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拘束された息子の分まで、80年の人生をかけた海軍基地反対の戦い

[インタビュー]カン・ドンギュン村会長のお母さん、コ・ビョンヒョン氏

済州=チョン・ジェウン、ユン・ジヨン 2011.10.23 11:27

1600日以上続く江汀村海軍基地闘争。村の住民すべてがこの歳月をじりじりし ながら暮らしてきたが、誰よりもこの時間を苦しみに耐えなければならなかっ た人がいる。

八十を前にした江汀村の住民、コ・ビョンヒョンおばあさんは、政府も国民も 無視していた海軍基地阻止闘争を大変な思いをしながら引っ張っていく息子の 姿を見守ってきた。村を守ろうとする息子の気持ちは理解できくはなかったが、 海軍と警察、政府という巨大な権力と戦う息子を見守るのは容易ではなかった。

ついに8月24日、コ氏の息子のカン・ドンギュン江汀村会長が連行、拘束され、 彼女は毎晩、寝ることも申し訳なかった。彼女一人の力では息子を釈放するこ とができないことを実感し、絶望もした。『いくらインタビューしても変わら ない』と、インタビューを拒否し続けたのも絶望感のもうひとつの表れだった。

結局、何度かインタビューを断られた末に、コおばあさんはまた、恨めしい話 を話した。いつもの話をしても、涙が止まらない話。おばあさんが吐き出す話 は、苦しい生と戦ってきた長い歳月を含み、今は権力との死闘を繰り広げてい る80年の歳月の記録だ。

「ドンギュンが必ずやり遂げるといった。必ずやり遂げるでしょう」

「われわれはできます。いや、やり遂げなければなりません。これがこの時代、 私たちに与えられた使命です。私たち子孫が美しい世の中で暮らせるように、 神様が私たちにくれた試練です。

また強調します。われわれはできます。勝てます。いや、勝ちました。もう少し、苦難と逆境に耐えれば、私たちの将来には永遠の平和が待っているでしょう。住民の皆さん! 活動家の皆さん! 頑張って下さい」 - 2011. 8. 28. カン・ドンギュン村会長の獄中書簡より

熱い夏の日だった8月24日、江汀の村を率いていたカン・ドンギュン村会長が 警察に奇襲的に連行される事件が発生した。その後、拘束されたカン会長は もう二か月も収監が続いている。

その間、季節は変わり、済州島にも寒い風が吹く。季節が過ぎて、カン会長の お母さんのコおばあさんは、まだ息子の声を一度も聞くことができなかった。 カン会長がおばあさんの面会を頑として拒否しているためだ。

「一度も面会できないんだよ。皆面会に行くのに私だけ行けないんだ。息子の 顔が見たくて、面会に行こうとしても、息子がお母さんを連れてくるなと重ね 重ね頼んだって。誰も私を連れていってくれない。理解できなくはない。面会 に行けば、息子も泣いて私も泣くだろうからね。だから息子も人々に私を連れ てくるなと言ったんだよ。みんなも心配だから私を連れていかない。それでも 会いたいよ。とても会いたい。

息子が捕った後、息子のことを考えるとどうしようもない。とてもくやしくて、 胸にしこりができたような気持ちだよ。夜も眠れない。若い活動家たちにこの 家の部屋を明け渡したが、午前3時に帰ってくるの。部屋で横になって、その子 たちの声を聞くと、やっと眠くなる。私が働いているので、眠らなければ働け ないと思って、毎日無理に寝つくのだけど大変だよ」。

事実、コおばあさんは3年前から一日も楽に暮らしたことはなかった。彼の息子 が江汀村会の会長を引き受けた直後からだ。一生苦しい生活と戦ってきたコお ばあさんにとって、『国家権力』はとても遠い世界の話だった。そんな状況で 息子が江汀村会の長として国家権力と戦い始め、突然恐くなった。

特に済州4.3抗争の痛みを覚えている彼女にとって、『国家権力』とは、つまり 恐れだった。これに対抗する息子を見て、あらゆる否定的な想像をする状況だっ た。むやみに息子が会長職をひきうけるのを引き止めたりもしたが、力不足だっ た。結局おばあさんは何年も息子の安全と危機に全神経を尖らせて生きてきた。

「息子が部落の村会長を引き受けて3〜4か月の間は、本当に毎日眠れないほど 大変だったよ。息子の自動車やバイクが家の前に止まっていれば眠れるけれど、 なければ眠れないんだ。毎晩、儀礼会館、村会館、村のあちこち息子を捜しま わったよ。村会館に行くと息子が座っている。どんなにうれしくて気が楽か... 息子は私に『どうしてお母さんが来たのか』と聞くんだ。

私は毎日息子に『一人でいるな。誰に刺されたらどうする』と心配していた。 いつもそんな心配をしているよ。海軍基地反対を率いる会長なのに、誰かに殺 されたらどうするんだ。みんなのところに行って私の息子を村会長にしないよ うにとお願いもしたよ。しかし結局してしまっただろう」。

コおばあさんの引き止めにもかかわらず、カン・ドンギュン会長は3年間、江汀 村会を引っ張ってきた。事実上、おばあさんも息子の性格上、いくら止めても 結局はするだろうと知っていた。今、村人と平和活動家は大きな体と良い体格、 雄壮な声で力強く海軍基地反対を叫んだカン・ドンギュン村会長を『キャプテン』 と記憶している。

「私のおじいさん、そのおじいさんも、とても頑固だった。そしてドンギュン は、おじいさんによく似ているんだ。住民の同意もなく海軍基地ができるとい うので、むやみに飛び込んでしまう性格がそうだよ。いくら私が止めてもだめ なの。見てなさい。監獄から出ればきっとまた飛び込むから。ドンギュンが私 に言った。必ずやり抜くって。あいつが必ずやると言えば、やり抜くよ」。

労働者、農民の職場奪った海軍基地

毎日つらい労働をしているコおばあさんは、晩はクタクタだからインタビュー はつらいと頼んできた。だからインタビューのためにコおばあさんのお宅に訪 問したのは午前7時。まだ重いまぶたがまだ開かない。

昨晩の疲労が消えないのに、おばあさんはいつの間に準備した黄色いミカンを 薦める。かごの中のミカン一つを取り上げて、おばあさんは大きいやつがおい しいんだと言って、他のミカンを握らせる。おばあさんが昨日、一日中他人の みかん畑を歩き回って苦労して収穫したミカンだ。

「私は畑に行く。最近はみかん畑でミカンを取る。だいたい明け方の6時から畑 で仕事を始めて、午後5時頃に仕事が終わるんだ。他人の畑でミカンを取るので、 畑がどこかによって仕事に行く時間も違う。遠ければ明け方5時前に出かけて、 午後7時過ぎに帰る。

働いているときの昼休みは40分で、休み時間は別にない。そのように働いて、 日当5万ウォンだ。少なくないかって? 少なくてもやらなきゃ。食べなきゃね。 これをしないと私には生計が何もない。それで一日も休めない。ミカン農作業 が終われば、次はキンカンの季節で、そしてニンニクを植えて、白菜、ダイコン、 ニンジン等等、季節ごとに仕事がある。

働いてつらいこと? 私は11年前、交通事故にあった。その時、からだの半分が マヒして、その後遺症がつらい。働いて、痛くないところはないよ。腰も痛く、 足も痛くて。家に帰ると、もうへとへとだよ」。

一日中農作業に苦しむ人々にとって、日常は疲れとだるさだ。豊かな田園生活、 余裕がある日常は、都市の人々が作り出したしん気楼でしかない。特にコおば あさんのように農業をする自分の土地がない人々の人生は、さらに苦しい。彼 らが他人の畑を耕し、そこに種をまき、収穫をするのは、それこそつらい労働 以上でも以下でもない。

昔の言葉で言えば、彼らは他人の土地を『小作』して農作業をする。コおばあ さんのように、そのも難しければ、ミカンの収穫作業のような『アルバイト』 で生計を維持する。最低限の生計のためのお金の心配を一生、ずっと悪業の報 いのようにしながら暮らさなければならない。

不思議なことに、村に『海軍基地』という国策事業が入ると、彼らの人生はさ らに世知辛くなった。すでに東北アジアの平和威嚇、生態系と文化財破壊など の憂慮をもたらしている海軍基地事業が、事実上、自分の土地も持てない彼ら の生計まで威嚇している。

「昨年までは、他人の土地を借りて農作業をしていたよ。息子も同じさ。土地 がないからね。しかし今年からは、からだが痛くて農作業ができない。事実、 からだもからだだけど、海軍基地ができることになって、他人の土地を借りて 栽培するのも足りなくなった。余剰の土地は多くないから。本来江汀はとても 小さな地域だ。西はウォルピョン、そしてトスン、内側はポブァンに囲まれて、 土地は多くないところだよ。

そもそも土地がない江汀村に海軍基地ができることになって、他人の土地を借 りて農作業をする所もなくなった。しかたなく人々もウィミやモスルポに出て 行って金を稼ぐようになった。私のように手伝いをして、一日稼いでその日を 暮らすのも難しくなったよ。それでも海軍基地が入る前には農地があって、村 のハウス歩き回って、手助いをして働くのも易しかった。だけど今は金を稼ぐ ところがない。しかたなく人々は明け方から働くところを探して、済州島全体 を歩き回るようになった。日当5万ウォンを稼ぐため、車に乗って1〜2時間、よ その土地に行かなければならないってことだ。ここから2時間の距離を行くには 明け方5時にもならないうちに出かけなければならない。とても大変だ」。

80年の人生の痕跡、江汀村、
『平和』を守るおばあさんの戦い

おばあさんは80年の一生ここを離れたことがない。友人は陸地に嫁に行ったが、 おばあさんは十八でこの村で結婚式を挙げた。とても綺麗な年齢で新婦になっ たが、いくらも経たないうちに夫は交通事故で亡くなった。世間知らずの三人 の子供と、まだ世の中の光も見ない腹の中の子供を残したままだった。

おばあさんは当時を思い出して『とんでもない生活の歳月だった』と回想した。 婚家の家族の世話をして、昼は子供をぞろぞろ背負って出てきて畑仕事をした。 家には子供の面倒を見る人がいないので、コおばあさんは畑にふとんを持ち出 して、四隅を棒で支え、その下で四人の子供を育てた。

毎日、日常とたたかいながら暮らしてきたので、町のあちこちが仇敵のようで 胸が痛い。子供たちがみんな自分の道を進むようになり、人生の峠を越えたと 思っていたのに、思いがけない『海軍基地』という山がまたおばあさんの平坦 な前途を遮った。今までのつらい生活と死闘してきたおばあさんは、今の村を 守るためにまた動き出さなければならない状況に置かれた。

「初め、海軍基地ができると聞いた時、私は実はよくわからなかった。それが そんなに簡単に決まることも知らなかった。賛成住民80人ほどが投票して一瀉 千里で進んだでしょう。息子が海軍基地反対に飛び込んでも、私は実はあまり 確信がなかった。賛成側の住民は海軍基地の誘致はとてもいいと言って、ぜひ しなければならないと言い、反対側は海軍基地ができると生きていけないと話 すじゃないの。何を信じればいいかわからないのさ。

それでも苦しくて、自分の目で直接見なければならないと決心したの。そして 子供たちも誰にも分からないように、国民学校の友だちが暮らしている釜山に 行ったの。友人にちょっと海軍基地を見物させてくれと言ったのさ。とにかく 友人と海軍基地に行って、そこで暮らすおばあさん1人と会って、あれこれ聞い たのさ。まず海軍基地の周辺はきれいなのかと聞いたんだ。すると『どこかが 見学にくるといえば、用役100人ぐらい動員して、一度清掃するんだ。そうでな ければきちんと清掃しないのでひどいもんだよ』と言う。

また酒場みたいなものがたくさんできて、夜は民間人が安心して通れず、照明 がとても明るいので農作業もできないう。そのおばあさんも家を売って出て行 きたいが、誰も家を買おうともしないと。金持ちは家を探して出て行くけれど、 金のない人はそこで暮らすしかないって。そのおばあさんに私たちのところに 海軍基地ができると言うと、首に刃物をつきつけられても防げと言うんだよ。 その時、見聞きしてずいぶん考えたよ。村は水が良くて土地が良いから江汀な のに、今まで平和で静かだった部落でみんなが仲よく暮らしてきたのに、こん なことで崩れてはいけない。守らなければならない、と」。

コおばあさんとのインタビューのすぐ前日、海軍はクロムビ岩での試験発破を 強行した。一度衝突と連行が起きた後と村の雰囲気も激しかった。コおばあさ んはインタビュー間、ずっと心配でため息を吐く。いやな記憶でも、良い思い 出でも、八十の一生の喜怒哀楽があちこちに染みこんだ村なので、隅が少し切 られても、残念さが伝わってくるからだ。

「とても胸が痛かったの。私が生まれて、今までここで暮らしてきたのに、そ の土地をこんなに爆破するのだから...クロムビ岩やハルマンムルは平凡なとこ ろではないのさ。特にハルマンムルは、普通じゃないんだよ。そこには海老が 住んでいるのだけれど、昔から妊婦が病気の時、その海老をたった三匹食べる だけで病気が治った。それなのにこんな有り様にして、どんな罰があたるか...」

おばあさんはクロムビの試験発破の時、その日も外地のみかん畑で仕事をして いた。仕事のためにみんなと一緒に行動できないのが、とても気にかかってい るようだ。連行される活動家を見て痛ましさを表した。

しかし、コおばあさんは仕事が終われば、海軍基地反対の関連したすべての 行事に参加する。へとへとの体を引きずっても、毎晩8時のキャンドル文化祭 を抜けることはない。この前、西帰浦市内でした三歩一拝も何とか時間を作って 参加した。

息子の闘争とおばあさんの闘争が各々4年。その間、彼らの活動を鍛えたのは、 人々との交感であり、連帯だ。何より母子は結局、海軍基地問題を解決できる のは、ここに集まっている人々だということを知っている。

「キャンドル集会のようなところは、本当にひとりでも多く出なくては。本来、 序盤は村人が200人も出てきたの。でも工事が始まると、勝算がないと思ってい るのか、80人程しか出てこないじゃないの。とても疲れたよ。失望したりも したよ。ここにきて活動する内地の人がいなければ、私たちは本当に終わったかも しれない。

こんな時ほど、みんながもっと話して団結しなければならないんだよ。もっと 力も出さなければならないし。そんな面でみんなに力を貸してくれる内地の 活動家がありがたい。連行されるのを見ると心が痛くてつらいよ。今、私の願い は、ひとつしかない。ただ海軍基地が出て行って、前のように平和な江汀で 暮らしたいんだよ。私には土地もなく、何もないけれど、それでも平和な江汀 で残りの人生を暮らしたい。今、みんなが集まって望んでいるから、きっと そうなるだろうけどね」。 (メディア忠清、チャムセサン合同取材チーム)

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2011-10-23 17:49:30 / Last modified on 2011-10-23 17:49:40 Copyright: Default

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