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ヘイトクライム、あなたたちがパニックする方式

[ワーカーズ]レインボー

パク・ジョンジュ(地球地域行動ネットワーク) 2018.06.19 11:27

2年前の5月17日、ソウル江南駅近くのあるトイレで、ある女性が殺害された。 いや、ある男性がある女性を殺害した。 犯人はトイレに隠れて時を待っていた。 6人の男性をそのままやり過ごし、7番目に入ってきた女性を殺害した。 一面識もない間柄だった。 「女性からバカにされたので犯行を行った」と言った。 マスコミでは無差別殺人という用語を使ったりしたが、 この事件を契機として女性嫌悪犯罪に対する関心が台頭した。

なぜ6人の男性をそのまま送って最後に入ってきた女性を狙ったのだろうか? 男性からはバカにされたことがなかったからなのか。 彼が実際にバカにされたのかどうかは重要でない。 バカにされたと考えたということが重要だ。 そして唯一、女性からバカにされることには耐えられないと考えたことが重要だ。 相変らず韓国社会において、女性はあえて男性を無視してはいけない存在だからだ。

女性嫌悪を定義するさまざまな方式があるだろうが、私は主にこのように話す。 女性を公的空間での(男性と)同等な主体だと感じない態度―せいぜい性的対象として、(無料の)労働力程度として見る態度―ということだ。 同等な主体ではない人にバカにされるのは、しばしば耐えられない物事になる。 同等な主体ではない人を攻撃することは、たびたび何も問題ではない物事になる。 女性嫌悪犯罪はそのような形で起きて、そのような形で正当化される。

これはある種のパニックだ。 女性の地位は相変らず低いが、時折、女性が男性と同等だったり、あるいは優れた地位を占める現象が起きる。 男性の立場では当惑することだ。 人間ではなかった存在が、人間としての権利を要求して、 時に自分が持つ以上の権利を持っているということだ。 繰り返し起きる女性嫌悪犯罪は、恐らくこうしたパニックに対する一種の防御だと考えられる。

一方、5月17日は国際性少数者嫌悪反対の日 [1] でもある。 この2つの日が重なったのを見て「パニック防御」という言葉を思い出す。 正確には「トランスジェンダーパニック防御論理」と呼ばれるこの言葉は、 トランスジェンダーを殺害したり暴行した犯人が 「相手方がトランスジェンダーであることを知って、あわてて偶発的に犯行を行った」と自らを擁護する論理を示す。 例えば、トランスジェンダーを殺したのは、驚いて犯した偶発的な犯行なので、 故意の殺人ではなく過失致死だと主張するようなものだ。

ここには2種類の前提がある。 相手がトランスジェンダーだということは、驚くようなことだというもの、 そしてその「驚き」に対する反射作用としての暴力は当然のことだというもの。 言い換えれば、こうした文章になるだろう。 人がトランスジェンダーであることは自然でないということ、 そしてその自然でないことは除去するのが当然だということ。 こうした前提が通用するこの社会で、 パニック防御論理はアイロニカルにも自分の嫌悪をためらう事なく表わしつつも、 自らを正当化する論理になる。

これは女性たちが社会の成員として ―例えば男性を評価する主体として― 登場することを当惑するようなことだと感じ、 そしてそれを嫌悪と犯罪を正当化する論理にするのと似ている。 幸か不幸か、法的にはトランスジェンダーも女性もすべて人間なので それに対する暴行や殺人は犯罪と扱われていくらかの処罰も受けるが、 嫌悪を正当化するこうした論理の前では その処罰は法的にも社会的にも非常に弱いものに留まる。

パニックを驚きや、驚きによる当惑のような言葉だと考えれば、 それ自体はなくはない自然な現象だ。 どんなことにも驚かないのは人間としては容易なことではないということだ。 しかし、驚きには常に無意識の前提があることを肝に銘じなければならない。 都市の道路を人が通るからといって驚く人は多くない。 しかし都市の真中にあるはずのものがないこと、 例えば虎が通っていたら、驚かないのは大変だろう。

驚きの後には、常にあるかもしれないこととないこと、道理が正しいことに対する区分が隠れている。 男の私がトランスジェンダー女性(性別二分法と異性愛の普遍性を強硬に信じる彼らには結局、男性)に引かれるはずがないという信頼が、 男の私が女よりダメなはずがないという信頼が、 彼らのパニックの後には隠れている。 誰かを自分と同等な人間と感じない信頼が、 彼らのパニックの後には隠れている。

ではパニック防御論理はせいぜい道で突然虎に出会った人が大声を出した時にでも通用するような論理だ。 驚きの前提、パニックが持つ前提が正当ではない時、 それはその後の行動を正当化する論理には決してならない。 驚く前に、そして誰かの驚きに生半可に共感する前に考えてみることだ。 私が何を信じているのか、その信頼が果たして正当なのか ― つまりその信念を持って、人間として他の人たちと共に生きていくのができるのかということだ。(ワーカーズ43号)

脚注 [1] 1990年世界保健機構が疾病分類目録で同性愛を削除したこと記念する日で、 国際同性愛嫌悪反対の日(International Day Against Homophobia、IDAHO)として始まった。 最近ではトランスジェンダー嫌悪(Transphobia)、両性愛嫌悪(Biphobia)等を明示するIDAHOT、IDAHOTB/IDAHOBiTなどの名称が主に使われる。 最後のIを大文字で書くIDAHOBITは間性差別(Intersexism)に対する反対を明示する場合だ。

原文(ワーカーズ/チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2018-07-17 20:26:18 / Last modified on 2018-07-17 20:26:19 Copyright: Default

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