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韓国:総女子学生会受難史 | |
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総女子学生会受難史[ワーカーズ総女子学生会問題(1)]1960年から2018年まで
パク・タソル、ユン・ジヨン記者 2018.11.01 13:45
1960-1970年4・19革命以後、各大学で総学生会再建運動が起きた。 学徒護国団の廃止と民主的総学生会建設の動きの中で、 単科大の女子学生代表で構成された女子学生会が組まれた。 1960年からソウル大をはじめ、高麗大、延世大、中央大、漢陽大などの各大学に女子学生会ができた。 1960年には檀国大学の女子学生会が各大学の女学生会長を招請して座談会を開いた。 1962年当時、延世大教授は京郷新聞に寄稿したコラムで 「解放直後には講義室で男女が混じって座ったが、 最近は...(中略)...女子学生会があって、歓迎会や送別会や謝恩会を主催し、 男子学生を締め出す傾向がある」と不平を言った。 だが当時の女子学生会が標榜していたのは「女性主義運動」からは距離が遠く、 たいていは伝統的な「女性らしさ」を強調する事業を展開し、 周辺活動だけに留まっていた。 その後、朴正煕維新体制ができると、また学生会が危機を迎えることになり、 女子学生会の活動も沈滞期に入る。 1980-1985年1979年の朴正煕(パク・チョンヒ)殺害後、大学街にも民主化の風が吹いた。 1980年、ソウル大では単科大学生総会で新しい学生会則が制定された。 この会則には総女子学生会(以下総女)の新設が含まれていた。 その後も10・26事態と文教部の弾圧などの迂余曲折があったが、 1984年に学生会が再建されて総女学生会長が選出された。 80年代には総女も大学内での民主主義闘争を主導し、女性解放闘争を本格化し始めた。 高麗大総女は1983年に学内校誌〈ソクスン〉を創刊した。 翌年の6月に2号を発行した〈ソクスン〉は、 「マルキスト女性解放論」と「中国共産党と女性」という論文を載せ、学校から配布禁止処分を受けた。 その年の12月にはソウル大総女学生会長のチャン・ウンジュ氏が反政府宣伝ビラを製作した容疑で連行された。 高麗大総女は会則で 「本校女子学生の主体的かつ能動的な女性像の定立と、 女子学生自治活動を通した民主市民としての資質向上、 権利意識と責任意識の増進を企てる」という設立目的を明示した。 特にこの時期には既存の総学生会傘下機構だった「女子学生会」が「総女子学生会」という一つの独立した機構として位置づけられた。 1986-1988年80年代中盤以後、大学内での総女設立は拡大し、その闘争も本格化した。 1988年には全北大総学生会長と女学生会長など幹部3人が総長退陣を要求してハンスト徹夜座り込みに突入した。 同年、延世大、高麗大の総女学生会長は学内掲示板に「北朝鮮女性生活紹介壁新聞」を掲載して国家保安法違反で拘束され、 この事件でソウル市内の各大学の学生会は不法拘束糾弾大会を開き彼らの釈放を要求した。 総女に対する無差別テロも行われた。 88年6月、朝鮮大総女の事務室に20代の青年7〜8人がなたと鉄パイプ、日本刀などの凶器を持って乱入した。 彼らは暴言と共に器物を壊して暴れ、催涙弾2発を爆発させて逃げた。 1987年にはソウルの28の大学総女学生会長が「ソウル地域女子大生代表者協議会」を構成した。 彼らは就職過程での男女差別問題を提起して、 採用差別がわかった4つの企業を検察に告発するなどの活動を行った。 1990-1995年60年代の女子学生会が伝統的女性性を基礎としたイベント性事業を重視したのに対し、 80年代の総女は戦闘的な社会変革運動を展開した。 その過程で女性たちは闘争での男性性と日常での女性性を同時に強要され、 「女性運動」は民族、労働解放闘争に従属しているという議論もあった。 その後、90年代に入り女性運動集団と総女を中心とする本格的な反性暴力運動が拡大する。 1992年4月には漢陽大総女が「女性はもう性暴力の一方的な犠牲者ではない」とし 性暴力特別法制定のための学内署名運動を繰り広げた。 光云大総女は性暴力に対する公聴会を開催し、 建国大総女は性暴力追放ハンマダンに続いて市民に対して性暴力追放運動を展開した。 日常での女性たちに対する暴力と差別に反対する反性暴力運動は地域でも拡大した。 忠北地域の5つの大学と女性団体も性暴力特別法制定のための街頭署名運動を行った。 女性団体と学生が行った法制定運動は90年代を貫いて続き、 1997年に性暴力特別法諸、改正という成果をあげた。
[出処:YouTubeYBS画面キャプチャー] 1995-1999年90年代後半からは総女を中心として反性暴力学則制定運動が展開された。 ソウル大学の助手セクハラ事件と韓総連女学友性暴力事件などが公論化され、 被害者に対する救済と加害者に対する処罰のための制度的な手続きが必要だという声が高まった。 これにより1997年には東国大総女、梨花女子大女性委員会、ソウル産業大総女、ソウル市立大総女、成均館大総女など、 各大学の総女と女性主義集団は 「学内性暴力根絶と女性権確保のための女性連帯会議(女性連帯会議)」を結成した。 その後、女性連帯会議の参加単位は地域に拡大した。 このような動きに力づけられて、釜山の東亜大は総女により作られた全国初の性暴力特別規定を学則に含めた。 1999年の全国の総女は約30か所で、学内女性運動単位まで含めると約40か所程度が活動を続けてた。 2000-2005年反性暴力運動が2000年代初期まで活発に展開され、 総女でも反性暴力学則を着実に作っていった。 こうした流れによって教育人的資源部は2001年、男女差別禁止法令の施行による業務処理要領を各大学に行政指針として示し、 大学もセクハラ、性暴力関連の規定を作った。 1999年までに関連の規定を制定したのは10箇所ほどでしかなかったが、 2001年になるとその数は123箇所に拡大した。 一部の大学では形式的な手続きだけを強要して問題になった。 成均館大は反性暴力学則案に総女が異なる立場を示したため、 理事会で強行採決した。 当時、成大総女は被害者中心原則と事件公開の原則を入れるべきだと要求した。 当時、インターネットの普及によってオンラインでの活動が活発になり、 総女活動へのサイバー・ブーリング(嫌がらせ)も現れ始めた。 2003年、中央大総女は寄宿舎ピクニックで起きた性暴力事件を受け付け、非常対策委を設けた。 男女の身体接触が伴うゲームなどの全般的なイベント進行に問題意識を持った女性が申告した事件だった。 非常対策委は該当の事件を環境的性暴力と規定して対策を始めたが、 この事件がマスコミを通じて報道されるとオンラインで総女に対する悪態があふれた。 申告者の身上も公開され、寄宿舎に脅迫電話がかけられた。 反性暴力学則の必要性を痛感した中央大総女は反性暴力会則を作り、 これは2年後に全校大会で通過した。 ![]() [出処:延世大総女子学生会FaceBookページ]
2006-2012年2009年に女性の大学進学率が初めて男性を越えた。 大学集団の男超現象が事実上消え、女性の総学生会活動も活発になったため、 総女を総学生会の傘下集団として再構成しなければならないという声が高まった。 就職難などで学生自治が無力化されて、総女はそれ以上の関心を持たれなかった。 数的平等を実現した女子学生は「脱フェミニズム」を主張した。 延世大では2000年代の後半に「総女子学生会脱フェミニズム」を主張する候補が当選した。 その後、総女は生理用ナプキン自販機設置、生理公欠制、女性休憩室など、 女子学生の福祉に焦点を合わせた。 2006年、総女が要求し続けた生理公欠制が中央大を始めとする各大学に導入され始めた。 人権委は「女性の健康権と母性保護のために適切な社会的配慮をするように関連制度を補完しろ」とし、生理公欠制を勧告した。 しかし生理公欠制をめぐる絶え間ない逆差別議論が発生し、制度が後退した。 カトリック大は2010年の学期中、1か月に一回、公欠を使える制度をモデル導入したが、 非難の世論のために2011年の1学期から一学期に一回に後退させた。 女子学生休憩室も男子学生逆差別の主張の上得意の対象だった。 2008年、ソウル大51代総学生会選挙では「男子学生休憩室設置」の公約が深刻な問題だった。 他の大学も女子学生休憩室の縮小や管理不良の問題を体験した。
[出処:延世大総女子学生会FaceBookページ] 2013-2018年2013年から今までに全国総女子学生会の74%ほどが消えた。 総女はずっと存廃論争に巻き込まれ、廃止投票に付された。 総学生会傘下機構に編入されたり、候補がなく非常対策委体制で運営されたりもした。 会則が存在するだけで、ずっと空席の学校もある。 総女の存廃の危機は社会全般の女性嫌悪によりさらに深刻になった。 竹林、エブリタイムなどの匿名コミュニティサイトは 総女に対する人身攻撃性の文章で塗りたくられた。 総女廃止を要求する人々は総女の活動は男性に対する逆差別であり、 学生会費が総女の予算を執行するのも不当だと主張した。 総女の投票権を男子学生にも与えろという主張もあった。 総女廃止の議論は現在も続いている。 延世大は去る6月、「総女再改変要求案」が総投票で可決され、現在改編を議論している。 今回の改編は去る5月に連帯総女が人権フェスティバルにフェミニストのウン・ハソン氏を講師として招聘したことが発端になった。 一部の学生はウン氏が急進的なフェミニストであり、SNSにディルドの写真を掲示したことが キリスト教大学の連帯の理念に合わない神聖冒涜だとし講演反対の署名をした。 それでも総女がイベントを強行したことで、総女退陣の世論が形成された。 成均館大も10月16日、ソウル人文社会科学キャンパスで開かれた学生総投票で総女廃止案が可決され、総女が廃止された。 一部の学生は手続き的な議論の不足などを理由として総投票そのものの不当性を訴えている。 東国大には総女が残っているが、来年度の立候補者は出てきていない。 昨年から東国大竹林、有名コミュニティ サイトには総女予算執行の内訳が書き込まれているが、 施行細則に反しない正常な執行なのに嘲弄が続いている。 総女のメンバーに対する攻撃は総女の立候補をさまたげる原因の一つだ。 昨年11月、漢陽大総女会長候補のSNSにはセクハラコメントが大量につけられ、 成均館大総女再建の会も同じ嫌がらせに苦しんだ。〈ワーカーズ48号〉 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2018-11-05 16:19:23 / Last modified on 2018-11-05 16:25:26 Copyright: Default 世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ | |