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弾力勤労制

[ワーカーズ辞典]

チェ・ヒョジョン(政治学者、慶煕大フマニタスカレッジ解雇講師) 2019.11.04 09:00

弾力勤労制(訳注:日本の変形労働時間制に相当)は、言葉の意味だけで解釈すれば 労働(時間)を弾力的に運営するという意味だ。 「自主的」に労働時間をそれぞれの事情に合わせて伸び縮みさせて弾力的に運営できるというのだから、 使用者だけでなく労働者にも悪いことはないように聞こえる。 実際に政府と企業はこのような形で弾力勤労制を広報し、 労働者も時間をうまく活用できる制度だと考えやすい。 だが果たしてそうだろうか?

新自由主義労働政策を代表する「労働柔軟化」の「柔軟性」の概念も、 導入当時にそうして人々をだました。 多くの経済学者は、労働市場柔軟化が労働者にもより良い条件の会社に移動できる 「選択の自由」を与えると説明した。 だが実際の結果は、労働者に選択の自由を保障するのではなく、 企業に対して解雇の自由を保障するものだった。 このように、概念の中立的な使用は労働と資本間の政治的力の不均衡と立場の差異を隠す。 資本家の立場として柔軟であることは、労働の立場としては不安定だ。 雇用が「柔軟化」できるだけに、労働は「非正規職化」され、「不安定化」される。 このように概念を中立化したり実際の現実をそれと全く違う反対の概念に換えることは、 知識資本主義が使う代表的な言語統治の技術だ。 弾力勤労制も同じだ。 事情によって労働時間を弾力的に調節できると話すが、 果たしてその事情は誰の事情で、その調節の主体は誰なのだろうか。 当然、使用者の事情によって使用者が決める。 労働者が自分の事情によって自主的に業務時間を決めるということは、 理論的に可能な虚構的な話でしかない。

財界が執拗に弾力勤労制を要求する理由は何だろうか。 簡単に言えば、盛需期には機械を休む暇もなく回し、 オフシーズンには止めておくように、 人間もそのように使いたいということだ。 争点は労働時間として現れるが、 核心は労働力の需要と供給を業務量ときちんとマッチングさせることにある。 最小人員で最大利益を算出することが目標であり、 そのために徹底的に資本の観点で人間を機械化・道具化する方法だ。

労働界が一番憂慮しているのは、 主に賃金損失と安全問題だ。 弾力勤労制は週52時間短縮の立法趣旨を無力化し、 実質賃金を削って労働者の健康と安全を威嚇する。 週52時間制は1日8時間労働を基準として週5日間・40時間以内で労働するものとし、 延長労働する時も12時間まで認めて算出された週最大労働時間だ。 それ以上の労働が必要ならもっと人を雇わなければならない。 ところが問題は前よりも労働時間が短縮されるのなら、 それだけ雇用を増やすべきだが、 企業が雇用は増やさずに労働強度を高めたり、 代替手段として弾力勤労制を要求していることだ。 それを管理監督すべき政府も先頭に立って弾力勤労制を押し通している。

賃金はどんな方法で減少するのか。 労働時間が1日8時間に「固定」されている時は、 労働者がそれ以上労働すれば、夜間勤労手当てを払わなければならず、 週末や休日に働かせれば休日手当てを払わなければならない。 だがその労働時間に「弾力性」を付与するということは、 「週52時間以内」という基準さえ守れば、 単位期間内で労働時間を自由に増やしたり減らすことができるということだ。 この計算法で労働時間と賃金を計算すれば、 ある日は1日に12時間働き、他の日に4時間働けば、 その価格は8時間、8時間ずつ働いたのと同じ賃金で算定される。 それまでは12時間の勤務に対して4時間に当たる 超過手当て(通常賃金の1.5倍)を受け取れた。 労働者の立場としては、受け取る金をもらえず、 使用者はそれだけ金を払わなくてもいい。 労働者の立場から見れば、 最低賃金はほんのわずか上げて、 弾力勤労制で牛の尻尾ほどに奪っていくようなものだ。

労働時間を法で強制する最大の理由は安全のためだ。 長時間労働は労働者の健康を害し、集中度を下げ、 それだけ労災事故の危険を上げる。 また、作業場の事故は個人の危険だけでなく、 社会的な大事故につながったりもする。 労働時間を国家の法で定めずに市場原理に任せれば、 結局、個人と社会の両方を危険に落とすことになる。 今、この弾力勤労制は、法定労働時間が持つ公的な意味に対する 社会的な合意基準を原則から破壊する。

だがこうした労働者の賃金損失、安全よりもさらに根本的な問題は、 弾力勤労制という時間の分割統治方式が階級の危機を招く点だ。 「長時間労働」に代表される近代的労働搾取が時間の量的搾取だとすれば、 弾力勤労制は労働者の時間に対する質的な統制権を資本にそのまま譲り渡す 質的搾取の方式だ。 これは、これまで産業社会で一般的だった労働の形態を完全に変形させるもので、 夜昼交代勤務やパートタイム制度に現れる時間割当原理とも質的に完全に異なっている。

最近、大学ではすでに労働現場の弾力勤労制に対応する柔軟学期制と選択学期制などを導入し、 学生の日程がすべて異なるように組まれるようにしている。 一種の「弾力的学士運営制度」という制度により、 大学からは「学生社会」が消え、教育サービスの購買者としての一人ひとりの「学生個人」だけが残ることになった。 3時間単位の講義はすべて1時間15分、1時間45分単位に割れた。 これは講義の人員と講義室の空室率を最小化する方法だった。 弾力勤労制が追求するものと同じ方式だが、 注目すべきはこれらの変化らがすべて技術的革新と連動しているという点だ。 個別の労働者の労働時間を減らしたり増やしたりして個人単位で管理するのは一括的管理より多くの手間がかかる。 使用者の立場としても、別の管理費用が増える。 これを簡単に解決したのが数学的ソフトウェア技術だ。

ビッグデータ技術が民主主義をどう威嚇するのかを分析したキャシー・オニールの本 「大量殺傷数学兵器」は、デジタル資本主義の技術的労働搾取を具体的に示す[1]。 米国の会社員の間で流行する言葉の中に 「クロープニング(clopening)」という新造語がある。 クロージングとオープニングを結合したこの単語は 「商店やカフェの労働者が夜遅くまで働いて店の扉を閉めて退勤してわずか数時間後、 まだ暗いうちから出勤して店の扉をあけることを示す新造語」だ。 二人が必要な仕事を一人の労働者がするこのクロープニングは、 企業の立場としては物流(logistics)的には最適の方式だが、 労働者の立場としては人生の破綻だ。 この本は、企業の労働時間管理が弾力的であるほど 労働者のスケジュールは混乱し、 子供がいる労働者たちが仕事と両立しない養育問題により、災難のような混乱に陥る状況を告発する。 米国では不規則な時間による労働形態がますます普遍化し、 ここでの最大の被害者はスターバックス、マクドナルド、 ウォルマートのような企業で働く低賃金労働者たちだ。 韓国企業が弾力勤労制の導入を強く主張する分野が、 まさに運輸、通信、医療、サービス業だ。 この分野は今でも不安定性が高い領域だが、 さらに労働時間の不規則性まで加えるということは、 最も脆弱な労働者をさらに脆弱にするということだ。

また注目すべき点は、この労働搾取技術を資本が事実上独占しているということだ。 過去のスケジュール管理システムだったら、 労働者たちは自分の勤務時間を予測して自律的な労働割当をすることもできた。 暇な時間には本を読んだり勉強をしたりもして、同僚と雑談をしたりもする。 使用者の立場ではいくら不適当だとしても、そんな時間まで すべて監視、統制することは不可能だった。 だが今日では労働者が働く姿まで録画されたCCTV画面が リアルタイムで管理部署に転送される。 その技術が具現するのは「デジタル パノプティコン」を越える。 自動管理ソフトウェアは時間帯別の訪問者数と売り上げを計算し、 時間当りに支払われる賃金に対する収益率を正確に算出するプログラムと連動し、 使用者が労働者の時間を分単位で統制する。 反面、きちんと計算された時間の中に配置された労働者は、 少しの余裕も持てなくなる。

こうした管理技術は応用数学の一分野である オペレーション リサーチ(Operation Research、OR)から始まった。 このORは本来、戦争の必要から開発された技術だった。 第2次大戦当時、英米の連合軍は戦争に必要な資源の投入と配分を最適化すために数学者を動員したが、 彼らは味方が使った資源と破壊された敵国の資源を比較するために 多様な形態の交換割合(exchange ratio)を作り出した。 戦争の勝利と敗北を利益と損害という概念に転換したのだ。 その後、ORは生産した物資を市場に流通させる方式を変えた。 これが「物流科学(logistics)」の開始だった。 1960年代に日本の自動車業界が導入した「適時生産システム」も類似の事例だ。

以前の方式は、組立工程で必要な部品をすべて倉庫に準備して、 遊休部品を管理しながら生産する方式だったが、 これを必要になるたびに部品を適時、注文して供給を受ける方式に変えたのだ。 トヨタとホンダはそのために複雑な資材と部品のサプライチェーンを構築した。 これが段階的下請と外注化の始まりだ。 このサプライチェーンを人間の労働力、つまり労働者に適用したのが 派遣労働を認める「非正規職法」だった。 弾力勤労制はこれをさらに極端な方式に個人化させ、 労働時間を個人単位に下請化するものだ。

そうした点で、弾力勤労制は新自由主義的労働柔軟化の終結版だといえる。 労働市場の柔軟化が空間的な移動により労働階級を解体したとすれば、 弾力勤労制は時間的な分割と撹乱を通して労働階級を解体する。 それは、労働者が団結することができないように共通性を粉々にして、 個人化、破片化、孤立化する戦略だ。 何よりもこれは人間の労働を「人間資源」に変形して物流化し、 人間性そのものを破壊する。

人間は機械ではない。 機械は物量が少ない時は全部止めて、 物量が多い時は夜中に動かしてもいいが、 人間はそうすることはできない存在だ。 それは無時間的な存在ではなく、夜と昼で形成された一日を生きる生命の存在であり、 そうした毎日を積み重ねて一生を生きる「時間的存在」であり、 同時にそうした存在と共同の時間を過ごす「社会的存在」だ。 「労働する人間」は「労働する機械」と違い、 仕事をしただけ休まなければならず、 夜には眠らなければならず、家で子供の世話をしなければならず、 週末には友だとしも会って暮らすような存在である。 弾力勤労制はまさにこうした時間の存在から時間性を略奪する技術であり、 階級的な存在から階級性を抹殺する制度だ。 弾力勤労制の本当の危険性はここにある。

[1] キャシーオニール著作. キム・ジョンヘ翻訳。「大量殺傷数学兵器」 (フルム出版2017)、7ページ参考.

[ワーカーズ60号]

原文(ワーカーズ/チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2019-11-03 03:53:36 / Last modified on 2019-11-10 13:24:51 Copyright: Default

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