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韓国:竜山撤去民チョン・ヨンシン氏が迎える秋夕 | |
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竜山撤去民チョン・ヨンシン氏が迎える秋夕法廷で夫とアメやりとりする8か月生き別れの話
キム・ヨンウク記者
batblue@jinbo.net / 2009年10月01日15時58分
「休廷します。午後の裁判は2時30分からです」 ハン・ヤンソク部長判事が席を立つ。傍聴者は法廷の外に出る被告人の手を握 るために傍聴席を出る。刑務官の間でチョン・ヨンシン氏とイ・チュンヨン氏 はアメをやりとりする。9月30日の龍山惨事裁判で、チョン・ヨンシン氏はイ・ チュンヨン氏から小さいビタミンCとアメをもらった。監獄の中に持ってきたア メは外、外から持ってきたアメは中に入る。結婚して8か月ぶりに生き別れをし た二人は、その後の8か月は法廷と監獄で会った。二はアメをやりとりしながら、 そうして新婚生活をしていた。イ・チュンヨン氏は去る1月20日、竜山撤去民の 櫓鎮圧の時に撤去民対策委員長だった。彼はその事件の主導者で拘置所にいる。 公判が始まると、チョン・ヨンシン氏は夫がよく見える所に座る。裁判を丁寧 に記録するために一番前の席に座るが、それでももっとよく夫が見える所に座 る。二人は時々目が会えば目くばせと手まねで心の対話をする。 チョン・ヨンシン氏はそれでも新郎に会えるのだから良い。初めは水も渡せた が、今は法廷に水を搬入させない。それでもアメでも渡せ、顔を見ることがで きて嬉しい。別れてから8か月になるのが切ない。夫の健康もずいぶん良くなっ たので安心だ。チョン氏は夫が笑う姿を見せるが、監獄中でどんなにつらいか と思うと胸が痛い。夫が睡眠剤を飲んでいるという話を聞いて、外に出てくれ ばすることも多いが、薬に依存せずによく運動をするように頼んだ。彼女はほ とんど毎日竜山闘争がなければ夫との面会に行く。 30日の裁判は秋夕を前にした最後の裁判だった。また監獄に入る人々はむしろ 法廷にきた家族に『ちゃんと秋夕を祝え』と笑って励ましの話を投げる。 家族は残念な気持を後にしたまま法廷を出る。
イ・チュンヨン氏は裁判の前には眠れない。それで睡眠剤を飲む。警察特殊部 隊の殺人的な鎮圧があった後、8か月ずっと火災による苦痛で鎮痛剤を服用して きた。彼は法廷で常に笑う顔を見せる。彼は体格が小さく右側に6・4に分けて 端正だ。亡くなったお父さん、故イ・サンニム氏の葬儀を行うことができず、 黒いスーツに白いワイシャツ、黒いネクタイをして左の胸には謹弔リボンを付 けた。両腕には松葉杖をついてソウル中央地法311号被告人席に座る。30日、夫 人のチョン・ヨンシン氏は彼が座ったところから10時の方向の傍聴席に座って いた。妻は自分たちに有利な証言が出てくれば明るく笑ったり手まねや目くば せで話しかける。 彼は1月20日、竜山のナミルダン・ビル屋上の櫓火災から命拾いして生還した。 火がついた櫓から飛び降りた後、水たまりに落ちて生き延びた。彼が落ちたと ころはレア ビヤホール方向の隅の近くだった。彼が一瞬、目を開くと、すぐ前 の築台がまっ赤になっていた。死ぬとばかり思っていた。頭を打って気を失った。 夫人のチョン・ヨンシン氏は特殊部隊が櫓に進入する時、ナミルダン近くのレ アホフの3階にいた。そのうちに櫓の下から煙が出て、人が落ちたが新郎が見え なかった。しまったと、驚いて駆け付けた。姑のチョン・ジェスク(故イ・サン ニム氏の夫人)氏は、息子が死んだかもしれないといったが、おちつけとお母さ んをなだめた。姑は泣いて失神した。チョン氏は惨事現場に入れてくれと警察 と争ったが入れなかった。誰も夫の行方はわからないといった。それでも新郎 は生きていた。とても小さな体格だったので、なんとか脱出したのだろう。一 筋の糸のような希望を抱いた。そのうち、誰か中大病院に行ったというので、 病院に駆け付けた。彼女は横たわっている新郎を見たが、本当に死ぬと思った。 服を脱がせると、肉が真っ黒に焦げていた。死にそうだなと思った。そんな新 郎が生き返った。 イ・チュンヨン氏はある消防署員のために生き延びた。燃える櫓のそばに気を 失っていて「ここに死人がいる」という声が聞こえた。消防署員は、彼が死ん だと思って彼を担架に縛って降りて行った。ある消防署員が彼の胸を触って 「この人は生きている」と話した。彼は病院に運ばれた。 しかしチョン・ヨンシン氏の舅イ・サンニム氏は生還しなかった。ついに舅の 生死が確認できず、狂ったように尋ね歩いた。チョン・ヨンシン氏が覚えてい る舅のイ・サンニム氏は、10月も渓谷の水で一時間泳ぐほど、がっしりしてい た。推進力が強く、義侠心も強かった。それで舅は心配しなかった。手配犯な ので警察に捕まり、取り調べに行ったと思った。まさか死ぬとは思いもしなかっ た。舅の遺体を見た時、チョン氏は「うちのお父さんでない。DNA検査をする」 と言ったほどだった。意識を取り戻した夫もニュースを見て「飛び降りれば助 かるのに、死んだなど話にならない」と信じられなかった。 そうして夫イ・チュンヨンは死んで、生き返った。結婚して8か月ぶりに死んで 生き返った夫は、病院で警察に捕まった。そして拘置所に入り、生き別れになっ て、もう8か月が流れた。しかしチョン・ヨンシンとイ・チュンヨンは、法廷と 監獄で切なく8か月を続けていった。二は結婚前に6年間恋愛をしていた。 チョン氏は夫が法廷に立つたびに理解ができなかった。なぜあそこにああして いなければならないのか。時間が逆転すれば良いと思った。賞をもらっても、 何の罪で殺人罪をかぶっているのかと思った。私がもっと賢明だったら、もっ と新郎を助けられればという後悔も押し寄せた。 それでも気持を取り直した。新郎が一番苦しいことが分かるからだ。イ・チュ ンヨン氏はみんな自分のために発生したと考えている。同志でもあったお父さ んがどんなに変わったのかもしらず、自分は監獄にいるのにお母さんと夫人は 昼夜泣き叫んで歩き回る姿をニュースで見て痛ましく思う。 面会に行くと、イ・チュンヨン氏は妻に「君に重荷を背負わせて申し訳ない」 と言う。そんなチュンヨン氏を見て氏は「自分が一番つらいのに、一緒にいて やれずにごめんという」と、その心遣いに慰労を受ける。 イ・チュンヨン氏は普段、一つの場所に30分以上座っていられない性格だ。委 員長の時も人々を一人一人尋ね歩いて話をした。竜山4区域にはおばあさんが多 く、よく理解できなければ理解するまで話をした。チョン・ヨンシン氏はそん な彼を本当に暖かくてやさしく、純真な心だといった。一見、猪突的だが几帳 面だ。そんなイ・チュンヨンは、町内の先後輩だった用役たちがチュンヨンさ えいなければいいのに、と言うほどだった。 イ・チュンヨン氏は自分をあまり考えなかった。だからヨンシン氏はくやしい。 チュンヨン氏は自身を離れて一緒にいるおばあさんたちを、さらに残念だといっ た。チュンヨン氏が小さいころから竜山4区域で暮し、町内の先輩たちは龍山4 区域の再開発組合理事だ。用役も町の先輩たちだった。チョン・ヨンシン氏が 6年間恋愛をしつつ、共に食事もした先輩たちが再開発の前で醜悪な実体を見せ た。職業もなかった彼らが用役になって高級車を乗り回した。 ヨンシン氏は彼を知っているのでチュンヨン氏に委員長をするなと止めさせた。 委員長という肩書きがつけば、もっと告訴や腕力にやられそうだった。それで もチュンヨン氏は「私でなければ誰がするのか」と言った。チョン氏はその時、 もっと強く止めなかったことを後悔した。 事実、止めるのは難しかった。夫が自分のことだけを考えれば委員長はしてい なかったことを知っているからだ。夫人が用役に非難され、全撤連に加入した という理由だけで、会うたびに目ざわりだという声を聞いているのを知ってい るから、自分の気持が一番傷ついた。チョン氏は「ろくでなしどもが店に来る のでもう暮せない」という話も言った。それでもチュンヨン氏は「われわれは 若いから他所に行くこともできるが、10年、20年ここで暮したお年よりたちは 出て行って暮せない」と言った。理解してくれといった。止められないといっ た。そんなに危険でないとも言った。生きようというと、気を付けるといった。 それで止めさせられなかった。
チョン・ヨンシン氏は一度も欠かさず裁判を見た。裁判をするほど警察鎮圧の 間違いが明らかになった。撤去民はずっと「無実の市民には投げなかった。私 たちを殺そうとする用役と警察に投げた。櫓の内に引火物質が多いのに、なぜ 火炎瓶を投げるのか」と言ったが検察は自分たちが仕組んだ通りの筋書きにあ わせて捜査を続けた。検察の捜査記録3千ページも裁判の過程から抜けた。だが 新しい弁護人が選任され、裁判が進むと、特殊部隊員からも火炎瓶を見なかっ たという証言が出てきた。しかし完全に法院を信じられない。多くの特殊部隊 員が控訴事実を否定する証言をしても、火炎瓶を持った座り込み者に嫌疑をか ぶせた警察の誤りはまだ認めないからだ。それで3千ページがさらに気になる。 9月26日、秋夕の前の追慕祭で、ヨンシン氏は佗びしく泣いた。普段はお母さん たちの前で笑う彼女だったが、その日だけは涙が止まらなかった。映像が上映 されると8か月の間、あんなに苦しく生きてきたお母さんの姿がとても佗びしかっ たからだ。久し振りに警察の妨害のない追慕祭がうれしくもあり、とても佗び しくもあった。チョン氏はそのの日午前にも夫と面会してきた。その場でチュ ンヨン氏は、その日も「いっしょにいれなくてごめん」と言った。8か月間戦っ た映像を見ていると、その映像を一人で見るのがとてもつらかった。 チョン・ヨンシン氏は、竜山氾国民対策委状況室と葬儀場にした順天��病院か ら出た時、気持が楽ではなかった。病院から出る時は、葬儀をして出てきたかっ た。お母さんたちが用役に殴られる状況を考えれば、さらにつらい。ナミルダ ン付近に移した住まいは、24時間待機状態だ。それで夜、電話がかかってくる と、いつも緊張する。単なる安否の電話でも、何かが起きたような気がする。 10月からまた撤去を始めるという話も聞こえる。10月12日に法院の現場検証が 終われば、櫓があるナミルダン・ビルも撤去するのではないかと心配だ。お母 さんたちは8月間、悪だけ残った。今は私たち一人が死ぬのを見なければ解決し ないような気もする。最近は警察も遺族を殴る。気分が悪い。チョン・ウンチャ ンがはやく謝罪して問題が解決し、お母さんたちが日常に戻れればいい。 チョン・ヨンシン氏の希望は、亡くなった撤去民烈士の願いと同じだ。臨時の 店と賃貸店舗の保障だ。ただ商売が続けられるようにしてくれということだ。 そのために座り込みをし、それを実現しなければ死は無駄になってしまう。そ の問題が解けなければ闘争は終わらないだろう。 チョン氏は今回の秋夕にも、旧正月と同じように竜山現場ですごさなければな らない。神父様たちが現場を守っているので皆ゆっくり過ごしなさいと言った が、今はそこが家だ。姑チョン・ジェスク氏も、夫は死んで息子は拘置所にい るのに、どこに行けるかと言う。他のお母さんたちも新郎がここにいるのにど こに行くかと、皆現場にいる予定だ。秋夕の時はゆっくりした気持ちで祭事の 膳を調えて差し上げたかったが、問題は解決しなかった。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2009-10-04 12:08:31 / Last modified on 2009-10-04 12:08:32 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ | |