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不和の場所、タプゴル公園の民家協集会

[ワーカーズ]人権の場所

ミョンスク(人権運動サランバン常任活動家) 2017.11.22 11:59

中央バスレーン造成工事の真っ最中のソウル鍾路2街、 バスを停留場でおりて鍾路3街方向へと5分ほど歩くと、仁寺洞交差点が見える。 仁寺洞の入り口にある金剛製靴ビルの反対側からYBM語学院の反対側には古風な韓国式家屋の瓦塀が見えるが、そこがまさにタプゴル公園だ。 1897年ソウルに作られた最初の近代公園(わが国初の近代公園は仁川万国公園だ)。 電車なら鍾路3街駅5番出口と2-1番出口から出れば良い。 5番出口から出ると、楽園市場を通り、韓国の国宝2号だという円覚寺跡10層の石塔が見える塀を通り、西門に入る。 西門へと通じる公園の壁の間で高齢のおじいさんたちが将棋盤を囲んで5、6人ずつ座っている。 その群れが六つ、七つ程度見える。 西門を通って角を曲がると「イエス天国・不信地獄」の横断幕を開いて説教と賛美歌を歌う人々が見える。 ここまでくれば、ここで民主主義の叫びを想像するのは容易ではない。

[出処:サゲ]

賛美歌を歌う人波の横を20m行くと、瓦の下に「三一門」と書かれた正門が見える。 独立宣言文から抜粋した印刷体の文字をまねた文字だ。 三一門の前に年を取って落ち着いた女性と男性20人が一人一人宣伝プラカードを置いてアンプを設置する。 年齢七十には見える女性たちが、カバンから紫色のタオルを取り出して頭に巻く。 「国家保安法を廃止して良心犯を釈放しろ」と書かれた横断幕を広げる。 民家協木曜集会の準備だ。 民家協のフルネームは「民主化実践家族運動協議会」だが、人権活動家もわからなくなるほど、略称の方がよく知られる良心犯釈放運動団体だ。 集会時間の午後2時が近づくと、青い囚人服を着た若者二十人が光化門方向から集会に合流する。 統合進歩党の李石基(イ・ソッキ)議員などの釈放運動をする「良心犯がいない国へ-同行」が青瓦台まで歩いて木曜集会に参加する。

2017年10月19日、1141回目の木曜集会は、良心犯後援会のクォン・オホン会長の冒頭発言で始まった。 通りかかる通行人は、発言に耳も貸さず、何気なく過ぎ去ったりもする。 数ある人の中には、地面に敷かれた国家保安法の歴史と良心犯の内容を書いたプラカードを踏んだりもする。 そのたびに集会の参加者たちが「プラカード踏むな!」と叫ぶ。 時には年を召したおじいさんが指をさして「アカども、うるさい!」と言いながらタプゴル公園に入る。

文民政府を圧迫するために始めた木曜集会、26年

民家協は反独裁民主化運動に根を持つ家族運動団体だ。 韓国人権運動の初期には軍事独裁政権の下で民主化運動をしたことで拘束された人々を救ったり思想良心の自由などの自由権中心の運動だった。 民家協は1985年12月12日、ソウルのキリスト教会館2階の講堂で創立されたが、 85年7月の米文化院占拠座り込み後に拘束された学生の両親の会が中心になった。 その前の1974年の民青学連事件後にも拘束家族の会はあったが、 家族が釈放運動を媒介として自らを民主化運動の主体と宣言することはなかった。 民家協は、創立発起文にこれを明確にした。

「一個人の釈放を哀願するのではなく、民主化の隊列に共に立つことだけが、 苦しむ人々が家族のもとに戻る近道だと信じ、 民衆民主民族理念を実現するための前向きな家族運動を展開していくために、 民主化実践家族運動協議会を発起する。」

民家協の会員は創立時から強制連行と拷問容疑がある所には駆けつけて抗議した。 拘置所や刑務所前、対共分室のある南山安全企画部の前で横になったり 捜査官をつかまえて良心犯を釈放しろ、容共操作やめろと叫んで戦った。 白骨団に殴られて連行される学生や労働者を救出したりもした。 2008年のキャンドルの時も、お母さんたちは警察が市民を連行しようとすれば、 飛びかかってなぜ無実の市民を捕まえて行くのかと言いながら引き出した。 だから、体調がいいはずがない。

足を引きずりながらツエをついて集会に参加した民家協会員、チョン・スンニョ(81歳)氏は、 1999年に拷問技術者のイ・グナン裁判で抗議して負傷した。 イ・グナン裁判の日、早く到着した民家協会員はチョン氏だけだったが、 近くにいた1人の学生が小石をいじりまわしていた。 「学生が投げれば捕まるから、私が投げます」とそれを奪い、 法廷に出てきたイ・グナンに投げつけた。 イ・グナンの顔が傷つき、後にいた私服警官9人がチョン氏を引き出して踏みつけた。 倒れているとペク病院に連れて行かれ、そこで3日間入院した。 心配するかと思って子供たちには話さなかったが、 時間が経つと足の具合が悪くなって、今はツエがなければ歩けない。 そんなに苦しくても毎週参加するのかと聞くと、ここに出てこなければ何をするのか、 民家協の会員は友だちよりも考えが通じて気が楽だとし、 喜んで来るのだと言った。 運動が人生になったのだ。

[出処:サゲ]

1992年のスパイ集団操作事件で息子が捕まり、民家協活動を始めたキム・ソンハン(77歳)氏は、 その前まで集会も国家保安法などは知らなかったと言う。 秋夕の頃に家に押しかけた警察は、令状もなく本箱を検索し、尋ねることがあると言ってしばらく息子を連れていった。 しかし夜になっても息子は帰宅しなかった。 翌日も帰らず、子供がどこにいるのかも分からないので息子の友人に尋ねたところ、 ひとまず民家協という団体に行って助けを乞えと言われた。 安全企画部がある南山で女たちが鉢巻きを巻いて押し引きして戦ったりしていた民家協を訪ねて加入した。 チェ・ギュソクの漫画「100℃(訳注:邦題『沸点』)」にも、 主人公ヨンホのお母さんが息子の友だちが民家協について知らせる場面が出てくるのに似ている。 キム氏は1993年9月23日、金泳三(キム・ヨンサム)が大統領に当選してから始まった木曜集会について話す。

「その年の12月までしようと思ったが、26年もするとは思わなかった。 息子は出てきたけれど、いまも出てこられない人が多いから(木曜集会に)出てこなければいけません。 その人たちの手を握ってあげれば慰労になるから。」

民家協のお母さんたちは、もう拘束者の家族ではないが、 国家保安法廃止と良心犯釈放運動を26年間続ける運動の先輩だ。 これ以上彼女たちの闘争を「母性」という範疇に閉じ込めておけない。 民家協の会員は87年の盧泰愚(ノ・テウ)の6.29宣言と1988年の1400人にのぼる良心犯釈放を忘れられない。 イヨン前常任議長も盧泰愚政権だけの良心犯釈放ではいけないと思って始めたと言う。 「88年には裁判が終わっても終わっていなくても、全員釈放した。 起訴された人も釈放したから。 しかし自称文民政府だというから、私たちがちょっと戦えば良心犯を釈放するだろうと思って始めたんです。」

その他にも民家協が95年に長期囚問題を国内外に伝え、非転向長期囚が解放された。 1989年に社会安全法が廃止され、ほとんどの長期囚が釈放されたが、 相変らず非転向長期囚は50人以上が監獄に閉じ込められていた。 縁故者もなく、写真一枚もない、44年間閉じ込められた世界最長期囚キム・ソンミョン氏の存在を知らせたのも民家協の努力のおかげだ。 その結果、1995年にキム・ソンミョン氏が釈放されて1999年すべての非転向長期囚が解放された。 解放された非転向長期囚は木曜集会にしっかり参加している。

あの時もおじいさんたちは私たちをアカとののしった

木曜集会の場所をタプゴル公園前にした理由は、3・1独立運動の精神を継承するためだという。 「三一門」の表札板の下に決めた。 タプゴル公園の中には相変らず1919年3月1日に独立宣言書を朗読した八角亭があり、 民族代表33人のひとりの孫秉煕(ソン・ビョンヒ)先生の銅像と3・1運動のレリーフがある。 民主化に対する民衆のかたい意志を表明する象徴的な場所であるわけだ。 しかし当時も主にタプゴル公園にいる人たちは、独裁政府を支持する保守的なおじいさんたちだった。 初めて木曜集会を開いた時も、国家保安法を廃止しようと言ったり操作スパイ事件についていえば 「アカ女ども」と攻撃されるのが常だった。 そのたびに大声で対抗したのがイム・ギラン前常任議長だが、今は病気で入院中だ。

その上、鍾路は通る人が多いばかりか、街頭集会をすれば集まる集結地だったので、民主化運動をしている人は誰もが知っている所だ。 チョン・テチュンの歌「92年梅雨、鍾路で」の歌詞に出てくるほど、 90年代初期の鍾路は大規模街頭闘争があった所だ。 通りを占拠することにした時間に、誰かが道路に出て行ってシュプレヒコールをあげれば、 歩道で静かに待っていた一群の人々が道路に飛び出した。 戦闘警察とチラル弾(訳注:四方にガスを吹き出す催涙弾)、催涙弾が登場すれば、 できるだけ粘ってから後に退却する街頭闘争が、鍾路やソウル駅、市庁と南大門でよくあった。 「再び鍾路で旗、群衆を待つな」というチョン・テチュンの歌詞のように、 1993年の文民政府登場以後に少し街頭闘争がなくなる頃に木曜集会が始まったのだ。

保守的なおじいさんたちが多いここを木曜集会の場所に選んだのは、 果敢にここを3・1独立運動の精神を受け継ぐ人権の場所として奪還しようとしたのだろうか。 考えてみればタプゴル公園は、既存の秩序に亀裂を入れる不和の場所だ。 日帝治下にも、そして独裁政権下だけでなく、今も相変わらずだ。 パゴダ公園だった時、パゴダ劇場に男性同性愛者がひそかに集まる所でもあった。 もちろん集会も恋愛も、少しの間のことかもしれない。 現代社会の流動にあわせて場所性も変わるが、その流れに人権の閃光が光るのは、 そこで木曜日ごとに屈することなく、国家保安法廃止と良心犯釈放を叫ぶ民家協のお母さんたちのためではないか。 だから彼女たちは相変らず従北の烙印が有効な現実と、 良心犯が1人も釈放されない2017年を苦しむが、 「それでも戦い続けなくちゃ」と約束する。[ワーカーズ36号]

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2017-11-27 05:22:45 / Last modified on 2017-11-27 05:22:48 Copyright: Default

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