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その日会っていれば彼は生きていただろうか?

[ヨンジョンのバカみたいな愛](109)公務員労組解雇労働者の元職復帰・名誉回復闘争の話

ヨンジョン (ルポ作家) 2019.11.14 10:49

公職社会改革と不正腐敗清算のために労組を作りました

11月11日の午後、ソウル市銅雀区舎堂洞にある 自由韓国党の院内代表羅卿ウォン(ナ・ギョンウォン)国会議員の 選挙区事務所前。 公務員労働組合犠牲者原状回復闘争委員会(以下『回復闘』)が主催する集会が開かれている。 日が昇り、冷たい風が吹き、また日が昇って、天気を把握できない。

この日の集会は自由韓国党の羅卿ウォン院内代表に対し 公務員解雇労働者復職法制定を要求するために開かれた。 集会の司会をした公務員解雇労働者のキム・ミノ氏が通りかかる市民に話す。

「市民の皆さん、われわれは公務員解雇者です。 われわれは犯罪を行って解雇されたのではありません。 われわれは大韓民国をもっと先進国にするために、 公職社会を改革して不正腐敗を清算できる世界的な基準に合う労働組合を作りました。 しかしたった一日欠勤したという理由で解雇されました。 解雇者136人のうち5人はすでに亡くなりました。 われわれ公務員労組解雇者は、長ければ18年、平均15年を道路で闘争しています。 市民の皆さん、私たちの切迫した声を聞いてください。」

集会の場所を通る市民の中にはご苦労さんと挨拶して飲み物をくれる人もいて、 いきなり悪口を言う人もいる。 また「共に民主党に行ってやれ、なぜここでやるのか?」と抗議する人もいる。 なぜここで集会をするのか、なぜ解雇されたのか、聞けばいいのに 多くの人々がプラカードも読まずに 「解雇されるようなことをしたから、解雇されたのではないか?」と話す。

だからだろうか。 ミンホ氏は公務員労組解雇労働者たちが解雇された理由を短い集会の間、 暇さえあれば話し続けた。

ミンホ氏はソウル市庁交通政策課と福祉政策課、住宅政策課などで22年間、 公務員として働き、2015年末に解雇された。 一般住宅に住むのが難しい市民が賃貸住宅の小坪数から広い坪数に引っ越せるように、 賃貸住宅のバランスを多様にする事業がミンホ氏がしたていた仕事の一つであった。 2014年、ミンホ氏はセウォル号事件に関連して、 国家が子供たちを無惨に殺す姿を見て怒り、 当時「朴槿恵(パク・クネ)政権は魔女政権」という内容と、 政治家に対する個人的な考えを個人のSNSに2回書き込んだ。 その個人的な文によってミンホ氏は公職選挙法違反と大統領名誉毀損などで 公務員の身分を剥奪された。 ミンホ氏は公務員労組136人目の解雇労働者になって、5年間復職闘争をしている。

▲羅卿ウォン院内代表地方区事務室前での回復闘集会[出処:ヨンジョン]

平均年齢58歳、2021年には半分が定年をむかえる

公務員労組が発足した2002年以後に公務員労組に加入した2969人が懲戒され、 530人の懲戒解雇者が発生した。 そのうち136人はまだ復職できず5年〜18年間、 名誉回復と元職復帰など原状回復を要求する闘争をしてきた。 解雇労働者たちは公務員労組建設と労働三権保障要求(2004年公務員労組ストライキ参加)、 時局宣言参加、勤務条件改善などを要求したという理由で解雇された。 彼らの90%に当たる123人が金大中(キム・デジュン)・盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の時に 解雇され、 彼らの解雇の時期は公務員労組発足初期の2004〜2005年に集中している。 3年ぐらいで復職できたはずなのに、 いつのまに山川が一度変わるという20年を目前に置いている。 彼らの平均解雇期間は15年だ。

回復闘のキム・ウナン委員長が集会の冒頭発言をする。 果川市の町役場で社会福祉業務をしていたキム・ウナン氏も、 2004年にストライキに参加したという理由で解雇された。

「136人の仲間たちのうち42人は今日すぐ法(解雇労働者復職法)ができても、 一日も働けない状況に置かれています。」

2019年末に定年をむかえる解雇労働者は37人だ。 これまでに5人の解雇労働者が亡くなった。 ガンで3人が死亡し、交通事故で1人が死亡した。 そして10月に1人がガンで亡くなり、去る6月に定年をむかえたチョン・デゴン氏は 自ら命を絶ち、仲間たちのそばを離れた。

現在、解雇労働者たちの平均年齢は58歳で、 今すぐ復職しても一日でも勤務できる労働者は96人に過ぎない。 彼らの平均残余勤務期間も3〜4年に過ぎない。 2021年になれば解雇労働者の半分が定年になり、復職する機会を失う。

文在寅大統領は 当選前に公務員労組解雇労働者たちの元職復帰と名誉回復を何度も約束した。 だが、大統領に当選してから2年経った今でもこの問題は解決されない。 ある解雇労働者のSNSプロフィール写真にあった 「盧武鉉は解雇して、 文在寅は殺した」 という文句を思い出す。

自由韓国党さえ賛成すれば多少の名誉でも取り戻せる

2017年、「労働組合関連解職公務員などの復職および名誉回復に関する特別法案 (共に民主党陳善美(チン・ソンミ)議員など24人が発議)」が発議されたが、 20代国会が終わろうとする現在も処理されずにいる。 解雇労働者たちは国会議員1人1人と会って該当法案を説明し同意を要請したし、 現在、国会議員179人の同意を受けている状態だ。 11月14日には該当法律を審議する国会行政安全委員会法案審査小委員会が開かれる予定だ。

「136人の解雇者のほとんどが参与政府の時に解雇されました。 それで参与政府を継承する現政権に対して元職復帰闘争をしたし、 主に民主党と青瓦台に集中するほかはありませんでした。 民主党と青瓦台、そして政府さえも解職者元職復帰特別法にぜひ同意して、 積極的に動くと約束をしました。 あとは自由韓国党さえ賛成すれば、 たとえ私たちには満足できない法ですが、 少しなりとも名誉を取り戻せるのではないだろうかと思います。」

キム・ウナン委員長は行政安全委員会法案審査小委員会に所属する 自由韓国党の国会議員は、自由韓国党の指導部が反対していて 自分たちも11月14日の行政安全委員会法案審査小委員会で反対の立場を表明すると明らかにすると話したことについて、 羅卿ウォン院内代表と会って自由韓国党の立場を確認すると話した。 集会の後、解雇労働者たちが羅卿ウォン院内代表と会うために建物に入ろうとすると、 警官たちが阻止した。 警察とのもみあいの末に入ったが、 羅卿ウォン議員事務室の扉は堅く閉ざされていた。 解雇労働者が虚しい表情で階段を降りて行く。 結局、彼らは羅卿ウォン代表と会うために、 事務室の前で野宿座り込みをしなければならなかった。

▲文が浸った羅卿ウォン議員事務室の前に立つ公務員労組解雇労働者[出処:ヨンジョン]

私たちが近くにいれば話せば良いけれど...

「私は葬儀場に行っても実感がわきませんでした。 信じられないのです。」

この日、羅卿ウォン議員事務室の前で会ったイ・チャンファ氏は、 故チョン・デゴン氏の死が今でも信じられないといった。 チャンファ氏は高霊郡で公務員として働き、 2004年の公務員労組ストライキで解雇され、 故チョン・デゴン氏とともに大邱慶北地域で労働組合活動と回復闘活動をしてきた。 チャンファ氏はチョン・ジェゴン氏と一番最後に会った回復闘メンバーの一人だ。

「解職状態で孤立していたので精神的にも肉体的に病気になり、 いつも現職者でも近い人々どうしが会って、植字もして酒や茶も飲みます。 10月1日に会った時、何の気配もありませんでした。 その時(故人が)長(チョ・グク)のことを話して、検察改革のことを話して、 熱弁を吐いて行ったので、 私たちはそんなことは全く考えられなかったんです。 そのうち突然、そんな話を聞くから実感が沸きません。」

そのことを考えるとチャンファ氏はとても残念な気がする。 10月10日に大邱慶北地域解雇労働者たちと現職者が集まって、 一緒に食事もして話をすることにした計画が保留され、 故チョン・デゴン氏と会うことができなかったためだ。

「10月10日はあいにく世宗市に突然回復闘集会が予定されていて行ってきました。 それと共に、その会が保留されました。 そしてその来週の月曜から私たちがソウル座込場にきました。 私たちがみんな抜けてしまうので、その計画(会合)ができないのです。」

チャンファ氏はソウル座込場に来ている時、 故チョン・デゴン氏からカカオトークを受けたといった。 「しっかり食べて、風邪に用心して、健康に気をつけろ」という普段と違わない安否と激励の内容だった。 そして10月14日、週末座り込み組を残して半分の大邱慶北解雇労働者たちが戻ってきた翌日、 故チョン・デゴン氏の死亡の報せに接した。 彼らが帰ってきた10月14日に故チョン・デゴン氏が死んだのだった。 解雇労働者たちは故チョン・デゴン氏が解雇された後、 鬱病の薬を飲んでいた事実をこの時になって知ることになる。

「私たちが近くいたら、その時に苦しければ話せば良いけれど... いつもそんな状態(大変な状態)にあったのではないでしょう。 会えて話もしていたら無事に過ごせたのではないかとも考えます。 その翌日から家に帰るとそんな考えが何度もわいてきます。 歳月が経てば鈍るだろう...」

チャンファ氏はその日からずっと時計の針を逆に回しているようだった。 「あの日、私たちが会っていたらどうだったのだろうか? 彼がそんな選択をしなかったのではないか?」 チャンファ氏ばかりか多くの解雇労働者たちが似たことを考えていた。

政府による不当懲戒、政府が誤り認めて決心を

「いっそ退職といったことなくみんな(解雇者たち)が集まって動き続けていれば、 行くところまでは行かなかっただろうかという気がします。そんなことが残念で。」

イ・チャンファ氏は故チョン・デゴン氏が能力あり、良い人だといった。 故チョン・デゴン氏は南区庁人事係で働き、 2004年の公務員労組ストライキ闘争で解雇された。 当時、故チョン・デゴン氏は公務員労組大邱慶北本部の首席副本部長をしていた。 その後も大邱慶北地域回復闘委員長、公務員労組4期教育局長と総務局長など、 活発な活動をしてきた。 定年を迎える直前の2017年末まで、 大邱の金富謙(キム・ブギョム)議員事務所で座り込みをするなど、 元職復帰に対する希望も捨てなかった。

「解職される前は人事主務担当者でした。 そんな席は通常、すぐ進級する席です。 常識があって。 業務的な能力もあった人なんです。 その時に労働組合をしていなかったら、すぐに進級して、常勝疾走した人なのに、 こんなことになって... さらに残念です。」

イ・チャンファ氏は故チョン・デゴン氏がいつも運動に励むなど、 復職闘争のために健康管理もしていたので、 それほど苦しむとは全く考えられなかったといった。

「感情がちょっと何と言うか、素朴というか。 感情が豊かでした。 セウォル号の時に私と一緒に集会に行ってきました。 その日、セウォル号の子供たちの映像が公開されて、 それを見ると彼が痛哭をしています。 制御できないほど痛哭をしましたね。 水を汲んでくると水を飲んでしばらくして落ち着きました。」

チャンファ氏は故チョン・デゴン氏が選挙運動のために大邱にきた 金文洙(キム・ムンス)前京畿道知事を叱り飛ばした有名なエピソードも聞かせてくれる。 チャンファ氏は故人は感情が豊富な人だったのでできたという。

「解雇者復職問題は、政府が決心すればできる部分なのに、やらないといいました。 政府がした不当懲戒で私たちが解職されたのに。 政府がその気になって政府が誤りを認めれば解決できることです。 (故人は)政界がずっと言い訳だけするのは卑怯だと考えていましたね。」

チャンファ氏は故人が現職(現在勤務中の公務員たち)が、 労働組合の組合員たちと分離する情緒についてもずいぶん悩んでいたと話した。

人もなく金もなく何もない

2016年に公務員労組が公務員解雇労働者たちの鬱病に関するアンケート調査をした。 このアンケート調査で相談と治療が必要な割合は約53%で、かなり高かった。 この割合は、年齢が増加するほど増加する。 51歳以上で半分が、56歳以上では63%と高くなった。 老後の生活に対する不安と元職復帰により正当性を認められることができない現実に対する挫折と絶望がその理由であろう。

キム・ウナン委員長は、 解雇労働者たちが定年になればそれでも労組から受け取る生計費がなくなるだけでなく、 ほとんどが年金受給資格もないので経済的な困難に直面すると話す。 関係の困難も少なくない。

「職場で退職をしても関係が遠ざかるが、これはつらい。 同僚がいないでしょう。 十数年間、解雇者として暮らしていると友人関係も疎遠になる。 どの家族がこれをみんな理解して受け入れますか? 自分ひとりで残るんです。 年金はともかく人もなく金もなく、何もないのです。 『私が変なことをしたのか?』 みんな大変です。」

公務員解雇労働者にインタビューするたびに、つらくないかと聞いたが、 「とてもつらい」とか「死にたい程つらい」と言う人は一人もいなかった。 「つらい時もあるが、それでも…」または「私はいいが、他の仲間たちがつらそうだ」 という話を多く聞いた。 キム・ウナン委員長は、自分もそうで、 解雇労働者のほとんどが自分の胸の内を打ち明けないといった。

その壁が崩れた瞬間が一度あったという。 昨年、心理治療センターワラクで集団心理相談をした時であった。 一人デモをしていたヤン・ソンユン氏がその日の話を聞かせてくれる。 ヤン・ソンユン氏は陽川区庁で公務員として働き、 2010年に公務員労組委員長に当選して4日後に解雇された。 休みの土曜日、公務員労組と全教組が主催する労組弾圧糾弾大会をして、 続いてその場で開かれた野4党の集会に座っていたということが解雇事由であった。

「私の過去-現在-未来について書けといわれたが、 その時までも笑っていた人たちも、発表が始まるとみんな泣きました。 最初の発表をした人が泣いて、その次に発表した人も泣いて...」

解雇労働者たちが過去の自分を考える時は、 家族と公務員をするようになった理由、 間違った公務員社会の慣行を変えるための労組設立などがあった。 労働組合の旗を立てただけで80〜90%が組合員加入をする程、 大きな支持を受けた時もあった。 だが今、現在の自分は何もできない状況に置かれている。

▲羅卿ウォン議員事務室の前でピケッティングをしている公務員解雇労働者[出処:ヨンジョン]

訴えたりお願いすることではありません

「路上にいるしかなく、愛する家族が復職を見ることができずに亡くなった事例もある。 それらのことを考えながら込み上げてきたようでした。 最後に私の未来がありません。 ほとんどみんな未来ががらんとしていました。 その未来は公務員の組織社会で何かをしたくて、 私たちの同僚と後輩に立派な公務員の先輩になることなのに、 今私が入って何かをする時間がありません。 同僚はすでにみんな退職したし、復職しても私に何かできるのか、 という現実的な問題が近付いてくるんです。 復職しても大きな未来がない状況が深刻なのです。 労働組合活動をして解雇された後に、 子供たちとの思い出が一つもないお父さんとしての姿も、 また振り返るようになって...」

ソンユン氏は解雇期間中に積もったそうした感情が鬱病になり、 結局死ぬ状況を招いたようだといった。

「それで熱心に自分を振り返ります。 仲間がちりぢりになれば、本当にすべてを自分ひとりで耐えなければならないでしょう。 それが大きな悲劇です。 私は公務員労組の委員長もしたし、 民主労総で副委員長もしたので、 マインド コントロールというか、そんなことができます。 着実に何か仕事を作ろうとしています。 昨年には区庁長選挙に出たりもしました。」

もうすぐ解雇10年目になるソンユン氏は、 そうならないために目的意識を持ってさまざまな仕事を続けているといった。 これもまた簡単な道ではなかっただろう。 同僚解雇労働者の話をするように、多くの話があるいは自分のことだったかも知れないという気がした。

文在寅政府が公約で約束した事項なのに、 2年半が過ぎた今でも私たちをこうして寒い道路に出てくるようにしているのが悲しい状況でしょう。 分かりません。 またどんな犠牲が出てくるのか。 それが私になるのか、また誰なのかもわかりません。 訴えたりお願いすることではなく、 当然すぐに答えなければならないことなんです。 それが正義だと考えます。」

何人かの解雇労働者の話を聞いて、つらいのではないかという質問が愚かな質問かもしれないという気がした。 「私がつらい」または「私はつらくない」と直接話さないからといってつらくないと、 大丈夫だといえるだろうか? つらいという話をしなければ、 つらくて大丈夫ではなかったことを知らなかったといえるだろうか? つらくないことに、大丈夫ではないことに、 なぜ5千日以上、18年間プラカードを持って道路で闘争をするだろうか? たとえ当事者が「つらくない」と「大丈夫だ」と話しても、 つらくて大丈夫でないことを認められて 「これまでどれほどつらかったのか?」と話しながら、 痛みを抱く気持ちが切実な時だ。 11月14日、国会行政安全委員会法案審査小委員会がそのような場になることを願う。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2019-11-27 14:33:03 / Last modified on 2019-11-27 14:35:42 Copyright: Default

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