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美しい人

[ヨンジョンのバカみたいな愛](99)コルテック イム・ジェチュン氏ハンスト36日目、『怒る』集中文化祭

ヨンジョン (ルポ作家) 2019.04.19 10:51

コルテック解雇労働者たちが2007年の使用者側の一方的な工場閉鎖と整理解雇に対抗して闘争を始めてから13年になりました。 去る3月12日、コルテックの解雇労働者イム・ジェチュン氏はコルテックの使用者側に 「整理解雇謝罪、定年になる前の名誉復職、解雇期間補償」を要求してハンストに入りました。 イム・ジェチュン氏が毎日毎日燃え上がる身と心に耐えてハンストを始めてから4月19日には39日目になります。

4月15日から9次交渉を再開し、会議の中断を繰り返しながら続けていますが、 まだ糸口は見えません。 使用者側の変わりない態度にイム・ジェチュン氏をはじめとするコルテックの解雇労働者たちは挫折と絶望と向き合って、かすかな希望と連帯する仲間たちの連帯に頼り、 一日一日を送っています。 解雇労働者たちの悩みが深まるこの頃です。

今日も交渉は続きます。 コルテックの問題解決を望む気持ちで最近の状況とコルテック解雇労働者たちの悩み、 連帯する仲間たちの応援を込めたイム・ジェチュン氏のハンスト36日目の話を読者と分けようと思います。 大きな関心と連帯をお願いします。 - 〈筆者注〉

夜明けに目覚めればこのまま死ぬかもしれないという恐れ

4月16日の夜、ソウル市江西区登村洞のコルテック本社前コルテック解雇労働者たちの座込場。 「怒る」火曜集中文化祭の準備の真っ最中だ。 交渉がうまく終わって勝利報告大会になれば良いという期待は形成されなかった。

1時間50分で終わったこの日の交渉で、 労組側は妥結のために復職方案と解雇期間の補償に関して前向きな修正案を提示したが、 使用者側の立場には変化がなかった。 使用者側は整理解雇の謝罪不可(労使双方の遺憾表明)、 復職当日退社(職員としての一切の権利放棄要求を含む)、 解雇期間慰労金の最初提示案変更不可という立場を固守しているという。 交渉は翌日また開く予定だが、 使用者側の変わりない態度にコルテックの解雇労働者たちと連帯する誰もが沈痛な表情だ。

ハンストを始めて36日になるイム・ジェチュン氏は、 ハンストのテントで連帯訪問に来た人々と一緒にいる。 筆者が写真撮影をしようと要請しなかったのにポーズを取ってくれる。 配慮の思いやりが多い人だ。

ジェチュン氏はいつどこであっても、会えばいつも挨拶して親しくしてくれる。 「ご飯は食べたか?」、「あそこに行ってご飯食べよう」といいながら 連帯にきた人々をもてなしたりもする。 そんなジェチュン氏が本当に有難くて、千軍万馬を得たように心強い。 「コルテックはなぜ来ない? コルテックも取材しに来い」、 「ヨンジョンの本はいつ出る? 俺の本もちょっと広報してくれよ」 滑稽に話した姿も憎くなかった。

7時になるとジェチュン氏が緑のマフラーをして出てくる。 マフラーについて尋ねるのと「FBに書いた」と言う。 わかったFBを見るといった。 「FBに書いた。FB見ないの?」 最近、何か尋ねると、ジェチュン氏のお決まりの返事だ。 体力枯渇が明確に感じられ、可能な挨拶も簡素にしなければならないと考える。

静かな雰囲気でジェチュン氏の最初の発言で文化祭が始まる。 ジェチュン氏は朴栄浩(パク・ヨンホ)社長に書いた手紙を朗読する。

▲ハンスト36日目、イム・ジェチュン氏[出処:ヨンジョン作家]

「コルト・コルテック・ギターの労働者たちに対する整理解雇により、 韓国のギター・ブランドの名声は壊れました。 社長が大田工場に来るといつも気持ちいいと言いましたね? しかしもう社長が良い気分になる韓国ギターはありません。

もし社長が直接対話をしていれば、ここまでは来なかっただろうと考えます。 今からでも解雇者と対話で決断をして、韓国ブランドの名声を立て直せるように心から望みます。

私がハンストをして、ギターへの愛情がとても多いということを感じました。 私は工場に通っていた時、定年退職してもギターを作る仕事をしたいという夢を持っていました。 私はギターの技術しか知らず、今でもギターの話さえすれば楽しくて幸せなギター職人だと言えます。 しかし整理解雇後には夢を捨てるしかありませんでした。

私も自分のからだの状態がわかりません。 眠っていて夜明けに目覚めると、このまま死ぬかもしれないと怖くなりますが、 ここで放棄できません。

社長、私たちは整理解雇で家庭は破綻して、負債だけが残りました。 家族関係はこわれ、信頼を失ったお父さんになりました。 私の最後の希望は家族の関係を回復することだけです」。

ジェチュン氏は手紙文の朗読を終えて、 自分の気持ちを朴栄浩社長が 分かるかどうか、わからないといった。

「私が死ねばそれで烈士のあれもなく... 私が倒れたら、三人が諦めて帰ります」。

ジェチュン氏の話が終わっても誰も拍手しなかった。 拍手できなかった。 司会をした「人権空間弓」のラン活動家が 「みんなが一緒にこの座込場にいる時、 イム・ジェチュン組合員が一番元気付けられる」と応援の拍手を要請すると、 その時やっと参席者たちが拍手する。

交渉、壁を見て対話するようだ

司会者がイム・ジェチュン氏の発言に続いて交渉などの経過報告のために コルテック支会のイ・イングン支会長に発言を要請する。 近くで音響機械を触っていたイ・イングン氏が出てきてマイクを持つ。 コルテック支会で闘争する組合員は3人だ。 イム・ジェチュン氏はハンストをして、 イ・イングン氏は音響を担当する。 そしてキム・ギョンボン氏はコルテック闘争を知らせるために生放送をする。 組合員たちの「一騎当千」の姿勢と、連帯してくれる人たちがいなければ、 ここまで来ることができなかった13年だ。

「昨年から昨日まで、使用者側と交渉する間中、考えたことは一つでした。 壁を見て対話をしているようだということでした。 この交渉状況から一歩も進めないような状況でした。」

イ・イングン支会長は2014年に大法院で整理解雇が正当だと判決し、 会社は謝罪する理由もなく、解雇者を復職させる理由もなく、 解雇期間中の賃金を支払う理由もないと主張してきたと、 これまでの交渉内容を共有した。

「その判決は李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵(パク・クネ)の時に 梁承泰(ヤン・スンテ)大法院長体制下で彼らの政策を助けるために取り引きされた裁判だったという話をすると 『それなら裁判所に行くなり、青瓦台に行くなり、そこに行って話をしろ』と言います。 そんな羞恥と侮辱を受けながら、今日まで交渉を進行しました。 会社の提案は全く同じです。 自分たちが提示した提案から一歩も出ない1cmも進んだ提案を出していません。 むしろ労働組合に修正案を提示しろと言っています」。

会社側は自分たちがこの整理解雇に対する正当性を確保したので、 解雇労働者と対話する必要もないのに、 道義的な次元でこの場に出ていると話したという。

▲火曜集中文化祭に参加した人々[出処:ヨンジョン作家]

もっと放棄しろ? 多くの対立の中に来ています

イ・イングン支会長はコルテック支会がこの誤った判決を正せなければ、 今後、多くの労働者がこの判例によって不当な整理解雇なのに 正当な解雇だという判決を受けるしかないだろうと言った。 しかしある時点になれば、これを諦めなければならない時が来るかも知れないといった。

「ここに座り込み拠点を移して、私たちの闘争目的に固執しないと話しました。 それにもかかわらず、使用者側はもっと多くのことを放棄しろと話しています。 今、多くの対立の中に来ています。 使用者側が要求するまま、もっと多くのことを放棄して、 この戦いを放棄するのがいいのか、 でなければもっと大変でも私たちの目標のために闘争をするべきかという悩みが残っています。」

イングン氏は、交渉の中での悩みを話した。 すべてを打ち破ってこの現場から離れることも考えるという率直な話もする。 だが、この闘争はまさに連帯者たちの闘争なので、 組合員たちが簡単に決められる問題ではないといった。

「これからも、さらに力強く連帯して、 私たちがこの闘争の手綱を自ら置くことがないように一緒にしてください。 そして私たちが誤った道に進めば、正しい道に行けるように、 隣でむちを打ってください。」

コルテック交渉の消息を聞いて多くの人々が文化祭に参加した。 去る1月、426日の煙突座り込みと33日のハンストの末に会社と合意した ファインテック支会5人の組合員も参加した。 交渉があって上京し、コルテック労働者たちの闘争に連帯するためにきたという彼らは、 発言と共にパク・チュノ組合員の「誰も私にこの道を行けと言わなかった」の歌で連帯する。 派遣美術家のイ・ユニョプ氏は朴栄浩(パク・ヨンホ)社長のカリカチュアを描いて コルテック問題解決を要求した。

▲発言している金属労組ファインテック支会組合員[出処:ヨンジョン作家]

言えなかったことは結局忘れられるだろう

交渉の状況が良くなく、雰囲気は重いが、 ほおをかすめる涼しい風が集会にはちょうど良い春の夜だ。 歌手キム・ガヨン氏とムン・ジノ氏で構成された「歌う私たち」が登場して 美しい歌をプレゼントする。 「セウォル号惨事」5周年の日、犠牲者のことを考えながら最初の曲を分ける。

暗い雨が降って 軒の下の子供が泣いて立っている
そのきれいな二つの目に雨水が溜まれば 美しい人だよ
強い風が吹いてくれば 原野にある子供が走って行くよ
熱い胸に風を抱けば 美しい人だよ
新しい白い雪が降ってくれば 山の上の子供すっくと立っているよ
そのきれいな心に歌を鳴かせれば 美しい人だよ
あの人は美しい人だよ
-キム・ミンギ詞・曲〈美しい人〉

▲『歌う私たち』の公演場面(左がキム・ガヨン氏、右がムン・ジノ氏)[出処:ヨンジョン作家]

36日食べず、骨だけにやせこけたジェチュン氏も、 うつろな目つきで音響機械を触っているイングン氏も、 撮影に没頭しているギョンボン氏も、 しばらく憂いをはらって音楽にひたる。 三人とも音楽を愛するコルテック支会の労働者バンド「コルベン」のメンバーでもある。 闘争がうまくいった日、コルベンの音楽をまた聞くはずだ。 「歌う私たち」の二番目の曲は〈帰宅〉という歌だ。

いつからか私たちが会う人々は疲れていた
みんな挨拶のように忙しいと言い 別れるための握手をさらによくしながら
あわただしく あわただしく背を向けていった....
私たちのからだから少しずつ 人のにおいが消えて行くことを知りながら
人間らしく生きるためにと考えていた....
しかし今日書けなかった手紙は 結局書けないだろう
今日言えなかった暖かい言葉は 結局忘れられるだろう
結局忘れられるだろう
-ト・ジョンファン詞・ムン・ジノ曲、〈帰宅〉

黙黙と映像撮影をしているキム・ギョンボン組合員、 彼はどんな気持ちだろうか? ギョンボン氏は今年定年をむかえる。 「どんなに腹立たしいか、大丈夫かと、頑張れと」話したかったが、 結局言えなかった。 今日言えなかった暖かい言葉も結局忘れられることになるのだろうか。

『歌う私たち』の最後の曲は〈常緑樹〉と〈木〉だ。 〈常緑樹〉の歌詞 「私たちが行く道は遠く険しくても 悟って進み最後に勝つ」という歌詞が 意味深く感じられる。

美しく暮らすために戦います

宗教界からの支持発言も続く。 キム・ジョンデ神父は共同体を生きるためには学ぶべきことがあるといった。 コルテックの使用者側はこうした場があることを恥じて、 こうして生きてはいけないということを感じなければならないといった。 キム神父はこの日の夜に宣伝戦をした時にいた子犬4匹の話をする。 深刻にピケッティングをしていた人々が、かわいくて愛らしい子犬の登場で 「武装解除」されられたという。

▲派遣美術家イ・ユニョプ作家が描いたコルテック朴栄浩社長のカリカチュア[出処:シン・ユア(文化連帯)]

「これが人でしょう。 われわれはこうして生きなければならないのに、 そのようには生きられないのは社会構造の問題なのです。 今日、子犬4匹が人生とは何かを私たちに見せました。 なぜ戦うのでしょうか? このように美しく生きたいから戦うのです。 忘れないでおきましょう。」

キム・ジョンデ神父は30年前に修道者の生活をすることを決心した契機を話す。 30年前に半導体会社のエンジニアとして働いていた時、 労働者たちがストライキをしたという。 労働組合の加入対象ではなかったキム・ジョンデ神父は会社の救社隊に連れて行かれた。 救社隊が出来なかったキム・ジョンデ神父は会社を飛び出した。 3日後に会社に戻るのと労組は白旗投降をしていて、 人事委員会が開かれてそこで社長と一時間舌戦を繰り広げたキム神父は 1月に出勤停止処分を受けた。 人事委員会が終わった時、当時キム神父をかわいがってくれた上司が尋ねた。 「キム主任、そこでどう言えばいいのかわからなかったのか?」 「分かっています。 そこでどんな話をしなければならないのか。 しかし、私はそんな生き方をしたくなかったのです」。 キム・ジョンデ神父はその時、その上司が話したように言っていれば、 今自分は不幸だっただろうという。 キム神父は今は幸せだといった。

孤独な涙とつらい離別を抱いてまた待つ春

「コルテックの3人を見ると、これが私が生きたい方式なんです。 皆さんを支持します。 皆さんが生きたいと思う方式を放棄しないでください。 頑張りましょう。 交渉は簡単にはいかないでしょうが、 皆さんを支持する人は多いです。 希望を持って、諦めないでください。」

キム・ジョンデ神父は人が生きることほど重要なことはないとし、 法に臆せずに飼い慣らされるなという要請もする。 コルテック・プロテスタント対策委員会と大韓仏教曹渓宗社会労働委員会からも激励の言葉がある。 文化祭の最後にはダンスチーム「野花」がアンコールも拒まず、 とても疲れただろうに4回のダンスで勇気を奮いたたせてくれた。

▲ダンス公演をするダンスチーム「野花」[出処:ヨンジョン作家]

「朴栄浩社長〜! 謝罪しろ〜!! 朴栄浩社長〜! 責任を取れ〜!!」

力強いスローガンと喚声で文化祭が終わる。 文化祭が終わっても、参加した人々は簡単に帰ることができない。 互いにご苦労さんと挨拶をしながら、安否を尋ねたり、 ジェチュン氏に激励の言葉をかけたりもする。 筆者もジェチュン氏に簡単な挨拶をしてからもすぐに帰れず、 座込場周辺をうろうろする。

コルテック座込場の一角に 「13年コルテック労働者たちの苦痛を終わらせる春」という横断幕がかかっている。 その横断幕がかけられる前に、その場には「3月に終わらせてこそ春」という横断幕がかかっていた。 きれいな姿を誇った桜の花もいつのまにみな散った。 しかし、コルテックの解雇労働者たちにまだ春はこない。 彼らがパッと笑えるその春の日を待ちながら、座込場を離れる。

▲笑っている三人のコルテック支会組合員たち[出処:シン・ユア(文化連帯)]

いつも青く生きる木が 雪が降る冬に真っ白なきれいな服を着て
またくる春を待つ 熱かった夏の日 風雨の中に
孤独な涙と秋の日のつらい離別を抱き またくる春を待つ
また迎える春の日に 一筋の年輪を加えてさらに大きくなった青い夢
両腕を広げ、世の中に広げる さらに大きくなった青い夢を両腕を広げ、世の中に広げる
-ムン・ジノ詞・曲〈木〉より

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


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