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暴雨の三清洞の夜、叫びながら青瓦台に向かった若い抵抗

飼い慣らされていない青年たちの時代の痛みを抱いて権力と対抗する

キム・ヨンウク記者 2014.06.13 20:54

2014年6月10日の深夜12時。 暴雨が降る青瓦台近くの三清洞総理公館前。 ある青年が警察に押し倒され、花壇に頭をぶつけて意識を失った。 警察もデモ隊も、救急車がくるまで息を殺していた。 周辺の人々は青年の腕と足をもんで彼が無事を祈った。 その残念な時間が15分ほど過ぎ、救急車が傷ついた青年を搬送した。

救急車が出て行くと、警察はまた青年たちを歩道に追い詰めようとした。 道路にいたある青年が話した。 今日は帰るが、次は青瓦台に行こうといった。 彼は仲間が大怪我をした状況で、これ以上の犠牲を出してはいけないとも言った。 誰もが同意する雰囲気だった。 彼らの怒りと抵抗はそれで充分だと思われた。 もう30人以上、アザができ、怪我をして、失神して警察に連行された状態だった。 青年の提案は勇気が足りなかったわけでも、自分たちだけ助かろうということでもなかった。

反対の歩道で警察により止められていたある女性が切実に叫んだ。 「セウォル号を忘れてはいけません。 27年前の今日、1987年6月10日に多くの市民が路上に出たから、 私たちが少しは人間らしく暮らせるようになりました。 セウォル号を忘れてはいけません」。 彼女の声がまっ暗な三清洞の夜空に広がった。

彼女の声を聞いていた路上にいたある女子学生が、かぶっていたマスクを脱ぎ捨てた。 女子学生は、自分が今処している個人的な困難と、ここにいなければならない状況を涙で訴えた。 周辺の青年たちも涙を流した。 声には悲しみと鬱憤でいっぱいだった。

「この体制を変え、あいつらのための権力を押し倒す」

伝導師と自己紹介したある若い男性が続けた。 彼の顔にはやむを得ない状況についての耐え難い気持ちがそのまま表れていた。 彼は体制と権力を変えなければならないと鬱憤を放った。 「神が自分の姿に似せて人間を作ったというが、この社会を見て下さい。 この社会は利益が人間を一人一人と殺しています。 学生が倒れて運ばれても、警察は平然と帰って静かにしていろと言うだけです。 われわれは続いてここに来て、一歩、一歩と進んでこの体制を変え、 あいつらのための権力を押し倒します」

青年たちは雨の中で涙を流し続けた。 青年たちを取り囲んでいたある戦闘警察も頭を下げて涙を流した。 横にいた戦闘警察が彼の肩を抱いた。 時計は深夜12時半になりつつあった。

もうひとりの学生が話を続けた。 「警察が(自主解散しろと)退路を開いてくれたが、 われわれは堂々と前に進みました。 あの青瓦台に行くことはできませんでしたが、それでもあそこに行かなければ、私たちに何ができるのでしょうか」

この日、警察は、青年が安全に帰れるように3-4回も源泉封鎖した道を開いて解散を薦めた。 それだけ若い世代の抵抗の声が公権力と直接対峙する姿を見せたくなかったのだ。

他の学生がその声に続けた。 「セウォル号を追慕するために何時間も道路を歩いて 『今日も追慕したんだなあ、忘れずにいよう』で良いのですか。 青瓦台に行くべきです。 遅くても私たちの足は、警察が開いてくれる青瓦台の反対方向ではなく、 青瓦台に向かわなければなりません」と訴えた。

今日はこの程度にしようと言った青年が、また話を受けた。 彼もこのままでは帰れないと思うといった。 5-60人の青年たちはまた青瓦台側に向かい始めた。 警察はまた彼らを取り巻いた。

警察の指揮官は家に帰る人は全員出すとし、景福宮に通じる交差点の片方をまた解除した。 青年たちは妥協しなかった。 結局、青瓦台に向かい、連行を選んだ。 彼らは連行される間、「利益より人間です」と叫びに叫んだ。 護送車にのせられても叫んだ。 警察の外にいた人々も護送車を防いでまた叫んだ。 時計は午前1時を越え、やっと雨がやんだ。 6月10日午後9時20分から翌日午前1時までに69人が連行されたセウォル号追慕万民大会は、 青年たちの切実な抵抗の声を押しつぶす強硬鎮圧でこうして終わった。

セウォル号に対する負債意識が時代の痛みを抱く抵抗精神に

青瓦台に向けた彼らの止められない抵抗の声は、 既成の世代だけでなく、既存の運動勢力への不信の表出だった。 時代の痛みと適当に妥協するのなら、 民主化以後の新しい時代に進めないことを抵抗で見せているようだった。

その場にいた青年左派所属のキム・ユニョン氏はチャムセサンとの通話で 「これまでのキャンドル文化祭や集会はとても残念な気がした。 遺族が国会と青瓦台に行く状況で、市民団体やキャンドル集会を主導する人たちは、 本来の役割をしていないという気がした」とし 「政府の責任を問う強硬発言をしても、結論は熱心に署名運動をしようということで、 数万人が集まったのに青瓦台と反対の方向に行った。 こんなことでは、また忘れられるのではないかと心配になった」と明らかにした。

ユニョン氏はまた「隠すことができない大きな事件が起きたのに、 与党も民主主義勢力もすべて無能だった」とし 「彼らが責任を取る形ではなく、隠したり、イベントで終わらせる姿に 一緒に行った友人は世の中の素顔がよく見える気がした」と伝えた。

ユニョン氏はその日連行された友人の声も伝えた。 「みんな、捕っても青瓦台に行くとしか考えていなかったそうだ」とし 「これで解散することはできないという共感があり、 それぞれ覚悟を固めて来たが、学生が倒れても何ごともないかのように無関心な警察を見て、 さらに解散したくなくなったと聞いた」

続いて「光州の負債意識を感じた人たちが87年の6月抗争を作ったと聞いた」とし 「われわれは300人の死をはっきり見た人としての負債意識を感じざるを得ない。 (われわれは)今とは違う代案的な政治勢力にならなければと思う」と話した。

人権運動サランバンのミョンスク活動家は 「(その日、青年たちは)あとさきのことを考えずに最後まで戦うということがどのようなものかを見せたし、 後悔なく戦ったのでどんな結果でも受け入れるようだ」とし 「私たちが考え直すべきことは、飼い慣らさない抵抗と闘争の復元ではないかと思う」と話した。

ある労働運動の活動家は 「5月24日、民主労総は鐘閣交差点から青瓦台に行くと宣言したが、 『この数で私たちが青瓦台に行くのか?』という調子だった。 ほとんどが後の方でそわそわしていた」とし 「私たちが忘れていた抵抗精神をあの日の青年たちに見た」と語った。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2014-06-14 12:24:15 / Last modified on 2014-06-14 12:24:15 Copyright: Default

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