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「法王様は密陽のために祈祷されるの?」

[ルポ]ポラ村合意後の密陽を行く

ハン・スジン記者 2014.03.28 17:23

3月18日、韓国電力公社は密陽市山外面ポラ村の全世帯が送電塔建設補償に合意したと発表した。 韓電は「真摯な対話で合意を引き出した」と経過を報告したが、合意の当事者が他でもないポラ村だったという事実は意外だった。

ポラ村は2012年1月、住民故イ・チウ氏が焼身して亡くなり、密陽送電塔戦いの象徴になった村だった。 さらに去る2月にも、韓電の合意発表に反論する記者会見を開くほど頑なな態度を見せた。 当時、韓電は里長の権限を委任された村代表5人を通じ、39世帯のうち30世帯が合意したと発表した。 住民たちはそれらの代表は委任を受けておらず、住民会の手続きを経ていない不法な態度と抗議した。

だがその後1か月で村代表が更迭され、送電塔工事が再開されると、ポラ村の状況が変わった。 現在、密陽で送電塔が通る4つの面の30の村のうち、韓電と合意していない所は上東面高踏、コジョン、モジョン、ヨス村と府北面ピョンバ村だ。 ポラ村合意のニュースが伝えられてから五日後の3月23日、ピョンバ村を訪れて住民と会った。

▲ピョンバ村入口にかかった横断幕[出処:ハン・スジン記者]

ポラ村の知らせに胸が痛む
それでも戦いは続く

午後も半分が過ぎる頃に到着したピョンバ村の入口には三、四人の住民が村に入る車両を一台一台確認していた。 警察や韓電の職員が村に入るのを防ぐためにだったが、一種の自主的な検問所だ。 住民のペ・スチョル氏は「警察が寺の檀家だと偽って村に入ったことがあった。 登山客が抗議するが、村を守るにはやむを得ない」と話した。

道の一方に置かれたコンテナと木にぶら下げた横断幕は、田舎風景に似合わない緊張感を造成していた。 ピョンバ村には密陽に建てられる送電塔52本のうち7本ができる予定だった。 住民たちは現在、居住地に近い送電塔127番と128番、129番の建設を阻止している。 残り4本はすでに工事が終わった。

「送電塔をぜんぶ建てても一つがつながらなければ送電ができません。 送電塔一本でも命がけで守ります。」

村の状況を説明する住民のイ・ナムウ氏の声に力が入る。 話している間に感情が高ぶるかのように、何度も右手で拳を握った。 そのたびに彼の乾いた皮膚に血筋が浮かんだ。

「初めは個人の資産価値が下がり、健康権が侵害されることを防ごうとして戦い始めました。 しかしもうそんなことは重要ではありません。 人間の尊厳を踏みにじり、社会正義を無視する韓電の工事はとても認められません。 民主主義国家でなぜこんな事があるのでしょうか?」

検問所を通りすぎて、自動車で1分ほど山道を走ると「華岳山ピョンバ村」と書かれた標石が見える。 送電塔129番建設現場は、村の標石から左に100メートルも離れていないところにある。 急な坂に敷かれたとても長い毛布が住民たちがたてた座り込みテントにつながる。 「ああ、田舎らしく暮らしてきたのに都市の試練を味わうとはね」。 先を歩いていたペ・スチョル氏が坂道を登りながら愚痴をこぼす。

▲24日午前、送電塔129番の敷地に掘られた竪穴で住民のパク・フボさんがふとんを整頓している。[出処:ハン・スジン記者]

▲送電塔129番の座り込みテントの前から見る風景。木とビニールで覆われた竪穴から住民のパク・フボさんが外に出る。[出処:ハン・スジン記者]

自分で堀った「墓」に鎖とLPGガスボンベを準備
「全身を縛って阻止する」

山腹にある129番送電塔座り込みテントからは密陽市内が見下ろせた。 華岳山がお母さんの両腕で、平地を抱く形だ。 テントの直前には昨年9月に工事再開の知らせを聞いて掘った「墓」に入る穴が空いていた。 穴には二人がやっと横になれるほどの広さで、深さ1メートルまで掘って木の屋根をのせた。 この日は住民のハン・オクスン氏とパク・フボさんが穴を守っていた。 穴に入る木のはしごの横にLPGガスボンベが眼についた。

「わたしたちはもう警察でも韓電職員でも攻め込んできたら、このガスボンベをからだに縛って阻止するつもりです。 私たちを引き出して殺そうとしても、私たちが生きている限り防ぎます」。

ハン氏が天井の鎖を首にかけて見せながら話した。 穴の中には太い鎖が10本ほど天井に縛られていた。 手が届く距離に鎖を繋ぐベルトが何本かあり、入口と隈にはLPGのガスボンベ3本が鎖に巻かれていた。 ハン氏はポケットから遺書も取り出して見せた。 いつ何かが起きるかもしれないという気持ちで、1年前に遺書を書いていつも身につけているという。 ポラ村の話を聞くと、ハン氏は「知らせを聞いて、本当に胸が痛んだ」とまず言葉をはじめた。

「命がけで防ぐと言っていたのに、お金をもらうと気持ちが変わりました。 この戦いはだめだ、どうせ送電塔ができるんだという気持ちになったのでしょう。 それでも私は死んでも金は受け取れません。 墓穴を掘って、ガスボンベを置いて、死も超越して乗り越えました。 服を脱いで戦ったりもしたので、もう恐いものはありません」。

ピョンバ村の住民たちは、昨年5月と10月にあった工事再開の試みを結局阻止した。 村のお年寄りは警察に押されて地面に倒れて失神を繰り返しながら、上着を投げ捨てて裸で防ぎ、送電塔ができる土地から退かなかった。 「人がいるから法がある、人がない法に何の意味があるのか」。 パク・フボさんがまた思い出したくない記憶を話した。

座り込みテントから降りて、ペ・スチョル氏の1トン トラックに乗ってピョンバ村のもうひとつの座込場がある127番送電塔へと向かった。 ペ氏はポラ村の合意の事実が「理解できず、信じることもできない」と話した。 「全部合意したわけではなさそうだ」とも話した。 トラックはくねくねと曲がる急斜面の横の128番送電塔の敷地を通った。 フォーククレーン一台が輪に錆ついたまま放置されていた。 昨年、工事を再開するために韓電が持ってきて置いて行ったものだった。 おかげでフォーククレーンは送電塔128番の敷地で表示板の役割をしていた。

▲127番送電塔座込場入口のペットボトルの植木鉢にチンダルレとショウガがささっている。[出処:ハン・スジン記者]

「警察は犬よりひどい」

127番送電塔座込場の入口には桃色のチンダルレと黄色いショウガが挿されたペットボトルの花瓶がまだ終わらない冬の勢いを追い出していた。 この前、住民を訪ねてきた若者たちが作ったものだそうだ。 127番座込場は、マスコミの報道写真によく登場して有名になったソンおばあさんと住民3人、連帯に来た若者2人が守っていた。 地面に新聞紙を広げ、持ってきた食卓を広げてソンおばあさんは胸中に閉じ込めておいた言葉を取り出した。

「私の気持ちは一つだよ。 ここに横になっていると夜にみみずくが泣く声が聞こえます。 私の気持ちはこんなに苦しいのに。 みみずくよ、あんたは良いね。 私がバカでなければ文を書いて、君の口にくわえさせてやるのに。 そうしたらお前が青瓦台まで飛んで行って、地面に落として、誰かがそれを開いて読むんじゃないか。 気持ちははっきりしているのに、表現できないから苦しくて死にそうだ」。

ソンおばあさんが話している途中に座込場の扉の前を守っていた犬のドンドンがほえた。 住民のひとりが外を見回して戻ってきた。 見知らぬ人がくる時だけほえるドンドンがなぜ突然ほえたのか、言葉が行き来した。 黙って話を聞いていたソンおばあさんが、また口を開いた。

「警察は私たちのドンドンよりひどい。 ドンドンは一度きた人にはほえません。 人間10人より良いです。 ドンドンがいなければ、私たちが夜に眠ることもできず、みんな起きていなければいけないから」。

山の闇は早い。尻尾を振るドンドンを後にして、129番座込場に移動した。 水が貴重な127番座込場の手一つでも減らすためだった。 携帯電話の照明をつけてまた上がった129番座込場では、お年寄りたちがドラマを見ている真っ最中だった。 平穏な雰囲気もしばらく、電話を受けたある住民が、外からの便りを伝えた。 警察が夜明けに座込場に来るかも知れないという内容だった。 もしそんなことが起きれば、取材カメラでぜひ写真を撮ってくれと要請された。

幸いピョンバ村は静かな朝をむかえた。 だがいつでも突然こわれる不安定な静寂でしかない。 住民のチャン・ジェブン氏は最近の村の雰囲気はどうかという質問に、迷うことなく「最悪」だと答えた。

「ポラ村で起きたことが何日か前にこの村でも起きるところでした。 住民1人がデモに出られない家に行って合意書に印鑑を貰っていました。 私たちが行って、書類の束を奪おうとして小競合いになって大騷ぎになりました。 ポラ村も水面下で作業していたのかもしれませんが、あっという間にみんなやられました。 実はその人も被害者でしょう。 原因は韓電が提供したのです。 なぜこんなことになったのか、本当に胸が痛みます」。

▲「法王様がお祈りしてくださるでしょう」。コンテナの食堂の前で話すピョンバ村住民のサラおばあさん[出処:ハン・スジン記者]

フランチスコ法王の密陽訪問を

コンテナ食堂の前では朝食を終えたサラおばあさんが太陽の光を浴びていた。 30年前に健康を回復するためにピョンバ村にきて住み始めたというサラおばあさんは、都市よりさらに多くを教えられ、さらに多くの愛を感じさせてくれる田舎の生活を昔話をするかのように話した。 毎日1時間歩いて聖堂に行ってきたりしたのに、小道でおばあさんの心を捕えたきれいな木と花が忘れられないという。 ひとしきり過去の話をしたサラおばあさんは、ぜひ言いたいことがもう一つあると、両手で記者の腕をとらえた。

「25年前にヨハン・パウロ2世法王様がいらっしゃった時、あの方が車から降りてひざまずき、土地に口をつけられました。 フランチスコ法王様もいらっしゃればそうされるでしょう。 しかし法王様が明洞聖堂でミサをして、陰城のコットンネにしか行かないそうですが、ここにいらっしゃらないのが残念で。 あちらも招いているので行かないはずがないでしょうが、密陽に来てほしいと言う教友たちもたくさんいたはずでしょう? もし密陽にいらっしゃらなくても、あの方はお祈りをしてくださるでしょう。 深い気持ちで、してくださるでしょう」。

手を振りながら見送るお年寄りたちの頭の上に送電塔工事の資材を運ぶヘリコプターの声が騒がしく通り過ぎた。 (記事提携=カトリックニュースいまここ)

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2014-03-30 21:19:30 / Last modified on 2014-03-30 21:19:31 Copyright: Default

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