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韓国:靴下工場の女工がタイ労働運動のリーダーになるまで | |
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靴下工場の女工がタイ労働運動のリーダーになるまで[インタビュー]ウォレワン・セティエ、第17回チ・ハクスン正義平和受賞者
ハン・スジン記者 2014.03.14 11:01
「韓国のチ・ハクスン正義平和基金がタイの労働運動に関心を持つとは思ってもいませんでした。 賞を受けて本当にうれしくて光栄です」。 タイ労働者連帯委員会のウォレワン・セティエ副議長が大きな目をパチパチさせながら話した。 縫製工場労働者の出身で、タイ労働組合の多くの労働運動団体の連合組織を率いる彼女は3月11日、第17回チ・ハクスン正義平和賞を受賞した。
▲第17回チ・ハクスン正義平和賞を受賞したタイ労働者連帯委員会のウォレワン・セティエ副議長(c)ハン・スジン記者 1956年にタイ北東部のコンケンで、貧しい農夫の長女として生まれたウォレワン副議長はその頃、同じような境遇の同年代の人々がそうだったように、18歳で金を稼ぐために首都バンコクに上京した。 工事現場の日雇い、食堂従業員、家事手伝いなど、さまざまな雇用を経てナイロン靴下工場に就職し、なんとか安定した職場を得るようになった。 しかし就職をしたという安堵のため息もしばらく。 彼女の目の前で繰り広げられていたのは、正義や平和といった単語が贅沢という劣悪な労働の現実だった。 「一緒に働いていた同僚が何の理由もなく解雇されることはよくありました。 それは正しくないことでした。」 ウォレワン副議長は同僚について労働者の勉強会に参加して、労働者が不当解雇のような不合理なことを体験する現実に目を開くことになった。 彼女が組合員になって、労組活動に積極的に参加したのは当然の順序だった。 労組活動を通じて他の工場の労働者に接し、視野はさらに広がった。 労働者である自分と同僚の暮らしを良くしようとすれば、 「一工場の問題だけで解決するのではなく、全てのタイ労働者の問題を一緒に解決しければ」だった。 ウォレワン副議長は1984年に自分が働いていた工場があるオムノイオミャイ工団内の他の労組と連帯してオムノイオミャイ労働組合連合を設立し、労働者センターを開いた。 続いて1990年の社会保障法制定を要求するハンスト込み、1992年の母性保護制度改善運動、1993年のオムノイオミャイ工団内のおもちゃ工場の火災による労働者人命被害補償要求活動などに積極的に参加した。 一連の活動は、社会保障法と母性保護法制定、90日の有給出産休暇争奪、労災死亡労働者追慕の日の制定等でタイ労働者の福祉政策の根元を作り、労働環境の改善に多くの役割を果たした。 そしてこうした経験は、彼女を全国単位の労働活動家にした。 ウォレワン副議長は10余年間、女性労働者連合とタイ労働者連帯委員会議長を次々と歴任した。 彼女は「活動経験が重なってそうなった」と謙虚に表現したが、男性中心のタイの労働運動界で、女性労働者が女性だけでなく、男性労働者の信頼も得ることは珍しいことだった。 そのためタイの多くの女性労働活動家は彼女を自分の「ロールモデル」にしているという。
▲社会保障法改革に関する労働者の要求を政府に伝えるウォレワン・セティエ(写真提供/チ・ハクスン正義平和基金) 最近、ウォレワン副議長が集中している問題は、社会保障法の拡大だ。 1990年に学生と労働者の連帯闘争でやっと勝ち取った社会保障法は、労働者本人と1〜12歳の子供の医療保険を提供し、退職後には年金を保障する労働者福祉政策だ。 法の適用範囲を現在の正規職労働者から、農民、非正規職労働者、移住労働者などに広げ、対象となる子供の年令も12歳から20歳まで拡大するのが改正運動の主要内容だ。 ウォレワン副議長は対象範囲が拡大すれば、タイ人口の半分を少し越える3千800万人が福祉の恩恵を受けられると予想した。 ウォレワン副議長は労働者だけでなく、女性と農民、児童、移住民など、疎外され貧しい多様な階層の人々を代弁した。 その理由を尋ると「労働者の労働と、それ以外を区別できない」という明瞭な答が戻った。 労働者は働いている間に工場にいるが、退勤した後には地域社会と家庭に属するためだ。 また工場を出て地域共同体を中心に行う活動は、どこかの工場の労働者だけでなく、さまざまな工場で働く労働者たちも共に恩恵を享受できる。 「私が暮らしている地域で同僚が運営する小額の貸し出し事業がその中の一つです。 緊急にお金が必要な労働者に低利で金を貸す活動です。 突然解雇され、生活費がなくなったり、家で大変なことがあった時、労働者が銀行やサラ金から高利の借金をして、大きな負担を背負うことを防げます」。 ウォレワン副議長のような多くの労働者の献身的な努力のおかげで、労働者の基礎生活と権利を保障するためのさまざまな制度が作られた。 しかし、数十年経っても雇用不安と低賃金という慢性的な問題は依然として残された宿題だ。 「最近、工場廃業と生産ラインの縮小が増え、雇用を失う労働者も増加しています。 会社があげる理由は費用です。 賃金が高すぎるというのです。 そしてミャンマー国境と近い地域に工場を作り、ミャンマーやカンボジアなどから来た移住労働者を雇います。 未登録移住労働者は労働法の保護を受けられず、最低賃金以下の給与になります。 事実、最低賃金も実際の物価を反映していません。 現在の最低賃金は一日300バーツ(約1万ウォン)ですが、物価は上がり続けています。 この数年間、チャーハンの値段は2倍に上がって40バーツもします。 家族を扶養するのは不可能な金額でしょう。」 ウォレワン副議長は似た境遇に置かれた韓国の労働者たちにも応援のメッセージを伝えた。 彼女は「労働者自身が動かなければ、何も変わらない。 戦い抜いて変化を夢見れば、私たちの人生は必ずもっと良くなります」と話した。 彼女の要請は、一つの国の労働運動を率いる指導者である前に、37年間、休むことなく工場の作業台の前を守ってきた労働者が汗の雫で作った信頼だった。(記事提携=いまここ) 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2014-03-15 23:29:34 / Last modified on 2014-03-15 23:29:34 Copyright: Default 世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ | |