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韓国:セウォル号外信報道、被害者の責任転嫁と人種主義 | |
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セウォル号外信報道、被害者の責任転嫁と人種主義[寄稿]儒教文化の強調と新人種主義
キム・ジノン、ホン・ソクチョン 2014.05.07 13:29
セウォル号沈没から3週間経ったが、その衝撃は簡単には静まらない。 例がない人災だっただけに、米国の言論も事故直後に特派員を派遣し、事故原因の分析から遺族や不明者の家族の反応、市民の反応、政府の対応まで、多角的に報道している。 こうした外信の反応は、韓国のマスコミが素早く翻訳して報道されている。 セウォル号関連の外信報道、そして文化CNN、Reuters、LA Timesなど、米国を筆頭とする西欧の主流メディアは、 今回のセウォル号沈没事故の高校生の死亡者が多い原因の一つとして、 韓国独特の儒教文化を指摘した。 CNN:「韓国の文化が子供や青少年に強調することは服従だ。
したがって彼らはおとなに動くなと言われれば、当然動かない。」 この他にもDallas Morning Newsは論説で 「この事故が米国の学生に起きていれば、彼らはどんな方法を使ってもフェリーから抜け出そうとしただろう。 だがアジア文化圏では規定遵守は必須だ」と主張した。 フランスもまた例外でない。 韓国政府の事後対処に終始批判的な意見を堅持してきたルモンド紙は 「儒教の伝統に始まる服従が深く根を張っている」と指摘した。 いつも外信に敏感に反応し、国格を云々する韓国の報道機関と世論だが、韓国の文化を強調する外信の報道姿勢には特別な反応を示さない。 ある人は、こうした西欧中心的な文化分析に積極的な同意を表わすこともある。 だがわれわれは、これらのメディアが惨事と災難を報道する「方法」に関心を持つ必要がある。 言論の報道は大衆が事故を理解する方向と政府の政策に大きな影響を与えかねないからだ。 300人近い莫大な死亡者と不明者を出したセウォル号惨事のような深刻な事件では、 事故の原因を論じるにあたり、メディアはさらに慎重でなければならない。 管理システムの欠陥と経済構造の矛盾などの新しい原因が毎日のように明らかになっているが、 こうした構造的な問題を看過したまま、被害者が属する文化のせいにすれば、実際の事故の原因を明らかにできない危険がある。 文化的分析、新人種主義、あるいは被害者への責任転嫁事故の原因として文化を指摘することが危険な理由は他にもある。 特定国家の独特の文化を強調する分析の根底には、西欧の主流メディアの人種主義的な見解があるからだ。 彼らの主張は、非西欧文化は西欧の文化より劣るという人種主義的な仮定から始まる。 1950年代以後、生物学的な差を基盤として人種的な優越性を確認した旧時代の人種主義は下り坂をたどる。 しかし人種主義は、新しい形で米国社会に深く根を張ることになるが、これがまさに文化的な差を強調する新人種主義だ。 西欧のメディアが文化的な特性を強調しつつ、他人種、他民族、他文化を他者化する過程は非常に頻繁に観察される。 新人種主義イデオロギーは、保守主義政治家、政策マン、学者により、積極的に構成されてきたし、メディアを通じ再生産され続けてきた。 西欧社会はアジア文化(特に東アジアと中東アジア)を固定的で、奇異な、退歩した文化と定形化して、それと同時にこれは躍動的ではなく、近代的ではなく、流動的ではないという観念を生産し続けた。 アジア系を対象とした過度な文化的分析は、米国の主流メディアにより再生産された。 これは似たような二つの事件を分析するメディアの視点にはっきりと見られる。 2007年、韓国系のチョ・スンヒにより32人が死亡したバージニア工大銃器乱射事件の時、多数のメディアはこの事件の原因として韓国文化を指摘した。 だが2012年、アダム・ランザにより28人(そのうち20人は子供)の死者を出したサンディフック銃器乱射事件で、メディアはこれを白人文化(white culture)とは分析しなかった。 米国の主流メディアがセウォル号事故の原因としてセウォル号犠牲者の学生たちの退化した儒教文化を指定することは、これと同じだ。 今回のセウォル号事件をめぐるメディアの報道態度は、東アジア人と東アジア系米国人に対する固定観念(stereotype)が、米国社会でいかに蔓延しているかを改めて端的に示す。 「受動的で従順なアジア系」という固定観念は、単に人種内部の問題ではなく、さらに広い米国社会の人種的な階層内で解釈されなければならない。 モデルマイノリティ(model minority)は、アジア系米国人を白人と黒人の中間階層に位置づけることで、アジア人に特定の人種的役割を強要してきた。 さらに、これは他の人種や少数民族を非難する道具として使われてきたことも事実だ。 米国の保守主義者が黒人の貧困の原因を彼らの文化的特徴(堕落、福祉依存など)と規定すると同時に、アジア系の文化的特徴を米国で成功する原動力として選び、黒人の不平等の構造的な原因を徹底的に隠したことが代表的な例だ。 もちろん、エール大法大のエイミー・チュア(Amy Chua)教授など、特定グループの文化的特性が米国内での成功を左右すると主張する学者は相変らず存在する。 だがアジア系に対する固定観念の否定的な面も、多様な事例から証明されている。 もちろん、多くのアジア人がこうした固定観念を自ら固守しているかも知れない。 ある者は、こうした固定概念がむしろ自分の利益になると信じるが、ある者は他の人種をさげすむための手段としてこうした固定観念を自ら再生産する。 これは、今回のセウォル号沈没事故の報道でも、韓国系ジャーナリストが西欧中心的文化の解釈に同調し、再生産の先頭に立ったことが明確に見られる。 だが明らかなことは、アジア系ジャーナリストが文化中心的な分析に積極的に同意したとしても、その主張の効用性が立証されたわけではない。 今回のセウォル号沈没事故の報道で、文化的特徴を過度に強調する一部の米国主流メディアの態度も、また同様の脈絡から批判されなければならない。 これは韓国人の犠牲者を対象化し、他者化する西欧中心の人種主義的な分析であり、被害を受けた被害者に責任を転嫁する被害者責任転嫁(victim blaming)の典型的な例だ。 災難時の安全指針によって行動することは、東アジア文化圏だけではない。 多くの災害や惨事の時に、ほとんどの人々が制限された行動半径により、個人の判断を留保して安全指針に従う傾向があるためだ。 文化 VS システムセウォル号事故は、文化的な接近よりも韓国の社会システムの失敗を圧縮的に見せる人災と解釈されなければならない。 事件初期のすべての非難は、事故の一次的な原因を提供した船長と船員に集中した。 だが、この事件を個人の逸脱だけに還元することは危険がある。 セウォル号事故は、韓国の社会システムの矛盾を集約的に示す人災だからだ。 事故の初期に船長と船員に降り注いだ非難は、今では事故後の危機管理システムの失敗を示した朴槿恵政権への批判に移っている。 海上警察の消極的な救助の姿勢、変更が続く行方不明者数、「海フィア(海洋水産部+マフィア)」の存在など、政府の理解できない事故後の対処は多くの韓国人に怒りと無気力感を与えるに充分だった。 特に、セウォル号の非正規職問題は、韓国社会の断片を示している。 船長は1年契約職で、全乗務員の半分が契約職だった。 フェリーの運行において、重要な部署であるエンジンや甲板部署で働く船員の3分の2も契約職だった。 契約職として採用された職員に重要な責任を負わせたのに、多くの船員は最低の安全教育も受けたことがないと証言した。 ここでわれわれが分析すべきことは、「儒教」文化ではなく、韓国の「安全および非常対応手続きに関する」文化だ。 重要なことを遂行する職責こそ、正規職で保護されるべきではないか。 文を終えるにあたり多くの韓国人が300人以上の命を奪ったこの悲劇的な事故から、自己反省の時間を持つと同時に、韓国政府と韓国社会全般に重要な質問を投げかけている。 こうした重要な状況で、メディアの役割は独立かつ客観的な報道だ。 むなしい概念の儒教文化に対する分析ではなく、巨視的な構造的な原因から、清海鎮海運と政府、政界とのコネクションなど、事実に立脚した報道を先行させなければならない。 これこそが私たちが彼らの犠牲を忘れることなく、記憶して、時代遅れの固定観念から抜け出す方法だ。
付記
キム・ジノン氏は、ニューヨーク市立大学校大学院社会学科博士課程に在籍しており、ホン・ソクチョン氏は米国の社会運動家でフリーランサー寄稿家としても活動している。この文章は韓国語と英語で同時に作成され、英文はキム・ジノンにより翻訳された。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2014-05-07 15:46:33 / Last modified on 2014-05-07 15:46:34 Copyright: Default 世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ | |