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サッドエンドで終わった難民女性の韓国結婚生活

[ワーカーズ・イシュー(1)]国際女性デー特集(1)

チョン・ウニ記者 2019.03.06 10:26

[編集者の言葉]韓国にいる難民の数は約4万人だ。 このうち約20%女性だが、彼女らの話はなかなか注目されない。 昨年、難民対国民、または難民対女性の構図で論争になった当時もそうだった。 国際女性デーを契機として韓国の難民女性の条件を調べる。

[イシュー順序]

(1) サッドエンドで終わった難民女性の韓国結婚生活

(2) 女性難民、戦争と暴力に追われて、大韓民国にきたが

(3) 朝鮮半島の平和? 戦争支援国の武器隊長、文在寅

▲エイミー氏が韓国の夫と共に微笑を浮かべている。

「夫は私ではなく私のお金が好きだったようです。 初めは家賃がたまっているといって、35万ウォンずつ二回渡しました。 貿易の仕事をしているといいましたが、仕事の問題で口座が詰まったといいました。 愛していたので疑いませんでした。」

40歳も上だったがエイミー(仮名)氏は彼に愛情を感じた。 80歳のホン・ヒョクテ(仮名)氏は韓国で会った誰よりも親切だった。 しかもルワンダから来た女性難民エイミー氏には、 血縁者が一人もいない所で会った縁だった。 氷の塊のようだった歳月が静かに溶けるようだった。

昨年1月。 初めて彼に会った日は唯一寒かった。 すでに二回目の冬だったが、服の中に入り込む寒気にはなかなか慣れなかった。 その日は多くの荷物をキャリア2台に分けてのせ、 京畿道の金浦のあるバス停留場で車を待っていると、その男が近付いてきた。 「ウェア・アーユー・ゴーイン?」下手な英語で彼が尋ねた。 タクシーをつかまえるのを助けてくれた彼は電話番号を知らせてくれといった。 親切な彼が嫌いでなかった。

初めは携帯メッセージで安否をやりとりした。 心を開くのに多くの話は必要でなかった。 そんなある日、彼は自分の家にエイミー氏を招いた。 そしてすぐ愛に陥ったようだといった。 彼はエイミー氏に共に暮らしたいと話した。 あまり経過せず、京畿道安山にあるエイミー氏の家で暮らしをはじめた。 助けを受けた避難センターにもたびたび一緒に立ち寄った。 教会の人たちとも付き合い、時間を送った。 彼の求婚を断る理由はなかった。

▲エイミー氏と夫が分けたSNS対話貯蔵

「お金がなくなり、語調を高め始めました」

初め、彼は幸せのように見えた。 エイミー氏がすべての金を払っている時だった。 現金も与えて口座にも送金した。 一度は書類の翻訳を斡旋して150万ウォンを送った。 2枚だったが彼を信じた。 食べ物がなくなると10万ウォン分ずつ買い物をした。 車の燃料代も常にエイミー氏が払った。 いつかエイミー氏は彼に塩を買ってくれと言ったことがあるが、 彼はそれも嫌だといった。

婚礼は春の日差しがさす3月末に行った。 ベールも祝いの客もなかったが、一番良い服を着て官庁に婚姻届を出した。 大きな笑いが写真に含まれた。 夫はエイミー氏の現在の難民申請者ビザを結婚ビザに変えようといった。 しかし出入国管理所に一緒に行った夫は、 なぜか管理所の職員としばらく話すとそのまま帰ろうといった。 韓国語だけだったので全く何か話なのか分からなかった。 入管職員も夫だけに手続きを説明した。

暮らしが長くなるほどエイミー氏の財布は薄くなっていった。 本国にいる子供たちにお金を送ることも難しくなった。 それでも信じて頼る夫だから、手伝わなければと考えた。 難民申請者の地位では単純な労務職を認めるG-1ビザで働き、なんとか集めたお金だった。 しかし夫はエイミー氏のお金がなくなると、語調を高め始めた。 彼はエイミー氏の暮らしが苦しいことを理解できなかった。 ついにカバンを持って何日も外泊することが頻繁になった。

そのような5月のある日、夫が安山出入国管理センターで会おうといった。 だが彼はまた管理所の職員としばらく韓国語で話し、そのまま戻ろうといった。 やはり何の話なのか分からなかった。 出入国管理所の職員は今回もエイミー氏には特に説明しなかった。 夫は家に戻り、ビザ問題は助けられないというと、また家を出て行った。 それが夫の最後の姿だった。

夫を探す方法はなかった。 エイミー氏はなぜ夫が結婚を破綻させているのか、 ビザを申請していないのか理由がわからなかった。 ビザを受け取れば、これ以上お金をくれないからだろうという知人の話が聞こえてきたが信じ難かった。 そのうちにFaceBookで夫のアカウントを発見した。 エイミー氏は彼に会おうといった。 すると夫は自分に会いたければ、ひとまず100万ウォンをくれと言った。 エイミー氏はその時始めて彼の結婚がお金のためだったという事実を悟った。 悩んだ末に離婚の話をしたが、またお金の話だった。

アフリカの男性も、韓国の男性も

エイミー氏が生まれたルワンダは美しいところだった。 少なくとも1994年のツチ族のジェノサイドが発生する前まではそうだった。 その時、お母さんとお父さん、親戚すべてが殺された。 一人で生き残ったが生きる道がなかった。 当時10代だったエイミー氏は他の家族に頼って暮らしながら、 やっと命を持ちこたえた。 そのうちツチ族のある男性と結婚をした。 結婚の他に選択肢がなかった。 その男は初婚だといったが、実は婦人と子供がいた。 それでも三人の子供を生んで育てる程なじんだと思っていた。

夫は政治家で、議会にも縁があった。 だがすぐにツチ族のジェノサイドに対する報復虐殺が始まり、不和が始まった。 夫は虐殺にかかわっていた。 教会で働いていたエイミー氏は虐殺に同意できず、地域のイベントや関連の場に一切出て行かなかった。 あっという間に地域で問題を起こす不満分子になり、命が危くなった。 夫以外に誰が密告したのかわからなかった。

エイミー氏は結局2016年にソウルで開かれたキリスト教の国際イベントに参加して、 難民の地位を申請した。 またルワンダで家族が抹殺された時のように、生き残るために必死だった。 サムスンの下請企業で箱を包み、マニカで鶏の加工の仕事もした。 楽な仕事ではなかったが、子供たちとの新しい人生のために一生懸命働いた。 稼ぎがよかった時は1か月に200万ウォンも取ったが、100万ウォンの時もあった。

結婚した後、韓国の夫ができた後はビザの問題で1年間仕事ができない。 今はやっと友人の家で何とか暮らしている。 出入国管理所に訴えてみたが、ビザが満了したので再申請をするにはまず罰金200万ウォンを払わなければならないという。 申請しても延長できるかどうかは分からないという。 かろうじて弁護士をさがして50万ウォンを払い、助けを訴えたが彼は何の助けも与えず、 金も返さなかった。 出入国管理所に罰金の減額ができるかどうかを尋ねたが拒絶された。 持っている金は周辺の教会の知人が集めた100万ウォンだけだ。 インタビューの末にエイミー氏が涙声で話しながら話した。

「食事をするのも難しい。 子供たちは学校にも通えません。 ただ望むことは、私のG-1ビザを取り戻すことだけです」。[ワーカーズ52号]

原文(ワーカーズ/チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2019-03-11 22:07:19 / Last modified on 2019-03-11 22:12:18 Copyright: Default

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