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「私の中の砦」になった双竜車二人の話

7日ブック・コンサート...苦痛と痛みが楽しさと混ざりあう

チョン・ジェウン記者 2014.03.09 09:19

2009年の双竜自動車労働者たちの77日玉砕ストライキを扱った短い映像の最後の「頑張れ!」という字幕が目を引く。 警察兵力が大規模な整理解雇に反対する労働者のストライキを無惨に徹底的に踏みにじる場面だ。

この話はハン・サンギュン前双竜車支部長とキム・ヒョク全国金属労組政策企画室長が闘争の過程で互いに「砦」になったことを象徴する意味深い話に聞こえる。 竜山惨事の傷痕がなくなる前に、双竜車平沢工場の屋上にコンテナを持ち上げて、棒・盾と電気銃で武装した警察兵力と、その後についてくる私設委託警備、一時は同僚だった救社隊の合同作戦に労働者が言える言葉は「対話をしないのならいっそみんな殺せ!」という絶叫で頑張ることだった。

映像は3月7日午後7時、ソウル市鍾路区の曹渓寺で開かれた双竜車闘争記録小説「私の中の砦」ブック・コンサートで上映された。 この場は、もう5年も経ったのに現在も進行形の双竜車事態を共有しようとする人々で一杯になった。 またハン・サンギュン前支部長とキム・ヒョク室長、そして作家のコ・ジン氏の率直な話を聞こうとする人々が押し寄せた。 夜の閑静な曹渓寺の境内は少しの間ではあるが、有名な映画スターのサイン会のような錯覚を呼び起こした。 チョン・ヘシン精神科専門医は「こんなにおもしろいブック・コンサートは見たことがない」と話した。

華麗な「レッドカーペット」の代わりに「監獄収監年数は誰にも劣らない」というユーモアが流れる「星の祭り」は、2009年の苦痛と痛みの記憶が再構成され、愉快さと混じりあった。

全南機械工高同期、ハン・サンギュン前支部長とキム・ヒョク金属労組室長
24冊の日記と作家の心配の中で生まれた本
印税は全額損賠仮差押えで苦しむ労働者のために使う

ハン・サンギュン前支部長はブック・コンサートで 「『私たちの同志』になった多くの人々と痛みと喜びを分けあった時間を忘れない」とし 「その時の私とキム・ヒョク室長の話の一部が本に埋めこまれている」と話した。 それと共に彼は「工場に戻れば組合員が集まった場で皆さんの祝賀を受けて、言い尽くせなかった話をする」とし、人々に感謝の言葉を伝えた。

キム・ヒョク室長は「ブック・コンサートも初めてで、こうして前に立つと何を話せばいいのかわからない。当惑する」とし 「いっそ集会で司会をしろと言われたほうが楽だ」と話し、一気に笑いが爆発した。

〈私の中の砦〉はハン・サンギュン前支部長とキム・ヒョク室長を主人公として2009年の「77日間の双竜車ストライキ闘争」を扱った記録小説だ。 民主労総のキム・ジンスク指導委員は巻末の文で「『双竜車』は、いつからかこの時代の迫害される人々の象徴になった」と書いた。

特にハン前支部長とキム室長の格別な縁は、小説出版の背景になった。 双竜車ストライキ闘争で二人は全南機械工高の同期で、隣のクラスの友達だったことを知る。 この事実は2009年4月7日、双竜車会社が2646人への整理解雇計画を発表し、ひとりは労組の委員長として工場の中で、ひとりは金属労組活動家として工場外で、深い苦悶に陥った二人が酒を一杯傾ける素材になった。 1980年5月の光州民衆抗争を共に経験した二人の少年が、五十になってストライキの現場で互いを知ることになったのだ。

ハン前支部長は「互いに会っても、あまり話もせず地味だった」とし 「偶然、鶏の丸焼きとビール割り焼酎を一杯飲む席で、『あ? こいつは5.18に錦南路も知っているのか?』し言うので、キム・ヒョク室長が隣のクラスの友達だったことを知った」と回想した。 続いて彼が「双竜車ストライキが終わってまた安養刑務所で会った。 終わらない因縁の続きが別名『国立大学』卒業につながった」と話し、ブック・コンサート長は笑いの海になった。

▲舞台左からハン・サンギュン前支部長、キム・ヒョク室長、コ・ジン作家、そして司会をしたイ・チャングン双竜車支部企画室長が座った。

ハン前支部長は2008年12月、双竜車労組の選挙で民主連合代表として立候補して当選し、「大衆闘争の指導者として乱れることなく」 77日間の双竜車ストライキ闘争を率いた。 3年間の監獄暮らしを体験した後に彼はまたムン・ギジュ副支部長、ポク・キソン非正規職副支会長と共に171日間の平沢工場前での鉄塔座り込みに突入した。

キム・ヒョク室長と小説を執筆したコ・ジン作家の縁も通常でない。 二人は大学の同期だ。 コ・ジン作家は2009年の友人会で偶然、キム・ヒョクの友人が双竜車ストライキで拘束されたという消息を聞き「カッとした」という。 彼は「友人がこんなに苦労しているのに、私は暮らしで忙がしがっていると思うと申し訳ない思いと自己恥辱感がわいた」と回想した。

コ・ジン作家のこうした気持ちが〈私の中の砦〉を世の中に送り出した。 この本は彼が執筆した初めての小説だ。 「まずキム・ヒョクの友人と会わなければならないと考え」る作家の心配に充ちた歩みと2年間の時間、周辺の同僚の提案が彼に文を書かせる勇気を与えた。 ブック・コンサートで心境を聞く司会者の最初の質問に、 彼は「私がしたことはほとんどなく、二人が険しい道を歩くことになったのを聞いて偶然に書くことになった」とし 「ブック・コンサートも初めてで、文を書いたのも初めてだ」と話した。

▲ブック・コンサートはハン・サンギュン前支部長、キム・ヒョク室長、コ・ジン作家、キム・ジンスク指導委員、チョン・ヘシン精神科専門医がゲストになった。民衆歌手のパク・チュン氏とインディバンド「ディアクラウド」の公演、ソン・ギョンドン詩人の詩の朗読がブック・コンサートを豊かにした。パク・チュン(写真)氏が歌公演をしている。

何よりもキム・ヒョク室長が監獄に収監されている間に書いた24冊の日記は本の骨組みになった。 コ・ジン作家は「24冊の日記を読んだ。 一日一冊ずつ読んだ。 久しぶりに筆写された文を読んで、目が痛くて大変だった」とし 「事件ごと、人物ごとに分類して、悩んで2か月かかった。2013年の初めから文を書きはじめた」と明らかにした。

キム・ヒョク室長はこれについて「ある日、労組活動をする仲間が監獄に面会にきて『一度手記を書いてみろ』とし 『私の主題にどんな形ですべての力を込めるか』と言った」とし 「しかし考えてみると自分で振り返る時間がなかった。 自分を整理する時間をかけるために日記を書き始めた」と話した。

キム・ヒョク室長は2001年の大宇自動車座り込み闘争、2003年の明洞聖堂移住労働者闘争、そして2009年の77日間の双竜車ストライキ闘争に至るまで、3回の大きな闘いを経て、3回とも拘束された。 学生運動の時もいれて6回監獄に拘束された。 コ・ジン作家は本で彼を「闘士」と表現した。

一方〈私の中の砦〉の出版印税の全額が損害賠償と仮差押えで苦しむ労働者たちとその家族のために、アルムダウン財団の緊急支援事業の〈黄色い封筒〉に寄付される。

曹渓宗労働委員会委員長のチョンホ僧侶は、ブック・コンサートで「韓進重工業のチェ・ガンソ氏が2012年に亡くなった。 双竜車の整理解雇勝訴判決があったが、労働者たちは損賠仮差押えでしばられている」とし 「合法的な労組活動も資本の弾圧が激しくて残念だ」と明らかにした。 チョンホ僧侶は続いて「見たことも聞いたことも触ったこともない損賠仮差押えで、亡くなる事件が多いようだ」とし 「この本〈私の中の砦〉を多くの人に読んでもらいたい」と話した。

付記
チョン・ジェウン記者はメディア忠清の記者です。この記事はメディア忠清にも掲載されます。チャムセサンは筆者が直接書いた文に限り同時掲載を許容します。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2014-03-10 18:45:38 / Last modified on 2014-03-10 18:45:38 Copyright: Default

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