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東子洞9-20、また「ここ」に戻った人生

9月、工事中止仮処分申請が認められ、またドヤに

カン・ヘミン記者 2015.12.14 14:26

▲(左)7月に撤去が進められていた9-20の建物。(右)最近リモデル工事を終えた東子洞9-20の建物

今にも倒れそうな人生がまた「ここ」に戻った。 去る2月、扉ごとに強制退去の公告文が貼られたソウル市竜山区東子洞9-20(現厚岩路57道17-9)の話だ。

東子洞のドヤ(末尾の訳注参照)街でも一番家賃が安い東子洞9-20。 2月5日、建物の出入口と部屋の扉には3月15日までに退去しろという「黄紙」が貼られた。 しかしほとんどが基礎生活受給者で高齢者の彼らはすぐに出て行くのは難しかった。 路上、ドヤ、考試院、貯めた金があれば賃貸住宅。 路上に居座るのは恐ろしく、他のドヤや考試院はここより環境が良くもないのに、さらに高い家賃を払わなければならず、 賃貸住宅も今まで暮らしてきた場所を離れ、馴染みのない町への移住だったので途方に暮れた。 結局、住民たちは共同対策委員会を作った。 彼らは建物のオーナーと面談してソウル市長と会い、記者会見をして、 国民権益委員会、法律救済公団などを訪ねて訴えた。 しかし彼らを助けてくれる人はいなかった。

これまで工事は着実に進められてきた。 春から夏になる頃には空部屋の扉が取り払われ、トイレの扉が取り払われ、洗面台の蛇口がなくなった。 6月末、断電・断水になってからは排便をしてもトイレに水が流れず、 昼間なのに建物の中は真っ暗だった。 空部屋と部屋の間の壁が取り壊された。

それでも残る人々がいた。 住民3人は6月19日、工事中止仮処分申請を裁判所に出した。 そして9月9日、裁判所はこれを認めた。 建物主の強制撤去行為は住宅賃貸借保護法に反するという理由だった。 裁判所はドヤも住居に当たるとし、住民たちがドヤに入居した時に作成した契約書が一か月でも、法的には賃貸借期間は2年と認められるため、 契約期間が残っていると判決した。 工事中止仮処分訴訟を進めたソウル社会福祉公益法センターのキム・ドヒ弁護士は 「この期間に建物主は賃借人が使用受益できるようにする義務があるのに、 根拠が不充分な強制撤去工事を強行した」と説明した。 判決が出た時、9-20には五人しか残っていなかった。

▲(上)強制退去通知が初めて貼られた2月の9-20の2階の廊下。(中央)撤去が行われた7月初め。(下)工事が終わった12月8日の9-20 2階。

その後、ソウル市が積極的に介入して、建物主はゲストハウスに用途変更する計画を撤回し、ドヤを維持することにした。 ソウル駅のドヤ相談所が4年間、建物の運営を委託されることになり、 ソウル市は既存のドヤの建物を借りて低価格で入居者に賃貸する 「安い部屋賃貸支援事業」の一つとして9-20に対する保証金を融資支援することにした。 長い陣痛の末の合意であった。 そうしてまたドヤに戻す工事が行なわれた。 その過程で既にドヤ内の教会と管理人部屋だった空間がドヤに転換され、部屋数は47部屋から51部屋に増えた。

11月、いよいよ再入居が始まった。 既存の在来式トイレは洋便器に変えられ、部屋と部屋の間の防音が補完され、扉も木の扉から防寒扉に変わった。 家賃はその前より1万ウォン上がった。 それでもやはり周辺の相場よりは安い方だ。 地下15万ウォン、1階〜3階16万ウォン、部屋が大きく台所がある4階の屋上部屋は18万ウォンだ。 現在、ほとんどすべてが埋まった。

既に9-20で暮らしていた人の中では、10人だけがまたここに戻った。 11月20日、そのうちの1人が9-20入口の階段で倒れて死亡した。 彼は普段から体調が悪く、総合病院と呼ばれていた。 そうして9人がまた9-20で暮らすようになった。

107号で暮らすミン・ユシク氏(67歳)も戻ってきた人だ。 彼は退去公告からいくらも経たなかった時、ここを出た。 9-20から出て向いの米屋が運営するドヤで暮らした。 右膝が良くない彼は1階で暮らしたく、また9-20に戻った。

残る人たちはなぜ戻らなかったのだろうか。 「一回引越しするのも大変で、面倒です。 みんな年齢も高く体調も良くないので、私たちが手伝うといっても行かないと言います」。 東子洞サランバンのチョ・ドゥソン共同代表の言葉だ。

アン・ソンシル氏(65歳)氏は9-20に戻らない。 彼は少し特別なケースだ。 なぜなら永久賃貸アパートに引っ越す予定だからだ。 彼は9-20で2年ほど暮らした。 本格的に撤去工事が始まった6月初め、彼はすぐ隣の建物の東子洞9-19(現厚岩路57道17-7)に引越した。 そこの家賃は彼が暮らしていた所より2万ウォン高い17万ウォンだった。

▲アン・ソンシル氏(左)と一緒に新しい夢公園自律防犯隊員として活動する東子洞ドヤの住民。アン氏が防犯隊員であることを示すジャンパーと帽子をかぶっている。

彼は9-20に入る前には親と共に姉の家で暮らしていたが、姉の家を出てソウル駅で野宿した。 野宿者を支援する「タシソギ総合支援センター」を通じて基礎生活受給者になり、ドヤに流れてきた。 それと共に賃貸アパート申請もすることができた。 しかしまだいつ、どこに行くのかはわからない。 当選はしたが入居順序を待たなければならないためだ。 だがどこに行っても孤独なので、ここにしばしば遊びにくる予定だ。 何よりも「セクム公園自律防犯隊」の防犯隊員活動を続けなければならない。 セクム公園自律防犯隊は今年、龍宮地区隊が東子洞のドヤ住民と共に作った自律防犯隊で、 東子洞9-20の前のセクム児童公園に警戒所がある。

「奉仕しなければいけないから。 私が政府からもらっているので政府に奉仕する、私の気持ちはそのように持っています。 今もがんばっています。今、勤務ではないけれど出ています。」

12月8日、セクム希望防犯警戒所で会った彼は、 防犯隊員であることを示す黄色の防犯隊ジャンパーと帽子をかぶっていた。

ホン・ジョンソク氏(44歳)は新しく9-20にきた人だ。 前に建築現場で働いて腰に怪我をした彼は、4年前に基礎生活受給者になった。 彼は中林洞の考試院で暮らしていたが、ソウル駅のドヤ相談所の紹介でここにくることになった。 ここはこれまで住んでいた所より部屋が大きく、窓もあるのに家賃は遥かに安い。 前に暮らしていた所の家賃は23万ウォンだったが、ここは16万ウォンだ。

▲ソウル駅ドヤ相談所の紹介で9-20に新しくきたホン・ジョンソク氏

「弘大、新村の方は25〜30万ウォンで高いが、ここはとても安い。 ドヤなので、企業が後援する物品もあって、ここは前に暮らしていたことがあるので知っている人もいて、 そんな良い点があります。」

彼の部屋にはソファが一つある。 一人が横になれる程度の分厚いソファが彼の部屋を埋める。 腰に痛みがある彼がベッドの代わりに横になるソファだ。

12月8日、東子洞サランバンは9-20入居者の部屋に棚を付ける工事をした。 この日、ホン・ジョンソク氏の部屋にも棚がかかった。 おかげで部屋の中に荷物を置く空間がさらに六寸程度生まれた。 それでも部屋に全部は入らない荷物が廊下に置かれている。 人が暮らすには相変らず狭く、しかし時にはあること自体が幸いなそこで、 また人生が続いている。

訳注
ドヤ: 主に貧困層を対象とする安価な住宅。建物のフロアがひと坪程度の小さな部屋に細かく仕切られている。主に建設労働者を対象とする日本のドヤとは異なるが、ここではドヤと訳した。

付記
カン・ヘミン記者はビーマイナーの記者です。この記事はビーマイナーにも掲載されます。チャムセサンは筆者が直接書いた文に限り同時掲載を許容します。

原文(チャムセサン/ビーマイナー)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2015-12-15 06:46:14 / Last modified on 2015-12-15 06:46:15 Copyright: Default

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