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デモと広場は無限の可能性を秘めて〜7.29「脱原発・国会包囲行動」

                     木下昌明

このところよくデモに行くようになった。もう年だからやめようと思いつつも、その時間になるとじっとしていられなくなる。自転車をとばしていくと、国会上空をヘリが旋回しているがみえてきて、「やってるな」と気分も高揚してくる。

6月29日以来の脱原発デモでは、地の底からわき出てくるように(地下鉄利用者が多いせいもあるが)、人々が続々と集まってくるのには驚いた。また、7月6日の雨の日のデモは、警備が厳しく、自転車でも官邸前に行けず、まるでカフカの小説『城』の主人公のように国会周辺をグルグルめぐったあげく、ファミリー・エリアで立ち往生した。後ろで大勢の家族連れが、ハンドマイクの女性の声に合わせて「再稼働反対!」を叫んでいる。ときに「魚を返せ!」「シイタケを返せ!」の声が上がり、いかにも主婦たちらしい発想だと思った。ところが男性がハンドマイクを握ると、「エイヒレ返せ!」と叫ぶ。これにはどっと笑いが上がった。

7月20日は、この日も雨もようで警備は厳しく、デモ隊は鉄柵で歩道に封じ込められ、身動きもできない状態だった。ところが車道はがらすきで、自転車でスイスイ通って官邸前に出られた。車道からながめると、歩道の人々は、まるで臨時の収容所に収監されているようにみえた。議員会館のある官邸近くの歩道も、警察のバリケードで通行止めされていた。警察は、憲法で保障されている「表現の自由」を踏みにじっていた。人々の声を封じようとしていた。

しかし、わたしは警察官の別の側面も知っている。3.11以降のドキュメンタリー映画を何本かみたが、そのなかに、福島の放射線の高い区域の「立入禁止」の看板前に、かならず警官が数人立っているシーンが出てくる。森達也らのつくった『311』では、車内でも2.8マイクロシーベルトなのに検問所の警官はマスクひとつで立ちつづけている。「大丈夫なのだろうか」と心配になる。彼らもまた、放射能の被災者なのだ。

7月16日の代々木公園での「さようなら原発」の集会は、猛暑のなか、無数の人々が会場の外まであふれていた。壇上で有名人・知識人が訴えていたが、大江健三郎の「わたしたちは侮辱のなかに生きている」の言葉が印象に残った。それは、751万人の署名簿を官邸に持参した翌日に、野田首相が大飯原発の再稼働を決定したことへの憤りだった。751万人は虫けら扱いされたのだ。

この集会に、わたしはひとつ不満があった。これまで人々は官邸前などで声を出して再稼働に反対してきた。これは、それを踏まえての集会である。だから17万人集まったこの場で、5分でもいいから「再稼働反対」のシュプレヒコールくらいすべきだった――みんなが主役なのだ。いっせいに声を上げて会場の人々の意志統一をはかることが大切ではなかったか――ましてデモ報道を規制しているNHKが隣接しているのだ。わたしは、公園いっぱいに人々の声をとどろかすことが重要だと思った。

わたしの脳裏に、フランスの植民地だったアルジェリアの解放闘争を描いた映画『アルジェの戦い』のラスト近くのシーンが浮かび上がった。――深夜、アルジェのカスバ地区から、オロロロ〜、オロロロ〜という女性たちの不気味な声が、静まり返った闇をつんざいて鳴り響いてくる。その翌日、カスバから人々がわき出てくるように現れ、フランス租界へと押しよせていく。

7月29日の国会包囲デモは圧巻だった。人々は、創意工夫したプラカードを持ちより、暗くなるとロウソクや小さなライトをちかちかと光らせはじめる。国会前車道はびっしり人波で埋まった。父親に肩車された男の子のふりまわすペンライトが、わたしの頭にあたった。また、大小のドラムやシンバルを叩く一団もいて、そこに放射性廃棄物用のドラム缶まで持ち込み、太鼓代わりに叩く男女がいた。大学の幟もいくつかみえた。「全学連」の赤旗をみて、「あれ、いまでも全学連ってあるんだ」と、思わず口をついて出た。学生たちも参加するようになったのだ。

ピンクの布切れを腰と胸に巻きつけた10人ほどの娘たちのグループもいた。彼女たちは人込みをかきわけ、前へ前へと進み、警官たちと対面しながら「再稼働反対!」と叫んだ。娘たちのひとりに「どんなグループなんですか?」とたずねると、「わたしたちは原発事故のあと、なにかやんなきゃ、と思って・・これって、けっこう変な格好じゃないですか。これは“No Nukes”を人文字で表したもので、みんなに興味をもってもらうためにやってるんです」と話してくれた。彼女たちは「再稼働反対!」の声に合わせて踊ってもみせた。

そういえば、前回のデモのときも、「再稼働反対!」のかけ声に合わせ、太鼓やカネで調子をとり、お祭りのように踊っている集団をみた。その光景をみて、これは現代版「ええじゃないか」ではないかと思った。幕末、「船中八策」なんかで殺し合っていた侍たちとは関係なく、「ええじゃないか」のかけ声にあわせて、踊りながら練り歩いた多くの庶民がいたという。それは、庶民によるあの時代の世直し運動でもあったといわれている……。「ええじゃないか」は、時代の転換期、閉塞した社会のなかで、民衆がうっくつした感情を爆発させる表現手段のひとつであったのだろう。

こんどのデモも、これと一脈通じるものがある。グローバルな金融経済が支配する世界で、格差社会が常態化し、貧困が蔓延する世の中に、原発事故が追い打ちをかけ、人々は行き場を失った。そのうえ、原発事故の収束に無策のまま、福島の避難民はほったらかしで、金儲けのためだけに原発再稼働をはかる日本の政官財、それに迎合するマスコミの隠ぺい工作に、ついに民衆の怒りは爆発したといえないか。

8時になると主催者のマイクが「今日は終わりにします。また金曜日に官邸前にきて下さい」とよびかけると、これまで叫んでいた人々の声がやみ、いっせいに拍手が起こり、まるで潮が引くように車道から引き上げていった。

わたしは雨に打たれたように汗でびっしょりになったTシャツを着がえた。ここで、わたしの好きな長谷川四郎の『シベリア物語』のことばを引きたい。--「広場は誰もいない空虚なときには、ちっぽけな、貧弱な、退屈なものにみえたが、人々が続々と集まってきて、そこをうずめると、それはまるで無限の可能性をもっているようにみえてきた」。 (8月1日記)


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