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「闘争千日、遅くなってごめん」

金属労組キリュン分会、闘争千日を迎えて社会共同闘争

チョン・ムンギョ修習記者 moon1917@jinbo.net / 2008年05月19日13時40分

恋人たちが恋愛1000日を迎えれば周辺の人々は長い恋愛をけなげだと感じ、称 賛を拒まないのが普通だ。5月19日、うれしい気持を伝えるのは難しい1000日を むかえた人々がいる。キリュン電子の携帯メール解雇と不法派遣に対して闘い、 1000日になった金属労組キリュン分会組合員たちだ。

キリュン分会は闘争1000日をむかえて、キリュン闘争支持1000人宣言をはじめ とする社会共同闘争週間を進めている。

九老工業団地にあるキリュン分会を訪ねた5月17日、午後開館式が予定されてい るテント美術館に三三五五人々が座っている。訪ねて行く間、終始千日という 単語が題名にあるという理由だけでイ・スンファンの歌『千日の間』が思い出 されたが、ある組合員がその歌を小さく口ずさんでいた。何小節かを歌い、ぎ こちなく周辺を見回してすぐ席から立ち上がった。

午後3時に予定された『女性労働権争奪のための宣言者大会』を準備するために 組合員たちが堅く閉じられたキリュン電子正門にピケと宣伝物を付け始める。 キリュン分会組合員の『乱入』を防ぐための鉄門が闘争の宣伝隊として『活用』 されるのだ。

宣言者大会が始ったときは20人ほどだった隊伍が、終わる頃には50人に少し足 りない数に増えた。宣言者大会のあいまにキリュン分会組合員と共に宣言者大 会を準備した団体の人々が携帯電話を持ち出した。「地下鉄駅を降りて地域バ スに乗ります... まだ続いています」のような宣言者大会案内通話だった。

宣言者大会が終わってさほどたたないうちにキリュン電子正門前に路上食堂が 準備された。着実に連帯してきた地域住民が準備したキムチと、周辺食堂から 運んできたおかずの夕食だ。周辺にいた人々に「はやく来なさい、食事です」 とキリュン分会組合員たちが手まねきをする。

太陽が落ちる頃『キリュンギャラリー』開館式が開かれた。民衆の生を描いて きた美術家たちが、自分の作品を一つずつ用意し、キリュン電子正門前に設置 した『テント』美術館だ。美術家100人は、キリュンの千日闘争の絵と彫刻も準 備している。

美術館設立のために力を貸した美術家たちが司会者の紹介で一言ずつ言うが、 ほとんど「これまでほとんど来られなかったが、やっときた」という反省文の ような話をして、人々の後に隠れてしまった。昼間に開かれた宣言者大会でも こうした種類の発言があった。

キム・ソヨン分会長は「会社側が『非正規職闘争の中心になるためにやってい るのではないか』と言う時、違うといったが、気分が良かった」として「闘争 千日になり、会えなかった人に会えてありがたい」と反省文を提出した人々を 慰労することもした。

開幕式が終わり、詩人たちと民衆歌手らの詩の朗読と歌公演で文化祭が進めら れた。工場占拠座り込みの動画が上映されると、組合員たちは「またその映像 か」と言っていたが、上映中はずっと画面から目を離さなかった。文化祭を終 えた後も参加者は席に残り、酒と食べ物を分けあって連帯の夜を送り、闘争千 日のもうひとつの一日を待った。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳)に従います。


Created byStaff. Created on 2008-05-30 06:26:22 / Last modified on 2008-05-30 06:26:37 Copyright: Default

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