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News Item 20050521m1
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<投稿>江藤正修

この間、レイバーネットに掲載されたJR西日本事故に関する各種声明、投書などに目を通してきました。それぞれの見解には肯けるものが多くありましたが、一点だけ、疑問が残ります。鉄産労の声明を除いて、主体的自己批判がないのです。

 たしかに事故の責任はJR西日本の会社にあり、遠因をたどれば政府・自民党による1987年の国鉄分割・民営化がもたらした営利主義にあることは、国鉄問題に関心を持ち続けてきた人々(私も含めて)にとって自明のことです。

 だが、このような営利主義、効率主義をもたらした日本社会の現実に対して、反対運動を担ってきた側に、主体的責任はないのでしょうか。国鉄分割・民営化を阻止できなかった「私たち」、1047人の解雇を阻止できなかった「私たち」、今回の事故を防げなかった「私たち」。その「私たち」はこの20年近くを悪戦苦闘してきましたが、自らの「主体的責任」を振り返ることによって、もう一度、世の中の「主流派」の感覚を取り戻すべきだと思うのです。

 運動の前線から引いて1年以上が経ち、現場の感覚とは相当ずれた私の発言です。だが、ある意味で鉄建公団訴訟にとって「絶好のチャンス」が訪れたにもかかわらず、マスコミと同レベル(現場感覚は入っていますが)で展開されているJR批判には疑問を感じざるを得ません。この観点では、攻勢に打って出ることが出来ないと案じられるからです。

 国労が10年前に出した「鉄道政策」を膨らませ、これこそJR労働者の「主流派」による安全対策の「オルタナティブ」だといえるもので、世の中と勝負すべきだと思うのです。


Created byStaff. Created on 2005-05-21 19:46:18 / Last modified on 2005-09-05 03:00:26 Copyright: Default

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