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大法院が人民裁判より優れていると言えるのか

[ワーカーズ 社会主義探求領域]

カンフ(社会運動に関心が多い) 2018.06.28 14:40

#1.あなたは本当に裁判官を尊敬していますか?

「尊敬する裁判長様」

近来流行した各種の法廷ドラマはもちろん、実際の裁判での陳述文、嘆願書などにもたびたび登場する文句です。 しかしいったいなぜ裁判長を尊敬しなければならないのでしょうか? あの難しい司法試験を通過した勇気のある果敢な人だから? あるいは偉いのか、上にいる人だから? もちろん韓国語で「尊敬する」という修飾語は、実際に尊敬を含んでいるというよりも相手方を高める意味で使うケースが多いです。 たとえば政治家は常に「尊敬する国民の皆様」という言葉を言っています。 それでも本当に政治家が国民を尊敬していると信じている人は殆どいないでしょう。 ただ、形式的ではあっても多くの人々が裁判長に尊敬という修飾語を付けるのは、 公明正大な事理分別で正義を具現することを望むか、 あるいはそうしたことをする権威が裁判長にあると考えているからでしょう。

ところで果たして裁判官が「尊敬」という修飾語を受けるようなことはあるのかと疑問を抱くしかない事件が起きています。 司法府自ら判事の政治指向をひそかに調査したことはもちろん、 はなはだしくは大法院が判決をめぐって朴槿恵(パク・クネ)青瓦台と政治的に取り引きしようとしたという疑惑まで出てきました。 「司法行政権乱用」、「裁判取り引き」、「司法壟断」など、 いろいろな名前で呼ばれるこの事態で、主な被害者は労働者でした。 労働者にとって生存がかかる問題が、権力者にとっては取り引きの対象にすぎないという現実があらわれました。

文在寅(ムン・ジェイン)政府がこの問題をどの程度しっかり解決しようとするのかは未知数です。 文在寅大統領が任命した金明洙(キム・ミョンス)大法院長は、 検察が捜査すれば誠実に協力するが、直接告発しないと検察に球を投げ、 大法官は声明を出して「裁判取り引きはなかった」と自ら疑惑を否認しました。 保守陣営は「政府が根拠もなく波紋を大きくしている」と司法府への捜査は裁判所の独立を侵害すると主張します。 反対に、この事態は司法府自ら独立性と裁判の公正性を破壊した事件だから、 厳重な司法改革が必要だと言う人々もいます。

どちら側の主張でも「司法府の独立性」は絶対的な価値のようです。 そしてこの点は文在寅政府も共有しています。 2月にソウル高等法院がサムスンの李在鎔(イ・ジェヨン)副会長に執行猶予を宣告しながら釈放し、 該当裁判を担当したチョン・ヒョンシク判事を罷免しろという青瓦台請願が激しく、 3日で20万人以上が同意したため青瓦台が回答を発表したことがあります。 青瓦台は回答で「判事を罷免する権限がない」とし、その理由としては 「憲法の権力分立の原理があって、裁判官が裁判の内容で不利益を受ける危険があるのなら、司法府の独立が揺らぐ」と言いました。 そして「裁判官の事実認定、法理解釈、量刑が不当でも法律違反ではなく、 裁判官の裁量権を認定」し、 裁判官は特別監査の対象になることはなく、司法府が独立してすべての権限を持っているといいました。

結局、司法府の独立は統制からの独立で、大衆からの独立です。 選出されないこの権力集団は、誰も責任を取らないのに自ら神聖だと主張します。 労働者の通念と常識では理解できない判決が出て、それに抗議すればわれわれはしばしば(特に保守言論から) 「法感情で裁判を裁つな」だとか「人民裁判を強要するな」という言葉を聞いたりもします。 しかし本当にそうするべきなのでしょうか? 司法府の独立と公正性は絶対的な真理なのでしょうか? われわれはいつまで私たちが権力を委任したこともない集団に有無罪の判決を受けて、 丁寧に尊敬を示さなければならないのでしょうか?

#2.誰の、何のため「公正」と「独立」なのか

「裁判の本質を傷つける裁判取り引き疑惑に対しは、大法官はこれが根拠のないことであることをはっきりと明らかにして、 これと関連して国民に混乱を与えることがこれ以上続いてはいけないという深い憂慮を表わします。(…) 社会の一部で大法院の判決にまるで何か疑惑でもあるかのように問題を提起したことに対しては… 大法官は全員大法院裁判の独立に関し、いかなる疑惑もありえないということに見解が一致しました。」 2018.6.15.〈司法行政権乱用事態に関する大法官の立場〉

大法院の裁判取り引き疑惑が大きくなると、6月15日、大法官は上のような立場文を発表しました。 疑惑の当事者が事態の拡散にわざと「憂慮」まで表明して自らを弁護した形ですが。 要旨を見れば「疑惑は根拠がなく、裁判は独立で公正だったので結果を受け入れろ」ということです。

大法院が実際に朴槿恵(パク・クネ)青瓦台と何かの取り引きをしたのかは徹底的に調査して明らかにしなければなりません。 ところで今回の事態を触発した大法院の「司法行政権乱用疑惑関連特別調査団」の調査報告書を読むと、 司法府は該当裁判の政治的性格をとてもよく知っていて、 裁判の結果が政府と資本に利益になると自ら規定していたことがわかります。 つまり、実際の取り引きの有無とは無関係に、 裁判が公正だという前提自体が揺らぐことになりました。 今回公開された文書を見れば、大法院は 「司法府はこれまで大統領の国政運営を裏付けるために最大限努力」してきたとし、 その根拠として通常賃金やKTX解雇乗務員問題、全教組法外労組判決など労働者に打撃を与える裁判結果を数え上げています。 たとえば通常賃金判決で大法院は、定期賞与金が通常賃金に含まれるとしながらも、 不意に「信義誠実の原則」を突きつけて遡及適用を阻止し、 結果として会社が踏み倒した賃金を労働者が返してもらえなくしましたが、 該当文書ではこの判決が「韓国の経済全体が抱く負担を考慮」したものと書き込みました。 言葉は「経済全体」の負担だと書いていますが、 実は資本が支払う賃金負担をなくす判決だということを知っていたのでしょう。

特に労働事件に対しては、KTX乗務員に対する鉄道公社の雇用責任を否定する判決、 双竜車とコルテックの整理解雇を正当化する判決、 鉄道労組ストライキを不法と規定した判決を拠論して 「労働市場の柔軟性の確保と望ましい労使関係の定立のために努力」したと書きました。 さらに全教組の法外労組通知を認めた判決に対しては 「教育部門に関連して、全教組事件が多数存在」としつつ 「やはり4大部門改革の趣旨を裏付ける方向を摸索」したと自評しました。

大法院は労働者の賃金を踏み倒し、生存権を剥奪する解雇を正当化して、 労働組合とストライキの権利を不法化する判決を下しました。 それが政府と資本の利害関係に符合すると自ら規定までしながらです。 最近、大法院は議論に浮上したKTX解雇乗務員判決について、 再度裁判取り引き疑惑を否定して 「裁判研究官室で集団知性により、深層研究と検証を経た」と主張しました。 この裁判の政治的な意味について綿密に把握していたその大法院の「集団知性」は知っていたでしょう。 まさにこの裁判で解雇乗務員は彼らが働いていた列車に何と12年間も戻れないまま、 むしろ各自1億ウォンの借金まで担うことになり、 そのうち1人は3歳の娘を残して自ら命を絶たなければならず、 今も乗客1千人を乗せて走るKTXの安全担当人員はたった1人しかいないようになったこの現実をです。 これが「独立的で公正だった」という裁判の結果なら、いったいその「独立」と「公正」は何のために存在するのでしょうか?

#3.判事を選出するなという法がありますか?

大法院の判決は不可逆的です。 例外的に再審をしない限りです。 それによって人や集団、あるいは政策の運命が決定されます。 しかしその決定権を握った司法府は、何の大衆的な統制も受けません。 選出されることも、責任を取ることもない権力です。

社会主義の核心原理の一つは大衆の自己統制です。 大衆の統制から自由で、自主的な利害関係を持つ権力を認めません。 それで社会主義者はみんな主な公職者に対する選出と召喚権を要求して、 一切の特権を廃止しようと主張します。 当然、裁判官も例外ではありません。 法を作る国会議員も選出するのに、その法を適用して判断する司法府を選出できないという理由はありません。

もちろん細心な専門的な考慮が必要なのかもしれません。 例えばくやしく寃罪をこうむった人を有罪にしてはいけないのでしょう。 どんな法をどのように適用するべきか、 捜査の過程で誤りや弱点はないのか、細かく調べるべき点などもあるでしょう。 しかしこれが選出をしてはいけない理由にはなりません。 本当に専門知識が必要な部分では専門家の助けを受ければ良いのです。 たとえば今でも国会議員を選ぶ時、資格要件として特定分野の専門性を要求しません。 ただし、立法活動で考慮すべき事案については補佐官や立法調査処のように、 専門家の助けを受けられます。 重要なことは選出された者が決定権を行使して、それの大衆的統制と責任が伴うということです。

ある人々はこうなると法による裁判ではなく裁判官が大衆の顔色をうかがい、 人民裁判が大手を振るうようになるというかも知れません。 しかし逆に問い直してみれば、人民が司法の主体になってはいけないのでしょうか? そして裁判の基準になる法というものも、本当の民主主義なら作られる過程と内容自体が大衆の利害と意思を反映するものでなければなりません。 大衆的な意志によって法を作り、その法を適用する過程も大衆的な統制の下に置くことこそ、 民主主義を忠実に具現することではないでしょうか?

たいてい「人民裁判」という言葉は魔女狩りと等値になって、扇動に巻きこまれ、 何の根拠もなく暴力的で非合理的な判決を下すことと描写されたりします。 大衆は無知蒙昧だという典型的な保守主義的な偏見でしょう。 こんな形なら民主主義自体が害悪だという結論を下すほかはありません。 司法府を選出して大衆的に統制しようということが、 何の基準も手続きもなく裁判をしようということではありません。 ただし訊ねたいことは、先に言及したように、 解雇労働者を死に追いやった大法官と裁判研究官の「集団知性」が合理的で、 自分の問題を自分で決めるという大衆の集団知性は非合理的な暴政だと断定する根拠がいったい何かです。 ああ、今の支配者には暴政かもしれません。 少数の支配者から権力を奪うのは、彼らの立場としては暴力的でしょう。

もちろん選出と召喚は制度的な基礎で、それ自体が大衆の統制を担保するのではありません。 たとえばわれわれは今でも国会議員を選出しますが、国会が処理する法律を見なければ、 むしろ労働者に敵対的な場合が多いです。 まさにこの前強行された最低賃金改悪法は、労働者の賃金を削減することでしたから。

これは選出された一人一人がただ悪質だからではありません(もちろんそんな人物もいます)。 彼らは国全体の利益のために仕方ないと主張します。 非正規職を量産することも、解雇を簡単にすることも、賃金を削ることも、 みんな「全体の経済のために」でしょう。 結局、資本の利益が社会全体の利益と包装されるから発生する問題です。 そしてこれは単に包装に過ぎないだけではありません。 資本主義で生産は資本の利益の論理で形成されるので、 国家は資本の利益創出をそのまま経済発展と等値させるのでしょう。 したがってこのシステムの物質的基盤、つまり資本が生産の権力を掌握している条件が変わらなければなりません。 「司法改革」がただ手続きと制度を補完することでは達成されないという理由です。

原文(ワーカーズ/チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2018-07-17 20:28:11 / Last modified on 2018-07-17 20:43:29 Copyright: Default

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