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労働者の涙でお母さんと会う

[戦う話(2)蔚山科学大清掃労働者]賃金ほどに奈落に落ちた人権

ソ・ブンスク 記録労働者 2014.09.08 23:20

いつからか我々は「私たち」がかなり豊かに暮らしていると考えるようになった。 生活は便利で豊かになった。 しかし洗練され、性能が良く、さらに大きくなったテレビのブラウン管の中には、 低賃金、雇用不足、非正規職という文句がぐるぐる回っている。 周辺を振り返れば自分のそばの誰かは前の半分の給料になり、雇用の不安に震え、仕事を見つけることができない。 あまりに当然なことは、雇用の不安。 私たちの暮らしは本当に豊かなのか? 私たちは何かを忘れて生きているのではないか? 「蔚山地域闘争事業場勝利のための共同闘争団」は、蔚山で間接雇用と雇用不安に正面から闘う人々の話を伝え、この問いの答えを探したい。 企画は(1)ホームプラス 、(2)蔚山科学大 、(3)現代重工社内下請支会 、(4)現代車非正規職支会 、(5)SKブロードバンド まで合計5回で進められる。

お母さんは露店商だった。
市場の道はいつも銀色の太刀魚が輝いていた。 指先で撒く水が、置かれた太刀魚の背にかかるたびに銀色より先に虹が光った。 真昼の太陽に反射する水の色だった。

虹が光るその道の上で、お母さんはしばしば泣いた。 生存を踏みにじる撤去のためだった。 お母さんの露店は何度も撤去され、摘発班の靴をに踏みにじられた太刀魚は、もう銀色に輝かなかった。 通りに立つと、私はまだお母さんの泣き声が聞こえる。 長い間止まっていたお母さんの泣き声がまた道の上で聞こえてくる。 その昔のお母さんほどに私も年を取ってしまったが、 私はまだ誰かの生存が撤去されることが恐ろしい。 撤去された生存の前で号泣して叫ぶ声がつらい。

[出処:ソ・ブンスク]

2014年9月1日。蔚山大学の2学期が始まった。 始業すればくるといった蔚山工業学園のチョン・ジョンギル理事長は、 始業の日にもやはり学校に出てこなかったという。 彼が本当に出てこなかったのか、理事長室に確認しに行こうとする人々を制止するために、 本館入口のいくつかの扉はすでにしっかり閉じられている。 ガラス扉の内側には撮影用のカメラを持った職員と、管理者のような人々が扉の外の労働者の動きを見回している。

チョン・ジョンギル理事長に会いに来た人たちは、 蔚山科学大学校で清掃の仕事をしている労働者たちだ。 蔚山科学大学校と蔚山大学校は、学校法人蔚山工業学園に属する学校だ。 2014年の初めに李明博大統領秘書室のチョン・ジョンギル元秘書室長が学校法人の理事長に選出されるまでは、 31年間、鄭夢準(チョン・モンジュン)が理事長だった。

ストライキ78日目の日だった。 100万ウォン少々の月給だったので、ある程度簡単に賃上げは終わるかと思われた。 山を削って作った学校は広かったが、清掃をするのも大変な地形だった。 5210ウォンだった時給を生活できる賃金に上げてくれということは、 誰が見ても無理な要求ではないように思われた。 しかしストライキ開始から2か月をはるかに越える日々が流れても、 用役業者は学校に責任を転嫁し、学校は用役業者が処理すると言うだけだ。 蔚山科学大学校の理事長を訪問した理由は、彼が直ちに蔚山科学大学校の経営に責任があるからだ。

閉じられた扉の外でも労働者に向かった嘲弄は続いた。 いつ理事長に会えるのかという問いに、いつ来るのか、たとえ来てもお前たちが理事長と会うことはないという返事が戻る。 切迫した気持ちで同じ赤いチョッキを着た労働者たちが、 透明なガラス扉を力いっぱいまた押してみる。 なぜ扉を締めたのかと、大学本館の扉を閉ざして入れないようにするようなひどいことをなぜするのかと大声を張り上げる瞬間、 強まる抗議を防ぐためなのか、その瞬間、警備員の動きが速くなった。 一瞬だった。誰かの悲鳴が聞こえてきた。労働者が倒れた。

倒れた労働者のからだの上で、別の労働者の泣き声がふとんのようにからだを覆う。 その瞬間、数十人の大学生が本館前に駆けつけた。 その瞬間に「ストライキは正当だが、なぜ学校は交渉をしないのか」という若い声が聞こえてきた。 男子学生だった。うれしいその言葉より、それでも先に感じたのは羞恥心だった。 道端に倒れた体をどうにか起こしたい。 暮らすことが、こんなにみじめなことだったのか。 毎瞬間、峠を越えるように気味悪く恐ろしい試練があった。 倒れ、引き出され、若い学生の冷たい視線に耐え、 野宿座り込みをした日々の記憶は入れ墨のようにからだの中に残っている。

[出処:ソ・ブンスク]

生涯露天商人だったお母さんは、ある日から記憶をなくしてしまった。 魚のたらいを頭に載せてあちこち逃げまわる生存に嫌気が差した。 たらいを奪う摘発班を追いかけて、品物を返してくれとしがみついて、何度も靴でからだを蹴られた。 記憶をなくしたお母さんの画面の中には、お母さんを見る幼い子供だけが残っている。 その恐ろしい生存を見つけられてしまった罪。 罪でない罪を犯したお母さんは、記憶を押しつぶした。 幼い子供に残酷な生存を見つけられてしまった羞恥心は生存の恐怖より大きく恐ろしかった。

あと何回追い出されれば、ゆったりした気持ちで働き、食べ、生きていけるのだろうか。 一日中、ほうきを持って外で働くのは、そんなことはどうでもいい。 学生と教職員が尊敬しなくても、遠慮なく蔑視して差別する程でさえなければかまわない。 しかし科学大学校で清掃をしている間につらかったのは、 追い出され、傷つけられ、踏まれ、結局、道端に倒れてしまったことだ。 年を取っても、歳月が過ぎても、変な気分だ。 傷は毎年新しく咲く花と同じだ。絶対に鈍らない。ぶつかるたびに、鮮明に咲く。

八年前、蔚山科学大学の清掃労働者たちが初めて労働組合を作った時には、 一か月賃金が五十万ウォン程度だった。 賃金ほどに奈落に落ちていたのは清掃労働者たちの人権だった。 学校の給食所で食事を食べることができず、休むことができる空間もなかった。 会食の席に行っても下請企業の管理者が到着するまでは箸を取ることができなかった。 遅れて来る社長を待ちながら、二時間半、食卓の前に座っていたこともあった。 労働組合を作ると契約が解除され、その時も数か月路上にいた。 殴られて靴で飯が踏みにじられ、まさか冬に丸腰で投げ出したりはしないだろうと服を脱いでも戦ってみた。 しかし何も服を着ていないからださえ、冷たい冬風の中に引き出された。 復職はしても、その日の傷はそのままからだに残っている。 暴力については誰も謝罪しなかった。

[出処:民主労総蔚山本部]

平均108万ウォン程度の月給で暮らすのが楽ではないということは誰もが理解できると思った。 それも一人で稼いで家計を立てる労働者がほとんどで、それも百万ウォンを越えたのはやっと二年ほど前なので、 貯蓄がないこともみんな知っていると思ったので、 今度はこんなに長く道の上で泣いて倒れるとは思わなかった。 労働組合ができたので、無遠慮な無視はできなくても、 あちこちの監視カメラで小さな動きさえすべてのぞかれた。 労働組合を守るため、自分自身の小さなミスさえ許さない日々だった。 それで賃上げ要求もずいぶん先送りしていた。 この程度なら退く所がないほど譲歩したと思ったが、 最後に残っていた雇用さえ奪われようとする残忍な夏が過ぎ去ろうとしている。

自分を捨てる戦いは恐ろしい。 たとえ闘争の目的が実現しても、その過程での暴力、ひどい状況で自ら吐きだした悲鳴は、年月が経っても忘れられない。 年を取り、記憶を押さえつけることが多いのも、 生きてきた日々の苦痛のためだったのではないかと思う。 両親の苦痛は子供にも相続される。 科学大清掃労働者たちの絶叫で、数十年前、お母さんの涙を見たように。

付記
この記事は蔚山ジャーナルにも掲載されます。チャムセサンは筆者が直接書いた文に限り同時掲載を許容します。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2014-09-16 19:47:09 / Last modified on 2014-09-23 22:46:47 Copyright: Default

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