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韓国:[ワーカーズ人権の場所]線路のそばの小さな学校、どう暮らしているのかを尋ねる | |
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貧困を押し出さない人生[ワーカーズ人権の場所]線路のそばの小さな学校、どう暮らしているのかを尋ねる
ミョンスク(人権活動家) 2018.09.10 09:05
▲線路のそばの小さな学校旧勉強部屋[出処:キム・ヨンウク] あふれる陽光を全身に受けながら、仁川のソンヒョン小学校の前に到着した。 ソウルの大きなビルや大型ショッピングモールに慣れた目には、 小学校周辺にある小さなふとん屋とアイスクリーム屋が暖かい。 首都圏にもまだこんな所が残っているんだな。 しばらく周辺を見て回る間、勉強部屋「線路のそばの小さな学校」の キム・スヨン先生がきて手を振る。 陰一つないカンカン照りの朝、少し秋風を感じながら 「文化芸術創作空間トロリ」に向かった。 「文化芸術創作空間トロリ」は「線路のそばの小さな学校」を卒業した青年たちが作った創作集団の名前で、最近できた空間だ。 勉強部屋で成長した青年たちが地域を基盤にした文化芸術創作活動で世の中と疎通する所だ。 勉強部屋の「木工授業」の時間に作った作品で「子供大工展」をしていた。 今回の展示のキュレーターはチョン・スヨン先生だ。 彼は子供たちと絵画の授業、美術治療などをしている。 トロリは多くの人が順番に食べ物を出して、同じように分けたり、みんなに分けるという意味の伝統的な韓国語だ。
[出処:キム・ヨンウク] 貧困を押し出さない勉強部屋「線路のそばの小さな学校」は勉強部屋だ。 学校という名前のためにオルタナティブ・スクールと思われがちだが、 オルタナティブ・スクールではない。 学生皆が正規の学校を通い、学校を終えた後に集まる所だ。 それでもよくある課外教室の勉強部屋でもなく、地域の児童センターでもない。 線路のそばの小さな学校の歴史を尋ねた。 大学生の時にここと縁を結んだキム・スヨン先生は、経歴30年の草創期からのメンバーだ。 事実、先生という呼称は勉強部屋で使う呼称ではない。 学生たちは先生をおばさん、おじさんと呼ぶ。 勉強部屋の共同体の性格がそのままあらわれる呼称だ。 「私が大学生だった時に縁を結びました。 0期です。 キム・ジュンミ先生と夫の人が万石洞に87年に貧民運動するために来ました。 先生が託児所だけではなく勉強部屋を作らなければならないと考えた頃、私が来ました。 勉強部屋を作るには教師が必要でしょう。 90年に仁荷大と教育大に勉強部屋サークルを作って、ボランティア教師を募集しました。 私の夫も勉強部屋のボランティア教師でした。 私はただ子供が好きだったので来ました。 サークルの会員を募集する時も子供たちの顔を描いて、子供が好きな人は集まれと広報しました。 大層に世の中を変え、貧民運動をしようなんてことではありませんでした。 万石洞という町はとても貧しい町で、一緒にやっていたおばさん、おじさんたちも貧しい家の子供なんです。 私の場合は子供たちと出会って、社会の矛盾を知っていきました。 なぜ子供たちが傷つくのかを見て、世の中を悟って行ったのです。」 万石洞はキム・ジュンミ先生の小説「ケイブリ村の子供たち」の背景になった町だ。 小説でも紹介されたように、ケンイブリ村は仁川で一番古い貧民地域で、土地よりも干潟が多い海辺だ。 入り江と線路に近い村は、日帝時代から干潟を埋めたてて土地を耕し、一部分に家を建てて住居を作った。 そこに小麦粉工場、木材工場、造船所ができた後、働きに来る人が増えた。 朝鮮戦争の後には黄海道の人たちが、開発独裁の時期には離農民たちがきて住んだ。 人々は金を手にするとセメントなどを買って自分で家を改良した。 きれいではなくても、人生がにじみ出て、家主の雰囲気が表れた家だ。 幸い開発ブームをなんとか逃れ、家が取り壊されるのは免れたが、 周辺に工場が移ってアパートができ、貧富の格差と空洞化というもうひとつの困難に出会った。 木材工場の場所にできたアパートが小さな家の上に限りなく高く立った。 アパートに住む子供たちと一緒に学校に通う勉強部屋の子供たちにとって、 それはどんな意味だったのだろうか? 「アパートができた時、子供たちと毎日詩を書きました。 あのアパートができれば村がなくなりそうだという内容が含まれています。 ある子供は私もあのように良い家で暮らしたいと書きました。 アパート作るために撤去をするのなら戦ういう言葉も書きました。」
[出処:キム・ヨンウク]
[出処:キム・ヨンウク] 貧困を選択する、話を作るわれわれはトロリがある花樹洞を通過して「線路のそばの小さな学校」がある万石洞に向かった。 花樹洞に文化空間を作った理由も、近所で暮らす子供たちが万石洞の勉強部屋を訪ねてきてからだ。 線路のそばの小さな学校がある町は、長い間に近くのおばあさん、おじいさんらが亡くなって空き家が増えている。 一方、花樹洞のように万石洞周辺の町の子供たちが勉強部屋にますます集まっている。 勉強部屋の子供たちが暮らす所を抱かなければならなかった。 ある意味では共同体がある町内がさらに拡張されたわけだ。 最近、初等部の子供たちとする授業が「私の友人の家はどこか」だ。 子供たちが暮らす町を直接訪ねて行って、町で自分が一番好きな所を勉強部屋の友人に紹介する授業だ。 ある子供は退勤して帰ってくるお母さんを待つ井戸を紹介し、 ある子供は半地下の家の前の路地は通気が良いと誇ったりもする。 ソウルから引っ越してきた子供が新しい友だちと初めて会った横断歩道の意味を説明したりもする。 互いに貧困を恥じる必要ないので、自慢することも増えるのかも知れない。 何よりもこの授業の面白さは、叙事ではないだろうか。 子供たちは、その横断歩道を渡るときに友人を思い出すだろう。 勉強部屋の授業はいつもこうだ。 互いの人生を知ること。 そうして知ったことで、互いに埋めた貧困の不便さだけでなく、 貧困の喜びも引き受けて出せるのではないだろうか。 井戸の場所を通りすぎて、万石小学校を通過して、横断歩道を渡ると万石洞だ。 丘を少しあがると集合住宅がぎっしりと、日照権もなく立ち並ぶ。 貧しい人々が集まって住む集合住宅村だ。 もう少し行くとさっぱりとした建物が見える。 そのそばに「ケンイブリ村は」という看板がついている。 案内した二人の先生の表情が暗くなる。 仁川市が住民の全員再入居を宣言して騒然と進めた再開発事業の結果が 「見せるための箱物作り」で終わったのが残念だからだ。 最近はさまざまな福祉機関がご飯や服もくれる。 仁川の代表的な貧しい町である万石洞は、いつも多様な社会福祉機関の「ばらまき」事業の場所になったりする。 そのたびに先生たちはいらいらとする。 最近ではボイラーを煉炭ボイラーに改良した家もできた。 福祉機関が主に煉炭を無料で配るからだ。 人を見ずにお手軽に物品を配る福祉方式の限界で、とても笑えないことが起きたのだ。 「ここで暮らす人たちは、誰かのおばあさんとおじいさんなのに、 社会福祉事業をした後には事業対象者になったのです。 私たちの隣で二十台の私たちに対して人生の知恵を教えてくれる人たちなのに…。 その人たちが物品をもらうために並んでいるのを見るといらいらします。」 自発的に貧困を選択したキム先生とチョン先生が見るに、 社会福祉機関の態度は人を侮辱するようなものだ。 チョン・スヨン先生も前は貧困を自発的に選択する人がいるということに納得できなかった。 勉強部屋のボランティア教師をしていた夫と出会い、ここに足を踏み込んでから変わった。 普段、欲のない人生が指向の彼女と勉強部屋はよく合うのかも知れない。 彼女は「ここにきて暮らしていると、そのままの子供たちが見える」と言う。 大学を卒業して「どう暮らすのか」を考えながら、 本格的に勉強部屋をするようになったというキム先生は、 2年通った職場をやめて勉強部屋の教師になった。 「貧しいから分けあえるようです。 分けて、また分けて、皆が貧しくなれば公平になるでしょう。 とにかく所有しようとするところから生まれる問題が資本主義だと思うので貧困が好きです。 ここで分けあう貧困を体で味わって分かります。 もちろん貧困は不便です。 しかし分けてもらって、どんなにうれしいかを一度味わったら、ここから抜け出せません。」 もう少し行くと90年代に勉強部屋として使った2階の建物が見える。 風雨にさらされた色がすばらしい。 1990年から2000年まで勉強部屋として使っていたところで、 8坪に30人の学生がいた不思議な家だ。 今は物品倉庫や公演の練習場として使っている。 88年に使った建物は現在はなくなり、この建物だけが勉強部屋の歴史だ。 「2階はキム・ジュンミ先生の新婚当時の住居なんです。 ここで夫と子ども二人を生んで育てました。 天井が落ち始めて、近くに新しく建物を建てました。 勉強部屋を通り過ぎた人々が集めた結婚資金や退職金、 そして私たちの意を支持してくれる人たちが集めたお金で作りました。」 すぐうらに「線路のそばの小さな学校」が見える。 周辺にはまだ住民たちがセメントで手作りした小さな家と、 さまざまな家の天井を一度に覆うカチンコ屋根が眼に触れる。 すでに18年も経ったからか、建物の入口に描かれた壁画が曇っている。 1階に入ると若いキム・ジェヤン先生が笑いながら迎える。 彼も通っていた職場を辞めて2002年、ここに定着した。 彼は託児所の時から勉強部屋にいたので、生きた歴史だ。 屋根裏部屋が彼の生活空間なので、私生活が殆どないのが大変ではないかと尋ねると、 明るく笑いながら大丈夫だと話す。 「消耗するだけ再充電されることを十分感じるからでしょうか。 人々と関係を結んで感じる慰労が大きくて、それを通じて成長する感じです。(互いを)深く知っているから深く尊重される感じでしょう。」 深い豊かさが感じられる答が眩しかった。 あるいは、かすめるような縁がほとんどの社会、富のゴミがあふれる世の中とは似合わない線路のそばの小さな学校。 それで自発的貧困と心を分けあいながら、関係を積み上げるそこがさらに光るのではないだろうか。 古くなったが古くない価値を守る所があって、 私たちが違う社会を想像する力が沸いてくるのではでないだろうか。[ワーカーズ46号] 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2018-09-22 22:30:42 / Last modified on 2018-10-05 02:00:46 Copyright: Default 世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ | |