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金属労組脱退書で始まったマンド・ヘラー闘争 シーズン2

[ワーカーズ]金属労組仁川支部マンド・ヘラー支会ハンセム主席副支会長と会う

オ・ジノ(非正規職ない世の中作りネットワーク執行委員) 2017.12.06 14:57

5月12日、文在寅(ムン・ジェイン)大統領は仁川空港を訪問しました。 「公共部門非正規職ゼロ時代」を宣言したのです。 多くのマスコミが破格の動きだと称賛を吐き出しました。 以前の政権では見られなかった変化の信号と解釈する人々も多かったのです。

同じ頃、仁川空港から30km離れた「正規職ゼロ工場」のマンド・ヘラーエレクトロニクスでは不当労働行為が行われていました。 自動車用感知センサー、電子制御装置などを作る会社の生産職には正規職がたった1人もいません。 長時間労働と一方的な賃金体系改編、非人間的な待遇に苦しむマンド・ヘラー下請企業社員は、2月12日に労働組合を作りました。 会社は「(労組といえば)ほかに行っても就職もできないからしっかり判断しろ」 「それ(労働組合)をするな」と労働組合からの脱退を勧めました。

会社は労働組合との対話ではなく弾圧、業者廃業、解雇、一方的な勤務形態変更を選択しました。 労働組合は交渉の場に出ても来ない使用者側をひたすら待つわけにはいきませんでした。 何よりも不法派遣だったので、もう下請企業の所属ではなく マンド・ヘラーエレクトロニクス所属の正規職にならなければなりませんでした。 労働組合は5月30日、合法的な手順を踏んでストライキに入り、会社は待っていたとばかりにアルバイトの代替人員を投入しました。

11月9日、6か月経った後、組合員たちは正規職になって工場に戻ることができました。 つらい経験を踏んで勝ち取ったものなので、さらに貴重な勝利です。 前支会長は秋夕連休翌日の10月11日 「金属労組から脱退して、正規職転換を推進する」とし、 金属労組脱退書を回しました。 300人ほどだった支会の組合員は大幅に減りました。 「金属労組仁川支部マンド・ヘラー非正規職支会」副支会長のハンセム氏は、 金属労組脱退書を回す前をシーズン1、 それ以後をシーズン2に分けます。 シーズン1で女性部長だったハンセム氏は、シーズン2では副支会長になりました。 ハンセム氏に労働組合が粘って勝利した力の背景を聞きました。

基本が崩れた労働組合

「シーズン1の時は、役員-幹部-組合員間の疎通が本当にできていなかったようです。 幹部や組合員が何か話を始めると、役員が『それは違う』といいながら言葉を切りました。 「(決まった答を)答えろ」のように。 本人が考えている答でなければ、ぜんぶ切ります。 会議は形式でしかありませんでした。」

労働組合の幹部と疎通しない労働組合役員、組合員意見に耳を傾けない支会長。 結局、騙されたのは組合員でした。 金属労組脱退書を回した10月11日、ハンセム氏と組合員たちはパニック状態に陥りました。 強圧的な雰囲気と催促にまきこまれて、多くの組合員が脱退書を書き、 残った人は十余人。 なんとか状況を整理して気持ちを立て直しました。 公聴会を準備して、脱退した組合員たちに(前)支会長の発言の何が問題だったのかを説得しました。

「(脱退書事態以後の)11月15日に復帰するまで公聴会を1週間に2回、 ある時は3回したこともありました。 絶えず組合員の話を聞いて意見を集めたかったし、 シーズン1のような誤りを繰り返したくはありませんでした。」

残った十余人の呼び掛けで、金属労組脱退書を書いた人たちが一人二人と戻ってき始めました。 ハンセム氏は離れた人たちが「気持ちは残念に思った」と話します。 脱退した人たちは(前)支会長側の間違いは分かるが、ただ今行動すべきなのか、沈黙すべきなのか悩んだといいます。 その中で少なくない人たちが勇気を出して、また金属労組に来たといいます。

「脱退派と非脱退派のテントを分けておきました。 脱退派の幹部は歩哨に立って、脱退派と非脱退派の出会いを防ぎました。 しかし北朝鮮の兵士が亡命するように、監視を突破して脱退派がまた労働組合に渡ってくる人が生まれ始めました。 そのようにして戻ってきた人は90人を越えます。」

疎通、教育、連帯で積む労働組合

ハンセム氏と労働組合の幹部らは、労働組合に残った人々と共に教育を受け始めました。 シーズン1の時は殆どなかった組合員教育でした。 教育が行われるたびに組合員たちの姿が変わるのがわかります。 「私が体験したことがこれほど不当なことだったのね」、 「会社がこれからどんな弾圧を試みて、どう対抗するべきか」。 事例と証言で埋め尽くされた生き生きした教育は、90人を団結させ、 労働組合活動に対する自負心を作る貴重な本質になりました。

闘争の日程も増やしました。 ある日は国会本社と仁川、ソウルを行き来する強行軍をしたりもしました。 共に闘争する日程を増やすと、組合員たちの態度も変わりました。 前は集会に出て行くと携帯電話を見ているばかりだった組合員たちが、 歌もしばしば一緒に歌い、拳も力強く振り上げるのを見ました。 労働組合は単に正規職になったり、もっと賃金を受けようという組織ではなく、 人間らしく生きるための権利を学ぶ『学校』になりました。 シーズン2が始まった後に体験した最大の変化です。

現場に復帰して一週間、まだ会社と労働組合は互いに塩梅をうかがっています。 脱退派は御用労組を作りましたし。 ハンセム氏は90人の組合員がみんな固く団結し、脱退派を説得して、 組合員ではない社員と会って行けば、 今の数的劣勢もすぐに克服できると信じています。 最後に新しく労働組合を準備する人々に言いたいことがあるのかを尋ねました。

「1順位は疎通なんです。 組合員たちの意見を聞いて、それを労働組合活動に反映させることが一番重要です。 次は教育で、連帯です。 この3種類さえきちんとやれば、組合員は自ら労働組合に対する自負心を持ち、しっかり活動することができます。」

原文(ワーカーズ/チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2018-01-03 07:59:47 / Last modified on 2018-01-03 07:59:49 Copyright: Default

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