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サムスン、「労災ではないと決定済みだ」

[メディア忠清]パク・チヨン氏の遺体安置所はサムスン被害者の集合所

チョン・ジェウン記者/ 2010年04月01日17時46分

パク・チヨン氏の遺体安置所で『サムスンの被害者』と会うことができた。 いつしか遺体安置所はサムスン被害者の集合所になった。サムスンの無労組 経営の弊害。反労働者的政策の具体的な内容が暴露される空間でもあった。

サムスンで働き解雇されたキム・ガプス、キム・ソンファン氏、パク・チヨン 氏と共に、サムスン半導体温陽工場で働いて白血病にかかり治療しているキム・ オギ氏、器興工場で働いて白血病になった娘を先に天国に送ったファン・サンギ 氏、そして同じように夫を失い遺体安置所に駆け付けたチョン・エジョン氏…。

▲キム・オギ氏

家族ばかりでなく、サムスン側が『また捨てた家族』は彼女の遺体安置所の前 で限りなくすまないと思った。パク・チヨン氏の死の前で申し訳ないと思う人 はとても多かった。生前、闘病中のパク・チヨン氏もメディア忠清とのインタ ビューで最もよく言った言葉が『申し訳ない』だった。

だがサムスン側は『残念だ』と言う。続いてサムスン電子半導体担当者は、 「労災についてはすでに公団が労災ではないと決定し、化学物質使用に関して も疫学調査結果が出た。疫学調査は専門家の仕事」とし、韓国産業安全公団の 労災ではないという判定を強調した。

しかし、疫学調査そのものが不十分だったという指摘と、サムスン半導体で使 う化学物質が白血病を誘発する主な原因だという資料は提出され続けている実 情だ。

喫茶店で会ったサムスン

42歳のキム・オギ氏は22歳でサムスン半導体に入社し、半導体組み立て、洗浄 業務をして退職後に白血病と診断され、闘病中だ。金氏は葬儀場に到着すると すぐ涙を流した。心境を聞くと「話す言葉があるか」とし、とても言葉をつな げなかった。風邪にかかっても治療中なので風邪薬も飲めずにいる。

「この世でとても苦しんで行ったから。ジヨンの死が無駄にならないように、 今の苦痛から抜け出せるように、生きている人間ができることをすべきだ。 無駄な死にしないように、生きている人間が立ち上がるべきだ。」

印象が良いファン・サンギ氏は忙しい。国会議員がくるとサムスン半導体工場 の実状を知らせ、関連業務でかかった病気が労災として承認されるべきだと毎 日強調してまわった。パク・チヨン氏の死を前にした3月31日の朝、病院に到着 した黄氏は、サムスン側の職員に大声で「どこだと思ってここにきたのか」と 追い出そうとした。黄氏も万感が交差して笑って泣くという。そしてサムスン でやられた『一番悔しかったこと』を回想した。

「2007年1月頃、ユミが白血病で死にかかり、サムスンに電話すると次長1人と 課長2人が束草のうちにきたんだ。その前にバカ喫茶店があるんだが。ユミが死 にかかっているのに、何の元気もなく死んでいくのに。サムスンはその前で私 を懐柔、脅迫したんだ。私をだましてユミに辞表を書かせた。2006年10月にサ ムスンの課長、職長が家にきて、ユミの休職期間が過ぎてどうしようもないの ですぐ辞表を書けといったんだ。会社に望みを話すからというので、労災にし てくれと言ったが、『お父さんがこの大きなサムスンを相手にして勝てるもの なら勝ってみろ』と言う。それで『私がこの大きなサムスンにどうやって勝て るものか。大きな会社が処理しなくちゃ。労災にしろ』と言ったんだ。すると 課長が別のことを要求しろって。この会社で白血病になったとうわさになると、 互いに困るから、後の治療費5千で間に合わせろと言うんだ。治療がうまくいけ ば理由を付けないといって、辞表を書いた。その後、11月中頃に亜洲大病院に きて、ユミが死にかかっているのに500万ウォンを持ってきて、これで解決しよ うと嘘をついて行った。金で辞表を書けといって嘘をついた。そしてもう会社 (サムスン)の人ではないのに、なぜ私たちにあれこれ言うのかと言っても何も 聞かない。サムスンは化学薬品も使わずユミの白血病は個人の疾病だって。ユ ミが死んで、葬儀場にきても、サムスンはまた恐喝して脅迫した。葬儀に行っ てちゃんと保障すれば終わりで、自分とは何の関係なく、労災でもないって。 口さえ開けば嘘、詐欺、恐喝だ。李健煕から学んだのかしらないが。」

そして最後に『時々ユミを思い出す』と言った。

▲ファン・サンギ氏はサムスンと聞くとうんざりだと、サムスンが送った弔花の帯を取ってしまった。悲しみより怒りが強い。[写真/パノルリム]

「昨日家からソウルに来るため始発に乗って眠っていたら度々チヨン、ユミを 思い出した。3日間眠れなかった。度々ユミの可愛かったこと、ふざけていたこ と思い出して。チヨンの面会時間になったが、死んだというので、病室に入る と、とても目を開いて見られなかった。どんなに苦労したかと思った。その顔 を見るとユミを思い出して、涙がほろりと出た。ここに国会議員もきたのに… かわいそうな労働者のことばかり思い出す。ユミ、オギ…半導体工場で働いて また白血病かかって出て行く人を考えると、ため息しか出ない。涙がにじむ。 必ず社会の指導層がこの問題を絶対に解決しなければならない大きな課題だと 思う。」

まだ生々しいこと「影マーク」

サムスンSDI天安事業所で働いて2000年11月に解雇されたキム・ガプス(現サム スン解雇者復職闘争委員会議長)氏も、ずっとパク・チヨン氏の横にいた。彼は 労組がないサムスンで労使協議会委員になり、労組に転換しようとしたのが使 用者側に知られた。法で保障された労組を設立し、サムスンの『無労組神話』 を変えようとしたが、簡単にはいかなかった。サムスンの尾行がまだ生々しい と金氏は回顧した。

「解雇され、外で闘っていた私が最後まで頑張るので、サムスンは私を24時間 管理した。出勤すると『影マーク』といって、人が常に付いて回る。設備の仕 事をしても事務室の前に椅子を持ってきて座り、会社から出てくると尾行組2人 1組、時には車が3台もつくことがあった。1台は常に24時間私を付いて回った。 家を見張る組もあって、彼らも3交代でした。サムスンはそうして人を管理した。 現場では他人と会わないようにした。1年もたてば、ほとんど気が狂う。たまに はこうした管理の中で面談だと言って管理者たちが私を連れて地域を離れ、よ その土地に行く。江原道の山奥や京畿道、全羅道。人がいない場所を連れ回し て懐柔、脅迫をするんだ。たまに私が逃げると捕えられて、強制的に多数が集 まって車を玄関につけて、遠慮なく腕を折って強制的に乗せて行ったり、途中 で交通事故になって病院に入院したりもした。同僚が私を拉致されたと失踪申 告したこともある。警察は『会社の事だ』『尾行、監視なら軽犯罪でしか処罰 されない』とだけ言う。すべて無駄だった。本当に大韓民国の社会はサムスン 共和国だということを身に凍みて感じる10年だったよ」

そしてキム・ガプス氏もパク・チヨン氏に申し訳ないという言葉を繰り返した。 金氏はサムスン関連の労働者の中で、白血病にかかった朴氏と一番早く会った 人だった。

「信じられない…三星が反労働者的政策をやめ、白血病を認めて、労働災害を 認めることが解決策だ」

携帯電話不法複製位置追跡被害労働者で2005年拘束されたサムスン一般労組の キム・ソンファン委員長は、2007年3月国際アムネスティ良心犯に選ばれ、11月 に全泰壹労働者賞を受賞したが何も変わらない。相変らずサムスンは批判する 者は解雇し、半導体工場で働き白血病にかかった労働者の数は増えている。

キム・ソンファン委員長は遺体安置所の前に座って『今こんな時』が一番恐い という。今こんな時とは、どんな時なのだろうか。

「働いて労働者が怪我をして死んでも、会社は全く無関心だ。これは働いて怪 我をして死ぬのでなく、虐殺されて消耗品として捨てられることだ。こんな瞬 間が一番悔しい瞬間だ。拉致監禁も思い出す。白血病で被害労働者の名誉回復 と、家族のために最後まで真実糾明をしなければという責任感をさらに強く感 じる。できることはそれしかない。」

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2010-04-04 10:02:19 / Last modified on 2010-04-04 10:02:20 Copyright: Default

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