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〔週刊 本の発見〕『戦争に抵抗した野球ファン―知られざる銃後の職業野球』 | |
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「戦前」の空気とは?『戦争に抵抗した野球ファン―知られざる銃後の職業野球』(山際康之 著、筑摩書房、1800円)評者:大西赤人
第二次世界大戦(太平洋戦争)終結から既に丸八十年が過ぎる今日《こんにち》、僅かながらも「戦前」の空気を吸ったことがある人は八十四歳以上、実際に「戦前」の空気を知り、覚えている人となれば概ね九十歳以上と考えられる。年若い世代から言えば、�爐い弔泙任眤臉里力辰鬚靴討い討匹Δ垢襪里澄2罅垢寮犬泙譴討發い覆せ�代の出来事に関して、なぜ責任や義務を課され、罪悪感まで押し付けられなければならないのだ�瓩箸いο辰砲覆辰討靴泙Α�実際、特に若い世代の支持を得る近時の表現者、新興政党などは、日本という国の根本的姿勢を取り上げる際、概ねそういう論理に基づく物言いで共感を得ているように見える。 「国家総動員体制」とか、「進め一億火の玉だ」とか、「ぜいたくは敵だ!」とか、「欲しがりません勝つまでは」とか、言わば�燹崟鐐亜廚龍�気�瓩魎兇犬気擦襯�ーワードは知識として持ってはいるものの、当然ながらそこに実感はない。極めて抑圧的だったであろうそんな時代でも犯罪は起きていたに決まっているし、私利私欲に満ちた汚職も詐欺も発生していたに違いない。ちなみに、犯罪の極北たる殺人に関して法務省の犯罪白書(昭和51年版)は、「戦前では、昭和5年から増加し始め、7年には2,246件を数えてそのピークに達した。その後は減少して、20年には689件となっている。戦後は,終戦を境として急激な増加を見せ、29年には2,738件にまで達した」とある。これは、終戦の年の著明な減少とその後の回復(?)を見れば、�燹崟鐐亜廚龍�気�瓩涼罎膿与瓦�律せられていたというよりは、犯罪に走る余裕さえなくなっていたのではないかとも想像される。 一方、そのような挙国一致の�燹崟鐐亜廚龍�気�瓩飽媼嬰�または無意識的に抵抗していた主体として、後年に評価される例もある。日本の場合、その一つはプロ野球――職業野球と言えよう。本書『戦争に抵抗した野球ファン』は、大西にとって非常に興味をそそられるタイトルだった。日本のプロ野球は1936(昭和11)年に七球団で日本職業野球連盟が発足してリーグ戦を開始、その後、日中戦争開始、太平洋戦争開始を経て、1944(昭和19)年の公式戦中止に至るまで、まさに戦前、そして戦中を懸命に通り抜けた存在ということが出来る。外国人選手の名前を日本人風に改めた、ストライク、ボールなどの英語用語を日本語に変更したなどのエピソードは良く知られているけれど、それ以外にも、お上《かみ》からの因縁にも等しい要求を何とかこなして(いなして)試合開催にこぎつける四苦八苦の様子が描き出されていて面白い。 元々野球好きである大西としては、名前には十分馴染みがあるけれど当時の詳細を知っているとまでは言えない過去の名選手――沢村、スタルヒン、景浦、苅田、三原、等々――が登場すると、彼らの情報をインターネットで検索・確認しながら読み進めるという状態で、なかなか残りページが減らなかった。また、今でも時おり車でそばを走ることのある総合体育館「上井草スポーツセンター」(東京・杉並区)が、昔は職業野球の開催球場であったことなども初めて知り、驚かされた。 言ってみれば�猴靴哭瓩任靴�ない野球に対する時局の圧力を避けさせるために知恵を絞った球団経営者の姿勢は、「抵抗」と呼ぶに値する能動だったかにはいささかの疑問があるし、ファンについても、山際が末尾部分で球場という�狆讚瓩砲弔い董宗� 「そこには、醜い争いごとなどない、明日への希望があった。命を奪い、社会を崩壊させていく戦争に対する怒りを意思表示する場でもあった」 ――と述べているあたりは、むしろ過褒とも感じられる。とはいえ、後になれば滑稽であり、それ以上に悲惨でもある改名や言い換え等々によって何とか圧力を免れようとした職業野球の苦心惨憺ぶりは、一読に値するものと感じる。 一点、本書の末尾には「引用・参考文献」として、三百点にも及ぶ書籍、新聞、雑誌、資料、映像等が列記されている。従って、本文中では一つ一つの出典は略された形で様々な出来事が活写されているのだが、先に記したようにインターネットで検索しながら読んでいると、時系列的に幾分の前後や不可解が感じられる箇所があった。言うまでもなく、インターネットの情報のほうが確実とは限らないので、どちらが正しい、間違っていると述べることは出来ないものの、途中、なにがしの混乱を覚えたことは確かである。 Created by staff01. Last modified on 2025-10-03 11:41:15 Copyright: Default | |