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江汀の平和とセウォル号の真相究明は一体だ

[寄稿]江汀平和大行進に参加したセウォル号遺族

チェ・イェリュン(2015江汀生命平和大行進参加者) 2015.08.04 15:27

2015江汀生命平和大行進にセウォル号の遺族が参加した。 7月31日の夜、猛暑の中の4日目の行進を終え、 チュンムン高等学校の運動場に集まった西進行進団にセウォル号の家族が話しかけた。 家族協議会対外協力分科で活動しているジェウクのお母さんは、 416家族協議会を代表して公式に感謝と連帯の挨拶を伝えた。 セウォル号の家族たちは、済州を知るために真っ先に4.3追慕公園に立ち寄り、 二時間も見学したという。 歴史を無視する民族には未来がないということを痛感したといった。

ソンホのお母さんは、済州を知るためには4.3を知らなければならず、4.3にセウォル号を見たという。 つらい歴史を無視すれば、これからもつらい人々が生まれるほかはないと思い、 遺族らは自ら立ち上がって勉強するという。 そして何かを作り出すために、絶えず努力しているという。

ユミンのお父さんは、ムン・ジョンヒョン神父様を通じて江汀との縁が深いと感じるといった。 極限のハンストをしている時にフランシスコ法王に会い、 セウォル号を世界に知らせたことについては、ムン・ジョンヒョン神父様の役割が絶対的だったという。

「済州にはこんなに簡単に来れるんだな」といいながら、来た瞬間からとてもつらかったというシヨンのお母さんは、隣で暮らしていたお母さんやお父さんが、 なぜかこうしてマイクを持つようになったという。 この頃、背を向ける市民が多いと感じても、捉えることはできないと話した。 自分が恥ずかしい生活をしてきたから。 関心もなく、よく知らなかった惨事を知り、4.3を知ってからは本当に恥ずかしかったと。4.3追慕公園を二時間も見て回り、 私が関心もなく暮らしていたから、子供がこうして死んだのかという気がしたという。 懇談会チーム長のシヨンのお母さんは、1周忌が過ぎて、懇談会が少なくなったとし、 だが一週間に一回ずつ家族は講師教育を受けているので、 呼ばなくても私たちが津々浦々を訪ねて行くといった。

隣りに住んでいた話ができないおばさんだったと自己紹介したチュニョンのお母さんは、 九人の行方不明者の話をした。 金曜に修学旅行から帰ってくるはずだった子供たちのことを考えながら、 セウォル号の早急かつ完全な引揚げを要求する毎週金曜のプラカードデモを拡大する計画だという。 セウォル号の完全な引揚げで真実を明らかにして、行方不明者の家族のところに行くと強調した。 とても会いたい、行方不明の犠牲者の名前が書かれている黄色のリボンを取ることができないと言う。 違う服もとてもたくさんあるのに、この服ばかり着ていて、その上寝る時も着ているといった。 笑いながら、明るく行進する人々と共に歩きながら、幸せだったという。 もうぐずぐずせずに笑いながら最後まで行くと話していた彼女は、27cmものチュニョンの運動靴をはいていた。

タヨンのお父さんは二日目から西進行進団に合流し、一緒に歩いた。 子供たちがくやしく死んで行ったので、こうして真実を明らかにするために戦っているのに、 国会で、青瓦台で、光化門で、あらゆる事をすべて体験したが、 多くの国民が連帯してくれたから家族がここまでこれたとし、 連帯の力が希望だと強調した。 山房山で団体写真を撮る時、ソンホの姉、チャンヒョンの姉が子供たちの写真を持って共に写真を撮ったのを見たかと尋ねた。 そこまで気が付かなかった無神経さが恥ずかしかった。 竜山惨事の家族もいて、8月3日の江汀海軍基地反対闘争3000日目の日、 セウォル号は500日が近付いてきて、 大韓民国はすべての人に痛みを与えているが、 連帯の力はとても大きいと強調した。 3日間歩いて江汀の平和のための戦いとセウォル号引揚げと真相究明戦いの共通点について、タヨンのお父さんはこのように感じたと話した。

まず、私たちの意志とは無関係な何かの力が私たちの人生を奪いかねない。 現実の問題に背を向け、ただ一生懸命に生きていくだけでは、 不正と貪欲に満ちた政権になると外勢を頼り、国民の平和と安全を無視して、 利益だけを追求するから。

二つ目に、江汀、セウォル号、竜山の被害当事者が直接動かなければならない。 セウォル号は私たちの人生に近づく危険だと感じられるが、 平和という問題は漠然としか感じられない。 日常の素朴な人生を破壊する重要な問題だという認識で、被害者が動かなければならない。

三つ目、力強い行進に希望を見た。 行進に参加した人々を見ると、セウォル号問題について一緒に戦った人々だった。 江汀、竜山を共に戦った人々だ。 自分のこと、他人のことではなく、私たち皆が連帯して戦わなければならない。

行進をすべて終えた8月1日、 江汀の海軍基地反対闘争3000日文化祭が行われる江汀川運動場にセウォル号の遺族が座り、 幸せな微笑を浮かべていた。 「いつもあなたにとって私がより良い人になれるように、 もっと大きくなって、澄んで、あなたとって良い友になれるように」 という歌詞が鳴り響いていた。

江汀村ミサのテントには、セウォル号の思い出がかかっている。 パク・ジェドン画伯の「忘れません」絵文の連作で、毎日毎日交換されている。 決まった順序ではなかったというが、偶然に8月2日の3000日ミサの後にかけられたのは 2年5組のオ・ジュニョン学生の話だった。 もう泣かずに戦うというジュニョンのお母さんは、その約束をもう破ってしまった。 セウォル号の遺族は翌日、彭木港十字架祝聖式に参加するために直ちに珍島へと向かった。

江汀、竜山、双龍車、セウォル号、 すべての闘争の現場にいたムン・ジョンヒョン神父様のそばに誰かが立っていれば、 本当にうれしい気になり、苦しむ人々の近くにいたという罪で監獄に閉じ込められた朴来根(パク・レグン)。

済州はそのきれいな天気と透明な海ほどに、私たちの歴史の傷をそのまま見せている。 松岳山近くのソサロルムには4.3犠牲者の百祖一孫の墓がある。 1950年8月20日、慕瑟浦警察署の予備検束によりソサロルムで虐殺の犠牲になった人は132人に達する。 遺族は6年も経ってようやく遺体を収拾できたが、骨と肉がばらばらになった遺体を一か所に集めて葬儀をするほかはなかった。

竜山、双龍車、江汀、密陽の犠牲者は彼らに似ている。 そして304人を同じ日、同じ時に飲み込んでしまったセウォル号がそうだ。 それは本来、大きな事故ではなかった。 救助を放棄して、真実を隠して、遺族を侮辱して、9人の行方不明犠牲者の遺体回収さえ責任回避した政府の態度は、 結局彼らを国家暴力の被害者にしてしまった。 だから彼らは済州でまた会ったのだろう。 すでに相当部分できた海軍基地と軍官舎ができた江汀村を離れながら、 熱くて幸せだった大行進の終わりが悲しい余韻を残すもうひとつの理由は、 国家暴力と利益のための船によって殺された彼ら被害者が、 またそれぞれの戦いの日常に戻る足取りが重いからだろう。

[出処:チョン・テギョン]

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2015-08-06 15:24:26 / Last modified on 2015-08-06 15:24:27 Copyright: Default

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