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西欧資本のゴールドラッシュと東欧労働者のディアスポラ

[ワーカーズ・イシュー(3)]ドイツ統一損益計算書...「社会主義を売ります」

チョン・ウニ記者 2018.11.06 10:37

[編集者の言葉]国際金融資本の伝導師が南北経済協力を指揮することになった。 文在寅(ムン・ジェイン)大統領が11月4日、大統領所属機構の北方経済協力委員長にゴールドマンの権九勲(クォン・グフン)エコノミストを委嘱した。 彼は2001年から2004年まで、国際通貨基金(IMF)モスクワ事務所常駐代表だった人物で、旧ソ連の市場化に関与した。 文在寅(ムン・ジェイン)政府の平和と非核化、南北経済協力の大きな絵は結局、超国籍金融資本が主導する北朝鮮の市場開放へと向かっている。 〈ワーカーズ〉は2回にかけてこれをめぐる南・北・米の立場、そしてドイツの統一と東欧の市場開放が労働者民衆に及ぼした影響を調べる。

(1) 朝鮮半島旗を振ったらIMFが笑った

(2) 西欧資本のゴールドラッシュと東欧労働者のディアスポラ〜ドイツ統一損益計算書

▲2012年製作のドイツ映画「ゴールドラッシュ-信託管理庁の歴史」(ティルク ラブス監督)は東独での東ドイツ市場化の過程での詐欺と腐敗、構造的な矛盾を告発して注目をあびた。

「ドイツはクソだ。」

8年前の10月3日、ある青年がドイツのブレーメンで開かれた統一20周年記念式の片隅で悪口を吐きだした。 彼は盛大な統一記念式を嘲弄してデモをした2千人の群衆の中にいた。 前日に暴力デモまで予告されたため3千人の警察が現場に配置され、 空にはヘリコプターが飛びまわった。 デモ行進中、一部の参加者は空き瓶や爆竹を投げて「ドイツはクソ」だと皮肉った。 「民族のための日はない」、「愛国反対」、「国家と資本に反対する」、「ドイツはもうやめろ」というスローガンも鳴り響いた。 ドイツのマスコミ各社はこれを「一部極左」のデモだとして無関心に扱った。 しかしその後に毎年統一記念式が開かれる所には間違いなく反対デモが起きた。 韓国人は「私たちの願いは統一」を歌いながら育ったが、 なぜドイツの「極左」は統一記念日が記念する日ではないと叫ぶのか?

ベルリンの壁は崩れたが

ドイツ統一は韓国のロールモデルだ。 だから大統領は必ず一度は訪れる。 2000年、金大中(キム・デジュン)大統領はドイツでベルリン宣言を行い、 2011年に李明博(イ・ミョンバク)大統領はベルリン提案を、 2014年に朴槿恵(パク・クネ)大統領もドレスデンで統一大アタリを、 昨年は文在寅(ムン・ジェイン)大統領が就任2か月でまたベルリン宣言を発表した。 しかし、当のドイツではベルリンの壁が崩れてから30年近く経つ現在も、 統一の過程についての議論が熱い。 ベルリンの壁は崩れたが、不平等というもうひとつの障壁が東西を分けているためだ。

最近ドイツ政府が発表した資料を見ても、東西間の格差を確認できる。 「ドイツ統一現況に関する年次報告書」によれば、 昨年東ドイツ地域の経済成長率は1.9%で、西ドイツ2.3%と比べて大きく遅れをとった。 1人当りの国内総生産は東ドイツが西ドイツの73.2%に終わった。 1990年から2016年の間に東ドイツは住民の約11%が減り、 65歳以上の老人人口が4分の1に達している。 東ドイツ地域内でもベルリン、ライプチヒ、ドレスデンなど都市・農村の経済格差も拡大している。

ドイツの左派はこうした東西間格差が統一の過程で構造化されたと語る。 実際に統一以後、東ドイツにあった国有企業などはほとんど破産したり西ドイツの企業に買収された。 高学歴と技術を持つ人々は西に行った。「祖国は一つ」になったが、 東ドイツの住民は2等市民に転落した。

ドイツは1990年7月に発効したドイツ経済・金融・社会統合条約により、 西ドイツの体制を東ドイツにそのまま移植した。 この措置の根幹は、国営企業を対象とする私有化だった。 これは東ドイツ旧体制の最後の機関だった信託管理庁(Treuhandanstalt、THA)が主管した。 1988年に東ドイツ地域の事業体の88.8%が国家、8.4%が協同組合(Cooperatives)の所有だった。 信託管理庁は東ドイツ製造業者の90%(126の中央政府事業体、95の地方政府事業体、土地と労働力の57%)を管轄し、私有化を陣頭指揮した。 [1] 売却の対象には売却過程で分割された約8千の国営企業と172億平方メートルの農地、 196平方メートルの森と250億平方メートルの不動産が含まれた。 約4万の小売店と食堂、数千の書店、数百の映画館とホテル、数千の薬局もその対象だった。 ここには約400万人が雇用されており、すべての人員の3分の2以上が ベラとエルベ川の東にあった。 当時は世界でもこのように巨大な産業密集地はめずらしかった。 [2]

信託管理庁は1994年12月31日にその任務を終えるまで、ちょうど4年間で合計1万4000の企業と事業場、 2万2000個のレストラン、ホテルと商店を民営化した。 売れない会社は約140に過ぎなかった。 東ドイツ経済の最も重要な企業は西ドイツ資本に渡った。 代表的には有名なAG国際ホテルは西ベルリンに本社をおくクリンバイルグループが買いとった。 電力産業の多くも西ドイツのエネルギー企業に渡っ。 東ドイツ社会主義統一党(SED)の地域新聞15紙は、さまざまな西ドイツの出版社が買収した。 この過程で信託管理庁が売却した企業が雇用した4百万の雇用は 1994年末で最大150万に減った。

ドイツの右派はこうした結果をめぐり、信託管理庁は成功的に課題を遂行したと言う。 そして大量失業など、転換期に現れた問題は、 東西通過統合による東ドイツ・マルクの切上げや東ドイツの労働者の高賃金のためだったと主張する。 当初、共産主義の時に競争力がなかった国有企業の体質のためだという指摘もある。 そしてこうした問題が現在も続く東西格差の根本的な原因だと見る。

しかし信託管理庁は当初、できるだけ早く私有化を断行するという目標があっただけで、 東ドイツ地域の企業の自立の可能性や雇用問題には関心がなかった。 結局、単純な売却規則によって企業と雇用の有無を決め、 東ドイツの産業自体が踏みにじられた。 その過程で売却された企業は構造調整を断行して雇用を減らし、 生存が可能でも購買者が見つからない企業は簡単に閉鎖された。 また最も重要な産業は西ドイツの企業がいちはやく買収して行き、 詐欺や腐敗も珍しくはなかった。 代表的にはヨーロッパ最大の鉄鋼会社であるティッセンクルップ(当時ティッセン)は、 200社以上の同ドイツ企業を買収したが、 信託管理庁の契約マネジャーとして働いたクリストフ・パルティの暴露によれば、 この企業は「望めば全てを得ることができた」と言う。 この企業は当時の契約パートナー、エルフ・アキテーヌと共に東ドイツ地域に大型精油工場を建設したが、 数億マルクに達する補助金を受けて論議をかもした。

東ドイツ地域の住民の衝撃と反発は大きかったが、 統一や開放の流れの中で手遅れの哀訴になってしまった。 東ドイツ連合理事会のマティアス・ベルナー議長は最近、ドイツの左派紙ユンゲヴェルトとのインタビューで 「旧東ドイツの産業は意図的に破壊され、そのために東ドイツの住民は自分たちの暮らしを立てる機会まで奪われた。 経済構造が破壊された後に救護品が分配され、人々はこれに満足すると記録された」と指摘する。 彼の指摘のように、信託管理庁は東ドイツ不平等の象徴になり、 今日までもこれに対する反発が続いている。 最も劇的なケースは鉄鋼会社のフェシー前CEOが信託管理庁長になって私有化を陣頭指揮した デトレフ・カールステン・ロジェドゥデルが1999年4月1日に自宅でドイツ赤軍派(RAF)に銃で撃たれて死亡した事件だ。

東ドイツで貧富格差と失業が深まり、今や極右の集結地になった。 ヨーロッパ経済危機以後、極右が政治勢力化したドイツのための選択肢(AfD)は、 東ドイツを基盤として恐ろしいほど成長し既成政党を追い越している。 最近のドイツのための選択肢の地方議会選挙の得票率によれば、 ザクセン・アンハルトは24.3%、メクルレンブルク-ポポンモンは20.8%、ベルリンは14.2%で、 主に旧東ドイツ地域で強い。 昨年AfDはドイツの総選挙で12.6%(2013年には4.7%)を得票してキリスト民主党と社民党に続く3位を記録した。 世論調査によれば、この時AfDを支持した階層は失業者22%、肉体労働者21%で、 主に労働者階層だった。 今、ドイツ極右は「私たちが国民だ」というシュプレヒコールをあげて通りを闊歩する。 このスローガンは当初、東ドイツ時代に自由のために毎週通りを歩いてドイツ統一の導火線になったライプチヒ市民のスローガンだった。

[出処:世界不平等データベース]

国際金融機構、東ヨーロッパの市場化を指揮

このような事情はほぼ同時期に共産主義から資本主義に編入された東ヨーロッパでも大きく変わらない。 東ヨーロッパの経済体制転換の過程でIMF、世界銀行などの国際金融機構は 米国式の新自由主義処方であるワシントンコンセンサスに立脚した衝撃療法(Shock Therapy)を導入しろと共通して提案した。 この衝撃療法は、可能な限り急激に経済自由化、民営化を推進し、 強力な経済安定政策を実施して、社会主義体制から市場経済体制に転換する方法をいう。 この過程で物価上昇、失業率上昇、経済成長率低下をはじめとする転換不況が発生するが、 市場経済メカニズムが定着すれば相対的に高い経済回復能力が発揮され、 持続的な経済成長の構造を構築できるものと期待された。 [3] しかし東欧は共産主義没落後、この転換期を経由して既得権層と新興資本家(オリガルヒ)が経済を掌握し、住民の生活水準は奈落に転落した。 [4]

代表的にはポーランドが転換後にワシントンコンセンサス基調のバルツェロヴィチプランにより構造調整を断行したが、その傷痕は深い。 私有財産制導入、反独占政策、通過の交換性回復、資本市場創設、民営化などの市場化措置が施行された。 この中でも経済安定化政策とともに国営企業民営化が核心措置だったが、 1990年6月末までに国営企業として登録された企業のうち80.7%が 2003年末までにすべて民営化された。 しかし所得の不平等は大きく広がった。 世界不平等データベース2017年の研究資料 [5] によれば、 ポーランド上位10%の所得割合は1980年代に23%だったが、 1995年にはこの比重は34%まで上がり、2015年には40%に近付いた。

▲8月10日、10万人が参加したルーマニアでの反政府デモ[出処:ジャコバン]

東欧のエンクロージャー運動 [6] とディアスポラ

ポーランドでの国営企業の民営化は結局、失業者を大挙量産して西ヨーロッパ労働市場のためのエンクロージャー運動になった。 特に共産政権の崩壊に続いて2004年にポーランドがヨーロッパ連合に加入し、 約150万人が労働移民した。 ポーランド人が一番多く移住した国家は英国とドイツだった。

西欧と北欧に向かった脱出は、もちろんポーランドだけではない。 東欧国家の人口は減少し続けている反面、西欧と北欧国家の人口は増えた。 ヨーロッパの人口調査機関の協同プロジェクトである「人口ヨーロッパ」の最近の調査結果 [7] によれば、 1990年から2016年まで、東欧から西欧と北欧に出た人口は合計1200-1500万人にのぼる。 1990年からほとんどすべてのバルカン国家と元ソ連衛星国家の人口は減少した。 ブルガリアの人口は約19%、ラトビアは27%減った。 特にルーマニアは2007年から2015年の間に世界で2番目に大きなディアスポラを体験した。 海外に出るルーマニア人の増加率は年平均7.3%であった。 これは内戦を味わっているシリア(13.1%)のすぐ次だ。 [8]

東欧人が移住を選んだ理由は、ポーランドのように経済条件のためだった。 そしてヨーロッパ連合の低賃金市場は、生活の基盤を失ったこうした東欧の移住人口を積極的に吸い込んだ。 最近の調査結果によれば、ドイツでは低賃金雇用で働く先住民男性が12.8%、女性が30.3%だった反面、 東欧出身の労働者の割合は男性が50.8%、女性が52.2%だった。

しかし西欧と北欧に東欧出身の移住労働者が増加すると、右派は彼らの労働力を経済的に利用しながら政治的には孤立させた。 代表的には、英国で極右と右派が移住労働者を問題としてブレクジットを持ち出した。 英国では2004年から2010年までの6年間だけで東欧から150万人が移住してきた。 しかし移住労働者が英国経済に寄与しているのに、 右派と極右は社会問題を彼らのせいにして対立を縫合しようと試みてきた。

現在、東欧では東ドイツのように極右が既成政党を急速に追撃している。 ポーランドの法と正義党、ハンガリーのヨッビク、スロバキアの国民党などが反移民を打ち出しながら人気を集めている。 しかし開放によってさらに悪化した貧困と失業、不平等により、 下からの抵抗も増えている。 代表的にはルーマニアで去る8月に10万人が政府の改悪措置を防ぐために大々的なデモを繰り広げた。 デモの後、455人が治療を受ける程、対峙は激しかった。 このデモは故国に戻ってきた移民者の参加によりさらに鼓舞された。 ルーマニアの開放後に生まれた27歳の現地ジャーナリスト、マテイ・バボレスクは 「未来のための闘争は相変らず未決定状態にある」と指摘する。[ワーカーズ48号]

[脚注]

[1] イ・ハンテ・チョ・ユンス、統一後ドイツ経済の教訓、韓国経済学会、2013.http://eng.kea.ne.kr/common/ download?id=1701§ion=pub

[2] https://www.zeit.de/wirtschaft/2014-10/treuhandanstalt-privatisierung-ostdeutsche-wirtschaft

[3] サヌン経済研究所調査研究報告書『東ヨーロッパ主要国の経済体制転換過程-ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリーを中心に』(2007年) https://rd.kdb.co.kr/er/wcms.do?actionId=ADERERERWCE93&contentPage=/er/er/er/ERER27I0001001RS_DWIFRAME.jsp

[4] http://www.leftvoice.org/The-Labor-Movement-in-Post- Communist-Countries-An-Interview-with-Mihai-Varga

[5] https://wid.world/document/bukowski-novokmet-poland- 1983-2015-wid-world-working-paper-2017-21/

[6] 牧畜業の資本主義化のための耕作地没収

[7] http://www.populationeurope.org

[8] https://www.jacobinmag.com/2018/08/romania-psd-corruption-protests-emigration

原文(ワーカーズ/チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2018-11-05 16:19:23 / Last modified on 2018-11-09 19:48:18 Copyright: Default

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