|
韓国:[ワーカーズ ルポ]イ・ソンホ、チョン・ヨンス下請労働者の高空籠城 | |
|
Menu
|
蔚山サンネ三叉路の橋脚の上、「二人は笑いながら戦う」[ワーカーズ ルポ]イ・ソンホ、チョン・ヨンス下請労働者の高空籠城
イ・ジョンウン(全国金属労働組合現代重工社内下請支会事務次長) 2017.06.28 13:55
4月11日午前5時。蔚山市のサンネ三叉路高架、高さ15mの橋脚に二人が上がった。 彼らは一番最初に橋脚の前後に長さ12mの大型横断幕を張った。 横断幕には「現代重工・現代尾浦造船大量解雇・構造調整中断」と 「非正規職撤廃、ブラックリスト粉砕、下請労働基本権保障」という文句が書かれていた。 2人の名前はイ・ソンホ、チョン・ヨンス。 金属労組現代重工社内下請支会の組合員で、現代尾浦造船の下請労働者だ。 2人が働いていた現代尾浦造船下請企業の東洋産業開発は、 彼らが橋脚に上がる2日前の4月9日に廃業した。 東洋産業開発で働いていた労働者57人のうち、造船所はうんざりだと言って辞めた人と 下請労組の組合員を除く労働者たちは、全員他の社内下請業者に雇用が継承された。 しかし2人を含む4人の組合員は雇用継承から排除された。 「ブラックリスト」のためだった。
▲[出処]全国金属労働組合現在重工業社内下請支会 現代重工と現代尾浦造船は、造船業景気不況を口実にして2015年から本格的な構造調整を始めた。 すでに以前から下請企業に支払う請負代金(既成金)を削減してきた。 これによって下請企業の廃業が続き、2015年から今まで2万人以上の下請労働者が雇用を失った。 そしてその過程で下請労組の組合員たちはブラックリストに入れられ、 他の下請企業へと離職することさえできなかった。 現代重工のブラックリスト、下請労組弾圧は歴史が深い。 2003年、現代重工社内下請労働組合の設立直後、 現代重工は下請企業の廃業を誘導して組合員を工場の外に追い出した。 現代重工がしたことは2010年に大法院から「不当労働行為」という最終判決を受けた。 勤労基準法上の使用者ではない元請が、労組法上の使用者、不当労働行為の当事者と認定された意味のある判決だった。 しかし判決は不当労働行為から7年後に出てきた。 その上、現代重工は組合員リストを「ブラックリスト」にして、他の社内下請業者どころか、他の造船所への離職さえ妨害した。 そのため現代重工の下請労働者にとって 「下請労組に加入すれば業者が廃業しても、他の業者や他の造船所にも就職できない」という恐れが深く刻まれた。 それにより、現代重工社内下請支会は長い間活動に困難を味わってきた。 それでも人間らしく生きたい人々がいたそれでも人間らしく生きたい人々がいた。 数万人が働く工場で、十数人の人々がタマゴで岩を砕くために戦った。 2013年には組合員の加入範囲を現代尾浦造船にも拡大し、 2014年には現代重工と現代尾浦造船の下請企業12社に団体交渉を要求した。 2015年には元請現代重工労働組合と共に「下請労組集団加入キャンペーン」を繰り広げ、 2016年には現代重工を相手に交渉も要求した。 しかし下請労組の力が強くなるほど、資本の攻撃も強まった。 2015年4月、現代尾浦造船下請企業KTK船舶が廃業した。 社長は既成金を受け取って、借金を返せば何も残らないとし、 未払いの賃金と退職金は代理支給金で解決しろといった。 下請労働者たちは元請現代尾浦造船に行って、未払い賃金と雇用継承の責任を取れと要求した。 しかし元請の現代尾浦造船は、下請労働者の要求を無視して彼らを工場の外に追い出した。 100余人の労働者のうち4人が残って闘争した。 その1人がイ・ソンホだった。
▲チョン・ヨンス(左)、イ・ソンホ(右) [出処]全国金属労働組合現在重工業社内下請支会 イ・ソンホは1970年、慶南晋州で生まれた。 高等学校を出て、釜山のある印刷所で社会生活を始めた。 取引先で会計をしていたお嬢さんと恋愛をして、6か月後に結婚した。 99年、初めての息子が生まれ、2001年に二番目の娘が生まれた。 10年以上同じ仕事をしていると、直接事業をしてみたいと思った。 IMF経済危機を経て不渡を出した印刷所があった。 機械が安く出てきた。 大丈夫だろうと考えて始めた事業は、1年後に不渡りを出した。 一番上が5歳、二番目が3歳だった。 苦しむ時間さえなかった。 知り合いの先輩が、彼に造船所で働けばたくさん金を稼げるといった。 妻と子供を亀尾の義理の姉の家に残して蔚山にきて、現代重工で造船所の仕事を始めた。 もちろん下請労働者であった。 2011年には現代尾浦造船に移った。 その間、彼が働いていた現代尾浦造船の下請企業、KTK船舶が廃業した。 共に働いていたキム・ヨンベ、ヒョン・ジェチャン、キム・ギュヨプと共に、 現代尾浦造船の前で野宿座り込みを始めた。 初めはすぐ解決するようだった。 だが3か月経っても解決の兆しは見えなかった。 義理の姉の家に頼って暮らしている家族のことがありありと目に浮かんだ。 結局、彼は最後まで一緒にすることができなかった。 金を稼がなければと闘争をやめたが、仕事が手につかなかった。 釣りをするために海辺に座っていれば、座込者がかける闘争の歌が聞こえた。 また駆けつけたかったが、申し訳ない気持ちがして戻ることもできなかった。 2015年11月にKTK闘争が終わった。 キム・ヨンベは闘争を主導した理由で復職が拒否されたが、 ヒョン・ジェチャン、キム・ギュヨプは現代尾浦造船下請企業に復職した。 申し訳ない気持ちを少しは減らせた。 現代尾浦造船で働いている時に知りあった後輩のオ・ジョンファンが彼に共に働こうといった。 2015年11月、現代尾浦造船の下請企業、ファンチャン企業に入社した。 オ・ジョンファンの知りあいのチョン・ヨンスにも共に働こうと提案した。 チャンセンポ工場の下請企業に復職したキム・ギュヨプ先輩も、ファンチャンに呼び入れた。 そうしてオ・ジョンファン、イ・ソンホ、チョン・ヨンス、キム・ギュヨプが一緒に働くことになった。 チョン・ヨンスは1975年、釜山で生まれ、3兄弟の末っ子として育った。 大学では土木工学を専攻した。 専攻を生かした仕事をしたかったが、除隊するとIMF外国為替危機で先に就職した先輩も雇用を失った状態であった。 幸い、兄の紹介でネクセンタイヤ工場に正規職として就職した。 稼ぎは悪くはなかったが、もっと金を稼ぎたかった。 いろいろな事業に手をつけたが、初めはうまく行っていた。 1か月に何百万ウォンも儲けて使った。 しかし結局事業はつぶれ、職場も辞めなければならなかった。 信用不良者を受け入れる所はなかった。 結局、人々が働きたがらない染色工場に入った。 初めての月給は70万ウォンだった。 その上、とても危険だった。 未来がないという気がした。 それでチョン・ヨンスは2005年にSTXの物量チームで働いていた長兄と共に、造船所の仕事を始めた。 2011年には現代尾浦造船に移ってきた。 オ・ジョンファンの勧誘で2014年12月にファンチャン企業に入社した。 下請労組にも加入した。 ネクセンタイヤで正規職として働いていた時、労働組合活動に関心があった。 だが造船所下請は労組をするのは難しいと思った。 それでとても悩んで加入した。 既に労組に加入したのだから、がんばらなければならないと考えた。 チョン・ヨンスは組織部長を、イ・ソンホは代議員を引き受けた。 ファンチャン企業は2016年5月に東洋産業開発と名前を変え、 東洋産業開発は2017年4月に廃業した。 イ・ソンホ、チョン・ヨンス、オ・ジョンファン、キム・ギュヨプは、 元請の現代尾浦造船が下請労働者の雇用継承に責任を取れと叫んだ。 第2のKTK闘争を恐れた現代尾浦造船は、下請企業を通じて東洋産業開発の労働者の雇用を継承した。 しかし結局、下請労組の組合員だけが雇用継承から排除された。 すでに昨年解雇された後、ブラックリストにより雇用継承から排除された6人の組合員は、 6か月以上現代重工正門の前で野宿座り込みを続けてきた。 その上、1月には現代重工の下請企業、コンウ企業が廃業して4人の組合員が解雇され、 4月には東洋産業開発の廃業で4人が雇用を失って工場から追い出された。 二人は笑いながら戦う結局、代議員のイ・ソンホ、組織部長のチョン・ヨンスが高空籠城を決意して、 2017年4月11日に蔚山市ソンネ三叉路高架道路の高さ15mの橋脚に上がった。 ソンネ三叉路は現代重工と現代尾浦造船がある蔚山東区に続く交差点だ。 3本の大きな道が交差する地点なので多くの車が通る。 しかも座込者がいる所は高架道路の床板の真下で、騒音と振動、媒煙が激しい。 何よりも風が最大の問題だ。 先日は風雨が吹き付けて品物がすべて飛ばされ、寝袋はぬれて便筒まで倒れたおかげで大騷ぎになった。 座り込みの初期にはひとりが夜10時から午前2時まで、 他の人が午前2時から午前6時まで交代で眠った。 最初、上がってきた時は電気を使えたが、二日後に高架道路の管理業者が電気を切ってしまってからは、懐中電灯が全てだった。 夜は何もできないので早く寝床に入る。 だが騒々しい音を立てて通り過ぎる車のおかげで一夜に何回も目を覚ます。 朝は5時30分頃に起きる。 運動をして6時30分から1時間出勤宣伝戦をして、12時から1時まで昼の宣伝戦、 午後5時30分から6時30分までは退勤宣伝戦をする。 昼はスマートフォンでニュースを見たり、これまで読まなかった本を読む。 二人とも下に降りたらまっさきにしたいことは入浴だ。 イ・ソンホは2か月間で二回入浴をした。 足にあったかたい肉が落ちて、足が柔らくなった。 気持ちが妙だった。 またかたい肉がついても一日はやく現場に帰って働きたい。 釣りにも行きたい。 濃霧も波音も懐かしい。 何よりも妻と子供たちに会いに行きたい。 ここにくる前、家族と話もできないまま上がってきた。 上がってきて、ニュースを送ってくれた。 妻は子供たちを世話しながら働いているが、座込場にくる暇もない。 チョン・ヨンスは上がってくる前日、妻と一杯焼酎を飲みながら「上がかもしれない」と話した。 妻は心配しながらも理解してくれた。 だが座り込みが長くなり、妻は心配が強くなった。 故郷が釜山の妻は、チョン・ヨンスについて蔚山にきて、とても寂しがった。 妻のために釜山に行ったが雇用がなく、チョン・ヨンスが一人で蔚山に戻った。 その後、チョン・ヨンスが労組活動で忙しく過ごし、妻もまた蔚山に上がってきた。 労組活動を理解して支持する妻がありがたい。 降りたら妻とご飯を食べて、話をしながら「日常」を享受したい。 高空籠城の知らせがマスコミを通じて伝えられると、労組活動をやめて知らせが切れた人々からも連絡がきてうれしい。 ある同僚が現代尾浦造船のような大きな会社と戦うのは恐ろしくないかと尋ねた。 イ・ソンホは「死を覚悟して戦うのに、何が恐ろしいか」と答えた。 この前は前から知っていた後輩が会社の不当な待遇に対抗するために労組に加入した。 小さいが、変化が感じられる。 小さな変化が集まって、大きな流れを作り出すだろう。 その時まで二人は笑いながら戦うだろう。[ワーカーズ32号] 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2017-07-01 15:42:31 / Last modified on 2017-07-01 15:42:34 Copyright: Default 世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ | |