年間、論争の種であった。 たとえば、環境が汚染されたり犯罪がさらに多く発生すれば、 これに対する生産と消費活動がさらに促進されるのでGDPが上がる。 そのためにGDPが成長と厚生をきちんと反映しないという批判がある。 技術革新に関しても、革新的な技術導入で消費者の便益が増加するが、 技術革新で製品の価格が下がるのでGDPが下がるという逆説が発生すると主張してきた。 家事労働の価値がGDPに含まれないのも、似たような批判が存在する。

こうした限界により、GDPは少しずつ変わってきたし、また変わっていて、 ますます複雑になって分からない数式で計算されているが、 現在までGDPの根本的な性格は変わっていない。 そして、これまでGDPを代替する多くの指標が開発されたりもしたが、 成長と生産された価値を測定する指標としてGDPを凌駕する他の方法を見つけることができなかった。 GDPが現実をいかに正確に反映するのかとは別に、 GDPの概念によりGDPは資本主義生産の現実を映す鏡として機能してきた。 それと共に、同時に資本主義生産の矛盾と混乱もそのまま見せている。

現在、GDP推計を出すには市場領域だけでなく、非市場領域の一部も含む。 実際に取り引きをしなくても「したとして」計算する対象もある。 一般的な自家生産-者が消費はGDPに入らないが、 売るために生産したものの一部を自分が消費する部分は 「自分が金を払って消費したとして」GDPに入れる。 代表的には帰属賃貸料、すなわち家主が自分の家で暮らしながら自分に賃貸料を支払ったとして、 これを推定して計算して入れる。 また農夫が売るために白菜を植えたが、 ほとんどを売って残りは自分が消費した場合もGDPに計算する。 すべてひとまず生産したからであり、 GDPの当初の目的が一年間で生産された生産物の価値を測定するという目的に符合すると見るためだ。

しかし、非市場領域の一部を含むこのような国民勘定の推計方式は、 主に財貨生産の自家消費だけに限定されていて、 サービスの場合は住居(帰属賃貸料)しか含まない。 これをサービス一般に拡大すれば、多様なGDPの算出も可能だ。 たとえば前の例の通り、各自が今のように自分の家事労働をするが、 家事労働の条件が似た家庭どうしが互いに代価を払って家事労働をしたとする。 これを全国的に拡大すれば、すべての家庭の家事労働を(自家労働としたが)互いに 「交換(支払い)したとして」GDPに入れる。 家事労働を双方が交換して互いに金をやりとりした計算だが、 名目所得と支出は同時に増え、所得水準も全く変わらず、現実も変わらない。 このように「したとして」方式で計算すれば、 現在のGDPはほとんど無限大に増えることもできる。

このように、GDPは市場価値を除けば実際には意味がない。 帰属賃貸料や農夫の自家消費のような部分もGDPではほとんど存在感がない。 そして上の方式のようにしても、市場価値がない部分(自家労働)の増加は実際の成長に何の役割を果たさず、帳簿上の大きさを増やすだけだ。 ここに資本主義生産の重要な真実が置かれている。 市場価値で取り引きされることで成長(拡大再生産)できるという事実だ。 また同じ労働でも市場価値を持つ労働生産物は、必ず利益(剰余価値)を含めて交換されるという点だ。 (正常な生産条件で)残り(利益)がなければ取り引きしないからだ。 マルクスはこれを価値法則と呼んだ。 利益(剰余価値)を含む市場価格で交換される商品だけが資本蓄積と成長に寄与する。

寄付、ボランティア、自家労働などは資本蓄積と何の関係もない。 そのため価値法則の外にある労働は資本主義生産関係で「価値」を持つことができない。 だが自家労働でも資本が価値法則の内部に編入させる方式(技術革新!)により、 価値ある労働になる。 たとえば、SNSに文を書き、写真と映像を書き込むのは自家労働の形態だが、 SNS企業はこれを広告と交換したり使用者の生産物を直接売って金を稼ぐ。 またはこれを拡張して市場を形成する。 YouTubeに映像を上げるのは、初めから日記帳に文章を書いて記録しておくように自家労働として始まったが、 市場交換を可能にしてクリエーターが生まれ、 専門プロダクションも繁盛している。 このように、技術の変化と受容者の環境の変化によって(交換価値でなく)使用価値だけを持つ者が 労働が資本により(!)市場価値を形成して資本蓄積と成長に寄与する。

家事労働であれ、ボランティアであれ、他の人が労働でも(交換価値でなく)使用価値だけを持つ社会的必要労働は社会的な価値を持っている。 しかし利益(剰余価値)を持ったり利益を持つようになる労働生産物だけが価値を持ち成長に連結するのは、資本主義生産関係の矛盾であり限界だ。 同じ労働でも、あるものは単純な自家労働になり、あるものは交換価値を持つ労働生産物になれば、 両者の対立はますます衝突するほかはない。 人間の労働価値がますます墜落する状況で、 家事労働のように価値と認められない社会的必要労働は、 生産関係との矛盾によりさらに重く体制と衝突している。〈ワーカーズ48号〉

原文(ワーカーズ/チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2018-11-05 16:19:23 / Last modified on 2018-11-13 10:33:52 Copyright: Default

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