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韓国:ドラマのように暮らせるだろうか | |
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ドラマのように暮らせるだろうか[ワーカーズ]何でも言ってみる祭り
ソン・ジフン(沃天新聞記者) 2017.04.24 22:11
#ドラマのように暮らしたかった大学では厚い哲学の本を抱えて座り、愛だとか人生だとか実存だとかという言葉をべらべら話したかった。 小さい時にみたドラマに出てきたお兄さんたちはそうだった。 「私たちの天国」や「KAIST」のようなドラマ。 もっと年を取って就職すれば、自分の仕事を愛し、熱意あふれる新入社員になりたかった。 そのうちに夜勤している時に目が合った職場の同僚と始めた炎のような恋愛のようなことも想像した。 「ミスターキュー」のようなドラマを見ると、そんな場面が必ずあった。 そんな場面で、女優はたいていキム・ヒソンだった。 本当に夢が大きかった。 私はチャン・ドンゴンやキム・ミンジョンではないんだけど。
▲tvN一人酒男女の撮影現場[出処]tvN一人酒男女撮影現場 考えてみれば、およそ20年ほど前、ドラマには本当にたくさん「キャンディ」たちが出てきた。 そんなドラマのキャンディは、古い昔から金の前に毅然としていなければならなかった。 悪いことをして金で適当に片付けようとする財閥2世に「お金が全部だと思うのか、まず謝罪しなさい」というセリフを飛ばすのが、 古い昔からすべてのドラマの中のシンデレラ、キャンディの最初のセリフだった (そうすると、その堂々としたまっすぐな性分に財閥2世がすっかり惚れる。 だが実は彼女がものすごく可愛いから惚れるのだ。 キャンディ役も主にキム・ヒソンやチェ・ジウだったから)。 しかし、ある瞬間からキャンディは金の前に毅然としなくなる。 ドラマの中の大学にも人生や実存、愛、ロマンといった、うじゃうじゃとうごめく言葉より、 アルバイトと最低賃金と登録金、就職難といった言葉の方が多く登場する。 金が至高の価値ではないという言葉に屈しなかったキャンディたちは、 今は至高の価値である金を稼ぐためにどんな苦難と逆境にも勝ち抜く不屈の精神に着替えた。 金より夢と愛を選んだ大学生は、夢と愛のために熱心に金を稼ぐ。 前は職場で夜勤して目が合うカップルの最大の妨害が「恋敵」だったが、今では「身分」だ。 男の主人公は主に正規職、女の主人公は非正規職だ。 それは多分、愛とロマンで生きていけた時代のドラマの主人公と違い、 IMFの時に思春期を過ごし、FTAの時代に恋愛して就職する新自由主義型の主人公が持つ生活の態度のためだ。 世の中のすべての価値が金に合わされるのが当然という生活を送っている今の私たちのドラマ。 #「ドラマのように生きたかった」昨年10月、CJ E&Mの芸能チャンネルのtvNでドラマを作っていたイ・ハンビッPDが自ら命を絶った。 ドラマ「一人酒男女」の打ち上げが終わった翌日だった。 イ・ハンビッPDが作った「一人酒男女」は鷺梁津の上級公務員試験学院を背景にしたドラマだ。 友人がなく、金がなく、時間と余裕がなく、一人で酒を飲む「一人酒族」の話だ。 公式ホームページの企画意図は、彼らを「慰労」して「共感」しようとするとドラマを紹介した。 しかしイ・ハンビッPDの仕事は慰労と共感ではなかった。 イ・ハンビッPDは「一人酒男女」の助演出をしながら撮影の合間に撮影チームに契約破棄を知らせ、契約金を取り返す仕事を担当した。 ドラマ現場の契約職に「整理解雇」を通知することだ。 イ・ハンビッPDは契約職労働者を解雇することに対し、専任PDに問題を提起したが、帰ってきた言葉は非難と悪態だった。 その後、彼に殺人的な強度の労働が強要された。 専任から憎まれた彼に、人格的な冒涜と集団いじめも始まった。 イ・ハンビッPDの遺族はCJ E&Mを「怪物」と呼んだ。 イ・ハンビッPDが死んだ後、会社は遺族に 「イ・ハンビッPDが不誠実だったし、非正規職を無視して対立を招いた」と非難した。 事件は6か月近く隠蔽され、4月になって真相究明を要求する声が表面化した。 キリュン電子、ソウル大占拠座込場、KTX解雇乗務員、416連帯。 イ・ハンビッPDが1年目の月給から金を送った所だ。 駆け出しのドラマPDは、多分ドラマのように生きたかったのだろう。 心と力を集めて、より良い世の中、暖かい心を描くようなドラマ。 金より愛が大きくて、人生には希望が残っているといったようなドラマ。 孤独な彼らが互いを慰労して愛するドラマ。 しかし世の中はドラマとは違っていた。 整理解雇、契約職、悪態といじめ。 どこを見てもドラマのようではない現場で、彼は少しずつ死んでいったわけだ。 いっそそれよりもうドラマさえもはや暖かいものではないという方が正確かもしれない。 では、これほど非情な世の中の人生こそ、ドラマのように暮らすことなのだろうか。 #ドラマのように暮らせるだろうか先日放映が終了したドラマ「金課長」は「サイダーのようなドラマ」という好評を受けた。 末端の社員らが財閥企業の不条理に対抗する内容だった。 何年か前に大ヒットした「未生」は非正規職労働者に「チャン・グレ」という代名詞をつけた。 そのドラマをじっくりと見たが、若かった日にそうだったように、彼らのように生きたいという気がしない。 経理部の末端職員が大企業の粉飾会計を明らかにする虚無孟浪な話は信じることができず、 みじめな非正規職の人生に耐え抜くことなどはしたくない。 だから、もうドラマのように暮らしたくない。 ゴダールの言葉だが、映画は現実の反映ではなく反映の現実だという。 映画とは現実を描き出すのではなく、作る人が描く世界を反映することだという意味だ。 では非正規職を頑として解雇して、これに問題を提起したPDが死んでいく世界で暮らす彼らが描き出した現実をあえて見たくはない。 もうこの世界では誰も希望のような物をあえて見つけることはできないと思うからだ。 なんだか(道理で)しばしば昔のドラマだけ探して見るようになる。 この文を書いている間に「ソウルの月」を有料決済した。 ホンシクはみじめな中でも生活の希望を握りしめていられたのに。[ワーカーズ30号] 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2017-04-28 14:53:21 / Last modified on 2017-04-28 14:53:22 Copyright: Default 世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ | |