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韓国:サムスン電子サービス「狂った奴ら」の反乱 | |
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サムスン電子サービス「狂った奴ら」の反乱はどのようにして拡大したのか[インタビュー]ウィ・ヨンイル金属労組サムスン電子サービス支会長
チョン・ジェウン記者 2013.09.26 10:56
「狂った奴の声を聞いた。ちょっと飯を食わせてくれと言ったらサムスン電子 サービスセンターの管理者が私に言った。世界のどこに昼休みをさせずに働か せる所があるのか。朝起きて、出勤して、仕事に追われると、昼食を食べられ ない。夜に退勤して、出退勤表通りに働けば、夜9時に終わり、事務室を整理し て退勤し、家に帰ると夜11時だ。とても腹がすいているから何でも食べて眠ら なければならないが、ラーメンを作って食べる力もない。それで生のインスタ ントラーメンをかじり、焼酎を飲んで寝る。こんな生活は珍しくなく、シーズ ンの夏の間、ずっと続く。食事の機会ができれば、座った場所で茶碗に三杯食 べる。私が今、この飯を食べなければ、いつまた食べるかわからないから」 (パク・ソンジュ サムスン電子サービス支会副支会長) 1986年にはネズミの糞混じりの犬飯を食べていた韓進重工業の労働者がいて、 2013年の深夜、生のインスタントラーメンをかじり、焼酎を飲むサムスン電子 サービスセンター協力社のアフターサービス技術者がいる。ある時間帯に何も 食べられなかった韓国の労働者たちは、27年経っても腹を減らしている。 そして1986年、韓進重の労働者たちが「犬飯を拒否しよう」と弁当拒否闘争で 使用者側に初めて抵抗したように、サムスン電子サービスのアフターサービス 技術者らは、昼休みを求めて闘争し、2013年に労使協議会のくびきを壊して、 初めて労組を作った。人間らしく生きるための労働者たちの闘争が続き、集団 で味わった抵抗の力は、労組の組織力拡大につながっている。それも「私が死 んでも労組は絶対にだめだ」という故李秉��(イビョンチョル)会長の遺言が 絶対的な「サムスン」でだ。
[出処:チャムセサン資料写真] 変化の風が吹き始めた昼休みと8時間の労働時間争奪、賃金カット反対、時間外勤務手当支給など勤労 基準法を守れと会社に抗議した数人の「狂った奴ら」の反乱は、全国金属労組 サムスン電子サービス支会結成の出発点になった。うわさとスマートフォンの チャットなどを通じ、全国に広がった抵抗の知らせに、会社も労働者もざわめ いた。「何もわからないが、とにかく団結しよう」と始めた労組結成運動は、 組合員400〜500人から始まり、現在では1600人に達した。 労働者たちの抵抗は、会社が作った労使協議会の構造から始まった。釜山市 東莱センター出身のウィ・ヨンイル サムスン電子サービス支会長は2012年6月の 労使協議会委員長に当選した。ウィ・ヨンイル支会長によれば本来、労使協議会 もなく、GWP(Great Work Place)協議会が労使協議会に化け、労働庁に登録されていた。 「御用労使協議会の勤労委員がいたが、勤労基準法や労働法を全く知らない。 私が2012年1月から積極的に活動し『なぜ使用者側を代弁するのか?』、『勤労 基準法を守れ』と圧迫するので既存の勤労委員が『私にはできない、処理しろ』 こうなった。仕事も忙しいのに攻撃され続けるので勤労委員たちが嫌になったのだ。 東莱センターの場合、昼休みと8時間の労働時間、一部時間外手当を勝ち取った。 業務の特性上、顧客が待っているので週5日制はうまくいかなかったが、それでも 勝ち取った。 それと共に全国に「東莱センターで変化の風が吹き始めた」という噂が立った。 労使協議会を主軸として、初めは東莱、浦項、亀尾の3つのセンターで集まるよ うになった。そして拡大し始めた」 数人の労働者の抵抗が、集団的な労働者の怒りと出会った。昼休みだけでなく、 昼食費も自腹を切らなければならない状況、顧客サービスのための車両維持費 と燃料代を労働者が負担する現実、殺人的な労働時間と労働強度に怒りが生ま れていた。そのうちに賃金の大幅な削減が行われた。 「2011年、大法院が現代車非正規職に不法派遣と判決し、サムスンが請負法に 危険を感知して準備をし始める。2012年4月から、サムスンは核心の部分を分離 し始めた。以前は元請職員と協力社職員が混在して働き、すべての業務を共有 し、その上私たちが所属して働いている協力社をGPA(Great Partner Agency)と 呼んだ。協力社の職員が元請支店長の前に行き、パワーポイントで案件を発表 し、改善対策を出した。月給が少ないだけで、仕事は全く同じだった。 「請負」は請負単価契約を結び、仕事の結果を持っていけば請負契約金を受け 取るが、4月以前には元請が協力社の社長に賃金を払い、私たちの賃金を払い、 建物の賃貸料を払い、すべての機資材を与えた。明白な偽装請負だ。問題にな ると、協力社にまるごと金を払って処理しろといった。すると以前は少しずつ 金を踏み倒していた協力社が多量の金を見て欲がわき、多額のピンはねをし始 めた。労働者間の賃金格差が1千万ウォン以上になり始めた。全国で「この月給 では暮らせない」と大騷ぎになった。そしてわかった。協力社の社長は経営が できない社長で、原因はサムスン電子にある!」 あまりにもひどいという言葉がある。「12年連続サービス品質1位」にしたのは アフターサービス技術者の非正規職労働者だが、「本当の社長」ではない サムスン電子、サムスン電子サービスが年末成果給祭りをして、配当金祭りをした。 「サムスン電子サービスが捜索令状を持ってきたわけでもないが、資材を検査 すると言って私の車をひっくり返して、会社の職員ではないといいながら日曜 になると呼び出して登山をさせた。平日もさせた。『5時30分までに金井山入口 に集まれ』といった。賃金も払わずにこき使い、教育は毎日『サムスンマンだ、 サムスンのプライド』を持てという。われわれはオフシーズンには100万ウォン しか受け取れずに飢えているのに、新聞にはサムスン電子の成果給がいくらと 騒ぐ。『ああ技師さん、成果給3千万ウォンで良いですね』と言われると『火に 油』という気がするしかない」
▲ウィ・ヨンイル支会長[出処:メディア忠清資料写真] 「藁をもつかみたい気持ち」が「奇異なこと」に続いた現場の労働者が人間としての自尊感を回復する変化の期待が広がるとサムスン 電子サービスは「悪手」を指し始めた。使用者側は「不満者」たちを除去する 前近代的な方法を使えば変化の期待は静まると判断した。直接監査をして、 ウィ・ヨンイル現支会長、シン・ジャンソプ、ヒョン事務長を問題にしようと したが失敗した。 「監査をしも何も出てこなかった。私は『どうしてそんなにして暮らすのか』 という声を聞くほど、不正腐敗にまきこまれず、比較的清潔に暮らした。監査 カードで私を威嚇する時に堂々としていられた。不法は会社が、私は堂々とし ていた。シン・ジャンソプ現事務長も堂々としているだけではなく、入社して からいくらも経たずに監査をしても、何も出なかった。結局、会社は2013年の 5月末に偽装廃業で他のアフターサービス技術者を近隣のセンターに再雇用し、 私たちを解雇した。私は最後まで辞表を書かなかった。この会社が扉を閉める 時までいるといった。『社長、今日は泊まりましょうか?』といいながら社長 一人、私一人がこうして座っていた。 使用者側が廃業、解雇を強行し、ウィ・ヨンイル支会長は窮余の策だと思って 民主労総全国金属労組に労組教育をしてくれといった。彼は、前から釜山で いろいろな所に行っていた。韓国労総、民主労総から統合進歩党、民主党まで。 生活が苦しく、なぜ私だけがこうなのかと思いながら、他の『勤労者』はどう 暮らしているのかが気になった。勤務が終わればいろんなホームページに入り、 『ROM』をした。足かけて、酒一杯飲みながら世の中の移り変わりに目を通した 彼だった。この過程で失望もしたし、勇気を得て、成果もある。アフターサービス 技術者の労働の現実を変えるために『藁をもつかむ気持ち』であちこち皆と会った。 そうしているうちに民主労総を選択することになった。 「金属労組が直接、サムスン電子サービス東莱センターの現場にきて、教育を したのは歴史的な瞬間だった。『とんでもないことではないのか』という言葉 もあったが、窮余の策だと思った。東莱センターは大騒ぎになった。サムスン 電子サービスができてから、初めて民主労総金属労組がきて、私たち全てを集 め、労組とは何かと教育をしたのだ。 その後サムスン電子サービス南部支社グループ長が来た。使用者側は緊張した。 本来は私たちをばらばらにして近くのセンターに送ろうとしたが、そうすれば 癌細胞のように繁殖すると判断したようだった。それで、東莱センターだけで 人員が20人でも、30人でも、他に行けないようにするため、内部で『抱えてい なさい』と指示したようだ。労組を作ろうとうごめいているから。東莱センター 側はすぐまたアフターサービス技術者を採用すると言いながら、勤労契約書を 作成するために来いといった。私と事務長だけには来いといわなかった」 同時にウィ・ヨンイル支会長は、個人ブログに文を一つ書いた。解雇を目前に していた彼が、5月末〜6月初めに文を載せて、ツイッターにも送った。その日 の夜から『奇異なこと』が発生する。国会議員と記者に電話がかかり始めた。 大騷ぎになった。ソウル、釜山、浦項などの労使協議会の委員長で構成された スマートフォンのチャット、全国アフターサービス技術者のうち専門担当チーム 業務を遂行する労働者たちが情報を共有する、もうひとつのチャットに文が 書き込まれ、状況が伝えられた。先立って一二回、集まろうとしたこれらの会 が、ざわざわし始めた。使用者側は、労働者の持ち物を検査して、チャットに 書き込まれた文を消したりもした。 「文の内容は『2013年6月初め。もう一人の全泰壹烈士がいる。若さを燃やさな ければならない程に劣悪な勤労環境で働かなければならない人々がいる。その 人々がまさにサムスン電子サービスの職員だ』ということだ。初めは、陳重権 (チン・ジュングォン)教授に『ちょっと助けて』という気持ちでツイッターを 送ったが、リツイートされて爆発した。陳教授のフォロー数が13万〜16万程度 だった。ネイバーの今日のツイッターに5分程度、メインに上がってきていて、 同僚が興奮し始めた。そしてさらに多くの人からフォローされている李外秀(イ・ ウェス)先生にもツイッターを送り、助けを要請した。急速に広がって、いろい ろな所から電話がかかってきはじめた」
▲今年7月14日、サムスン電子サービス支会が設立された。[出処:チャムセサン資料写真] 今、労働者たちは昼休みにご飯を食べる2013年7月14日、サムスン電子サービス支会が誕生した。支会は現在、労組組織 の拡大事業に集中している。1万人の労働者の団結を集めるために、『労組』と いう家の礎を作り、骨格を組んでいる。彼は『労組は大衆が作り続ける一つの 家』と定義した。 「人を集めることだ。骨格もできていないのだから、先に装飾をするのは合わ ない。支会の現執行部任期は2年残っている。2年間、私たちがすべきことは、 今は組織を拡大し、支会の基本を作る仕事だ。そうしなければならず、嵐で 風雨が打ち付けても倒れないだろう。その次は後輩が壁画も、そして装飾も きれいにして、完成させていかなければならないのではないか。労組は大衆が 作り続ける一つの家だと思う」 そして、労組の組織を拡大して維持する一つの力は、サムスン電子サービス センター労働者たちの人生が少しずつ違っているということだ。また昼休みの 話に戻らなければならない。今では、労働者たちは昼休みにご飯を食べている。 「これまでなかった昼休みが全国に生まれた。それだけでもすごいと考える。 私たちが毎日昼休みくれと言っても『オイお前、飯を食えずに死ぬか。余った 時間に飯を食べればいい』と言っていた使用者側だった。退勤時間も午後6時に 決めた。われわれは代理運転手がコール件数で金を受け取るように、仕事の 処理件数で金を受け取る。時間外手当も払わず、夜9時、11時までこき使った。 私たちが飢えようが生きようが、全く気を遣わないのがサムスンだ。私たちは こんな待遇を受けていた。 だが私たちが太鼓を叩き、長鼓を打って『退け』と言ったから昼休みもできた」
[出処:メディア忠清資料写真] (記事提携=メディア忠清) 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2013-09-27 14:43:49 / Last modified on 2013-09-27 14:43:49 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ | |