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〔週刊 本の発見〕『カミカゼの幽霊 〜人間爆弾をつくった父〜』 | |
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搭乗員全員が特攻を「熱望」した『カミカゼの幽霊 〜人間爆弾をつくった父〜』(神立尚紀 著、小学館、1800円)評者:大西赤人
ただ、兵員が生還する可能性は皆無の――少なくともその生還を一切想定していない――神風特別攻撃隊に代表される「特攻」については、常にどうにもいたたまれない想いで触れていた。日常においても我々は「必死の思い」「死守」「決死の覚悟」「死ぬ気」「死闘」というような表現をしばしば用いるけれども、当然ながらそれらはあくまでも比喩としての表現である。私心を捨てて大義に身を挺するという美化がいかに付加されようとも、個人を抹殺する戦時の国家のありように対して、いささかの共感も覚えることは出来なかった。しかも、いわゆる特攻機という場合は既存の航空機が転用されたわけだが、戦争末期になると、悪く言えば「一回使い捨て」の道具として、ごく簡便な兵器が開発されて行く。帰投能力、操縦性、乗組員の防護、脱出方法などは二の次、三の次、ほぼ不要な要素と化し、人間魚雷『回天』、小型モーターボート『震洋』、そして本書で採り上げられているロケット機『桜花』などが作り出される(しかも、これらの兵器に関しても、やはり人心に訴えかける日本的名称が付される)。 『桜花』は、当時、爆撃機から投下されて遠隔操作で標的を狙って滑空するというコンセプトで開発中だった対艦ミサイルの発展(?)形である。無線誘導は容易ではないので、「これを操縦する人が乗って飛行機から発射すれば、複雑な誘導装置に頼らずとも動く敵艦に命中させられるだろう」という発想自体、そもそも理路を喪っているのだが、当時の絶望的な戦況の中では、それとても起死回生の手段として認められたのである。そして、『桜花』の発案者とされる大田正一は、海軍航空隊の偵察員として日華事変当時から経験を重ねた歴戦の勇士だった。『桜花』の採用時から自身の出撃を望んだもののかなわず、敗戦直後の1945年8月18日、『桜花』の訓練基地となっていた神之池基地(現・茨城県鹿嶋市)を飛び立ち、公式には行方不明・死亡と記録された。ところが、実際には大田は海に不時着して漁船に助けられ、戦後は戸籍を失くしたまま全くの別人・横山道雄として生まれ変わり、それまでとは異なる家庭――妻子をも儲けながら、1994年12月まで生きつづけていたというのだ。 2014年、既に故人となっていた横山道雄の家族から連絡を受けた著者・神立は、半信半疑のままに取材を開始する。言うまでもなく大田本人の声を聞くことは出来ないが、二度目の配偶者、息子、その妻の話を聞き、過去の大田を知る戦友たちの証言を集め、横山=大田であったと確信する。彼が身を隠した理由は戦犯として追及されることを恐れたからとの想像は容易だが、神立は、『桜花』の発案者が実際にはより上層部の誰かであり、大田は対外的ダミーだったのではないか、そのために身を隠したのではないかという推測をも示す。 「回天が黒木中尉、仁科少尉という若手士官が考案したものであったように、上から死を命じるのではなく、『現場の将兵が発案』した体当たり兵器を『自ら乗っていくという熱意』に動かされ、やむにやまれず採用する、つまり下からの自然発生的な動きから始まったという流れになることは、上層部にとって好都合だった」 この推測が正しいかどうかは、もはや判らない(あくまでも大田のアイデアであったとする見方も有力らしい)。しかし、当時の日本のありようを想う時、さもありなんと感じさせるものではある。 「先任搭乗員の宮崎勇上飛曹が、司令の言葉が終わるやいなや二、三歩前に進み出て、整列している下士官兵搭乗員を振り返り、 これは、生還することのない『桜花』への搭乗員募集に際し、「熱望」「望」「否」のいずれかを記入するよう求められた茂原基地の描写であり、当然ながら神立の想像である。しかし、無形の絶大な圧力を受けながら、あくまでも個々人の自発的な意志の現われという体《てい》で死を受け容れるという光景は、これもまた極めて現実感を伴う。また、これは歴史的事実として、敗戦までに『桜花』は十回の出撃を数え、55名の搭乗員が戦死、親機・一式陸攻の搭乗員は365名が戦死。一方、その�狎鏖稔瓩蓮∧導し海里い困譴盒鄰犂錬雲彪眥澄■伽病臟暴�籍、1隻大破、3隻損傷、戦死者合計149名だったという(Wikipediaより)。 *「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人、志水博子、志真秀弘、菊池恵介、佐々木有美、根岸恵子、黒鉄好、加藤直樹、わたなべ・みおき、ほかです。 Created by staff01. Last modified on 2023-08-03 20:42:55 Copyright: Default | |