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セウォル号5周年、哀悼に閉じ込められない追念の方式

[ワーカーズ インタビュー] 4.3-4.16セウォル号惨事5周年追念展「海は沈まない」

パク・タソル記者 2019.04.02 16:43

▲デザイン/日常の実践

2014年4月16日から5年経った現在。 われわれはセウォル号惨事以後の時間を「めちゃくちゃ」だったと記憶する。 まだセウォル号惨事の原因も明らかになっていないが、 これを調査しようとした1期特調委は政府と国会のあらゆる妨害の中で 報告書も出せないまま活動を終えた。 そして2期特調委は、今やっと帆を畳んだ。 もう忘れなければならないと言うかのように、 追慕の空間はますます消えて行く。 昨年は安山合同焼香所が門を閉めた。 3月18日にはセウォル号闘争の象徴だった光化門セウォル号広場がテントを撤去し、 展示空間に変革する準備をしている。

整理ではなく、新しい定義が必要だと思う三人が集まって、 セウォル号惨事5周期追念展を企画した。 展示は安山文化芸術の殿堂から始まり、 ソウル市鍾路区西村一帯に続く。 安山の空間には檀園高校教室を記録した写真、 惨事から5年間の状況を集約的に見せる年表とテキスト、作品が共に展示される。 ソウルでは5つの空間を次々と訪問する巡礼路の形式で展示が構成される。 空間:イルリ、通義洞ポアン旅館、ギャラリーHArt、空間291、アートスペース・プールにつながる動線は、 キャンドルデモの中心地だった西村一帯だ。

ソウル市鍾路区のアートスペース・プールで キム・ヒョンジュ(独立企画者)、 アン・ソヒョン(アートスペース・プール ディレクター)、 ホン・ジノン(独立企画者、写真作家)氏と会って、 彼らが企画したセウォル号惨事5周年追念展〈海は沈まない〉についての話を聞いた。 該当追念展は4.16財団が主催する。

▲〈海は沈まない〉企画チーム/パク・キドク

追念展の企画意図が知りたい

ホン・ジノン(ホン): セウォル号惨事以後、最大の変化は「感覚」だった。 とても単純に制服を着た学生、そして黄色のようなものを違うように見始めた。 集会やデモに対する考えも変わった。 この展示はそのようにしてセウォル号が揺るがした感覚を具体化することから始める。 ソウルの巡礼道を歩きながら、変わったものについて考え、問い直す機会を作りたかった。 そして哀悼のもうひとつの方式を提案したかった。 悲しみ、哀悼、悲痛についてばかり話すことが 私たちをじっとさせなかったようだ。 そのような凄然な感覚の前で私たちにできることはあまりない。 視線を私たちに戻して、その事件を通じ、私たちがどう変わったのか、 今できること、できないことを振り返りたかった。 セウォル号5周年になれば、少しは変わらなければならなかった。

今回の展示企画に参加した理由は何か?

アン・ソヒョン(アン): 惨事2周年の時も提案を受けた。 だが当時は作家たちもこの惨事をどう再現すべきなのか、 何ができるのか混乱している時だった。 私も社会告発が必要なのか、あるいは次の段階の感情を扱うべきなのか、 立場がはっきりせずに固辞した。 だが制度が手を離し始める時、作家をはじめとする芸術が一番熱心に動かなければならないと考えた。 それで今回は躊躇せず「はい、やります」と言った。

キム・ヒョンジュ(キム): ホン・ジノン作家と前に安山でいくつかのプロジェクトを提案したが、 具現の段階で挫折したことがある。 今思えば急な要請だったので、未熟な答が出てきたような気がする。 具現できずに幸いだと考えたから。 今回の展示は過去から受け継いできた悩みを顕在化できる状況だと判断した。 また芸術が政治、社会を扱う時、 どんな芸術的形式を備えられるかについての悩みの延長線で参加したというのもある。 既存の多くの展示に対して批判的な立場があったが、一つの実験になりそうだった。

ホン: 写真を扱う人として、惨事の初期から追ってきた。 色々な仕事をして体験したが、昨年頃からセウォル号のスペクトラムがとても断片的なのではないかという気がしている。 特に展示側だけを見ても、公共機関でする大規模な展示は明確ではなく、 小規模な現場中心の展示も顕在化できなかったり、 現在の断片的な感覚だけが繰り返されていた。 多様な分布の作業が展示されたら良いと考えた。 また5周年ぐらいになれば作家も準備ができたようで、参加するようになった。

5周年を迎えた今。セウォル号問題を終わらせようという声と、これからが始まりだという声が共存する。

ホン: これほどまで真実究明ができない理由が気になる。 いわゆる「キャンドル革命」で作った政権なのに、 2年過ぎてもセウォル号に関しては何一つ明らかになってていないということ、 そしてその努力さえ見えないということは意味深長だ。 国家というシステムをもう一度考えなければならない。 光化門に設置するという記憶空間のような場合も、 情報が共有されず、判断もできない。 そんな状況が苦しいだけだ。 セウォル号の戦いはすぐに終わるとは思えない。 あるいは完璧な真実究明は私たちの世代で終われないかもしれない。 問題はそれをどう持続させるかだ。 セウォル号がどんな問題と連結しているのか、 これを貫く一つの問題は何かを刻印させて、 それぞれの場でできることをするのが必要だ。

キム: 終わりか、始まりか、という話が大きく感じられる。 そんな言明自体が具体的な内容を担保しているのか疑問も感じる。 問題をそんな形の特定の方向でまとめてみることが、 果たして健康な実践を担保できるのだろうか? 大きな質問は、疑いは、疑問符状態で持っていきながら、 それぞれができる役割を探してみてはどうか。

〈海は沈まない〉という展示の名前はどのようにして付けられたか?

アン: いろいろ考えてつけた題名だ。 セウォル号に関するキーワードが圧縮的に含まれている。 個人的にはこの文章によく他の文章がついていて良かった。 とても単純に「船は沈んだが海は沈まない」といった話のことが浮び上がった。 どこかで忘却を勧めても、人々がどうにかして守ろうとする部分があるということみたいに聞こえるのではないか。

ホン: 船が沈んで、人が死んだ。 遺体を取り出して、船まで取り出して、海はもう何もなかったようだが、 その海は以前の海にはなれない。 その姿が私たち皆の境遇のようだった。 それぞれが自分がするべきことをしながら生きているが、 以前とは絶対に同じにはなれない。 それぞれの役割が残っているとすれば、 それは以前の世の中に戻らないという気持ちではないか。 沈まないという宣言、あるいは決心を「海は沈まない」が語っていると思う。

今回の展示の目標をどこに置いているのか?

アン: 繰り返されてきたセウォル号の主題にもうひとつのスペクトラムが生まれれば成功だと思う。 今までセウォル号惨事を語る資格があるか、という考えに捕われて、 結局何も話せないという自嘲があった。 権限と資格を問わずにセウォル号について話をしたい。 資格がない人でも、何か付け加えることができればいいと思う。

ホン: アン・ソヒョン代表が言うように、セウォル号惨事が起きた時から資格の問題が言われてきた。 この惨事が社会的な問題で、そこで皆が加害の役割に加担したと思い、つらく思って悲しんだ。 誰もが被害者で、加害者だろうが、資格がないという理由で何もできないというのは正しくないと、ずっと言ってきた。 セウォル号について話したい人がとても多いと思い、 作家もほとんどがそうだと思う。 今回の展示で、その人たちが話せることだけでも、 もっと積極的にセウォル号に介入できるということだけでも、意味があると思う。

セウォル号以後、韓国社会はどう変化したと思うか?

ホン: セウォル号からキャンドル、弾劾を経て、嫌悪文化をつくづく眺めるようになった。 セウォル号から増幅されて、現在まで堅い嫌悪文化は一種の無力感からくるようだ。 何も作動しないシステムを繰り返し経験して、敗北感を学習したのだ。 世の中が良くなりもせず、個人の人生が前に進みもしない今の状態を克服したり解消するよりも、 弱い人から嫌悪の視線をそらす方式が生産された。 今はいろいろな状況に注目し、観察している。

「追念。過去と死んだ人を振り返って考える」

セウォル号惨事をどんな気持ちで追念しているのか

ホン: 何か具体的な意図で追念する計画があるわけではない。 ただし私がする写真や企画作業などの要素が追念展を準備するにあたり、 ある程度影響すると見る。 セウォル号以後に生まれた感覚や、自分の考えを隠さないように努力して、 私ができる発言は何か、方式はどうするべきかをずっと考えるようになる。 これを通じていかに社会的共感を拡張していくのか、 絶えず方向を探すことが私たちの役割でないか? 個人的にはいくつかの事件と場面から抜け出せなかった。 竜山とセウォル号が代表的だ。 多分これから何をするにしても、そこから抜け出すのは難しいだろう。 もう少し率直に、そしてより体系化された方式で話を伝えたい。 (一言で)セウォル号事件の真実と痛みについても、 押さえ込むことなく絶えず声を上げるということだ。

アン: 意外性を作る方式を探し続けている。 セウォル号というキーワードについて、それぞれが持っている曖昧なイメージがある。 そのイメージを予測できない方式で続けて見せ、 この話を続けさせることが必要だと考えた。 そんな意味で、その形式は今回の作業で終わらない。 この問題を扱うもうひとつの形の展示も考えている。 これが私ができる領域で、セウォル号を記憶して追慕する方法だと思う。

キム: 事実は追念の対象ではないという気がする。 2014年4月16日、船が傾いて犠牲者が発生した。 単にこの事実だけでは追念の対象にならないと思い、 相変らず追念できずにいる。 海の下に閉じ込められた真実を時間をかけて引き上げることで 追念の対象や内容や形式もあらわれるのではないだろうか。

ホン: 展示と一緒に講義、パフォーマンス、公演など、多様な方式で こうした話を人々の前に出す計画だ。 方式は違うが、結局私たちが伝えようとするメッセージは同じだ。 今回のプロジェクトを準備する過程で、 さまざまな分野の専門家が今私たちに何ができるのかという悩みを分けてくれたようだ。 展示と連係して進められる多様なプログラムもお見逃しなく。

セウォル号惨事をもっとよく記憶して省察する観戦ポイントを教えてほしい。

ホン: 安山とソウルの二つの場所で追念展が開かれる予定だ。 この二つの場所は単にセウォル号犠牲者を追慕する空間だけでなかった。 安山が犠牲者とその家族を慰労する連帯の空間だとすれば、 ソウル市光化門広場は社会的惨事の真相究明と安全な国を作ろうという熱望が キャンドルで燃え上がった空間だった。 セウォル号を追念する場所によって、事件を見る態度も変わるほかはないと考える。 二つの場所でセウォル号惨事が韓国社会に、 そして私に投げる質問が何かを考えてほしい。 それで安山とソウルの展示をぜひどちらも観覧してほしい。

キム: 安山追念展の場合、それぞれの争点と作品をまとめて時間によって展示を構成する方式を選んだ。 しかしソウル追念展は空間が分離しているので、鑑賞について争点があるだろう。 空間ごとに元に戻せない感覚にかかわっている隠された鍵がある。 そうした相異なる性格をすべて観覧して、その後に組み合わせてほしい。

アン: 追念展についての先入観さえ強くなければ、 作家が言いたかったことが十分に伝わると思う。

今回の展示を見逃してはいけない理由を話してほしい。

アン: 以前とはちょっと違う、今までこんな展示はなかった(笑)。 今回の展示が成功したら、恐らく観客は事件と惨事を扱う展示で こんな考え方もできるようにするんだ、と感じるようになる。 悲しみに終わらず、それぞれ胸の中に一つずつは宿題を抱え込んで帰る展示になると自負する。 個人的には美術の言語にもっと親しくなる契機を提供する展示になればいい。

キム: セウォル号惨事と過去の災害惨事の間には、はっきり区別できる点があるようだ。 韓国社会は2014年4月16日以後、災害惨事の当事者だけが苦痛と犠牲に耐えるのではいけないという共感が初めて生じた。 セウォル号5周年をむかえ、 今回の展示が哀悼を越えて私の問題、共同体の集団記憶として セウォル号と向き合う機会になるだろう。

ホン: 「忘れません」という私たちの決心が、いつのまにか色あせたような気がする。 惨事当時は具体的な決心だったはずなのに、 時間が立って形骸化した約束をまた生き返らせる展示になればいい。[ワーカーズ53号]

原文(ワーカーズ/チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2019-04-11 00:28:31 / Last modified on 2019-04-11 00:28:33 Copyright: Default

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