| 松本昌次の「いま、言わねばならないこと」第一回「天声人語・異論」 | |
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批評コラム連載開始!
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー いま、言わねばならないこと第一回・2013/4/1「天声人語」異論 松本昌次(編集者・影書房)朝日新聞一面の評判のコラム「天声人語」は、つとに「名文」の誉れ高く、朝日カルチャーセンターなどでは、元筆者などが「文章教室」を開いて、「文章表現を磨くお手伝い」をしてくれるそうである。しかし文章表現を磨く前に、「天声人語」子は、いま何を言わねばならないか、その中身をこそ磨かねばならないのではないか。その二、三を取り上げたい。 その一は、三月二十一日、「イラク戦争から10年の節目」に当たっての中身である。「リーダーは心して選びたい。」にはじまるその文章は、「どちらかの大統領が別人」だったら、「米軍4487人、イラクの民間人12万人。」の命(わたしだったら、イラクの死者を先に書く)は、消えずにすんだだろうと訴えつつ、当時の小泉首相が「即座に開戦を支持」することによって、「日本は対米追従にとらわれ、大義なき戦争に加担してしまった」とある。まるで他人事のような書き方ではないか。では、マスコミの最前線に立つ朝日新聞は、終始一貫、イラク戦争に反対の論陣をはりつづけただろうか。正確な報道をしつづけただろうか。夫子自身の「対米追従」「戦争加担」に対するひとかけらの自己批判もなく、それが「名文」といえるかどうか。文章はさらに「自主の外交」の重要さを説いているが、わたしは「自主の朝日」をこそ、朝日新聞を物心ついた時から購読しつづけている読者として、切に希みたい。 その二は、翌日の三月二十二日、NHKのラジオ放送開始(1925年)の記念日についての中身である。冒頭から、ラジオが「国策の宣伝」を担ったことを認めつつ、「破局に至る熱狂は、朝日などの大手紙とラジオの共作」と、あたかもみずからの果たした役割を省みているかのごとくであるが、果たしてそうか。「破局に至る熱狂」とは何か。「天声人語」の「文章教室」では、こういう曖昧な表現を教えるのだろうか。新聞とラジオが、戦争遂行に全面的に加担することで国民を熱狂させ、敗戦の破局に至った、でいいではないか。「世が一色に染まらぬよう、確かな情報を選び取る力を養いたい。」とおわりにあるが、権力に屈せず、確かな情報を伝える精神こそ、まず養うべきであろう。 さて、その三は、またその翌日の三月二十三日、桜の開花についての中身である。桜に関する蘊蓄(うんちく)がいろいろ書かれているが、ふと、「明るく咲きながら、せかされるように散る様が、かつては兵士と重ねられた。」とある。なにが「兵士と重ねられた」か。戦争を知らない若い世代は、これをどう読むだろうか。「兵士」はパッと咲いてパッと散る桜のように、戦場で潔く死んでこいと、かつて教えられたのである。桜が悪いわけではないが、桜のイメージは汚辱に満ちている。「貴様と俺とは同期の桜/同じ兵学校の庭に咲く/咲いた花なら散るのは覚悟/見事散りましょ国のため」。「兵学校」を自分の学校に入れかえて、歌わせられたものである。本居宣長の「敷島の大和心をひと問わば朝日に匂う山桜花」までが利用され、特攻隊に「敷島隊」「大和隊」などと命名し、まさに若い命が散っていったのである。そうした無残な桜にまつわる現実を。「兵士と重ねられた」と書くのが「名文」なのだろうか。 桜について書くならば、いまごろは満開の千鳥ケ淵の桜並木の先に三十二万余の無名戦士の骨が眠る千鳥ケ淵戦没者墓苑(靖国神社ではない!)があることを、ひとことぐらい読者に伝える精神を、せめて「天声人語」子には持って欲しいものである。(2013.4.1) Created by staff01. Last modified on 2013-04-02 14:31:42 Copyright: Default | |