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産別時代、実践で企業の垣根を壊す

[インタビュー] イーランド一般労働組合を作ったホン・ユンギョン

オ・ドヨプ記者 odol@jinbo.net / 2006年12月21日10時28分

イーランドとカルフ労働組合が「イーランド一般労働組合」の名で誕生した。 二つの労組の統合は、5月に流通業界初のニューコア・カルフ・イーランド共同 闘争本部の共同闘争の成果だ。統合準備で忙しかった12日、イーランド労組の ホン・ユンギョン委員長に会った。20日を越えた今日は委員長ではない。

「統合準備はうまくいっていますがたいへんです。実際にしようとすると、と てもやる事が多いのです。あまり荷が重くて…、なかったことにして解散しよ うというギャグもいいます」。

すでに二つの労組は組合員投票で97%以上の賛成で統合を決意した。形式的な 統合を越えて実践し、一つになる手本になった。

統合の高い賛成が怖い

組合員の高い賛成率がもっと怖い。行ったことがない道だからだ。一つにな ることが希望だったが、その道の未来は分からない。

「統合をしてどんな成果があると言うより、統合して、その時から成果を作っ ていかなければならないということでしょう。慣れた事業場別組合活動の枠組 みを壊さなければならないので難しいし、もっと献身が要求されます。 良いとばかりは言っていられません」。

統合の後、もし物事がうまくいかなければ、統合したからだめだったと非難さ れる。すべての責任が統合労組にある。困難と恐れはここにある。

「統合にはカルフの努力が大きかったです。カルフ組合員の400人が非正規職 ですよね。全体組合員の40%を越えます。カルフが年中無休で営業をするよう に、カルフ労組の幹部は年中無休で組合員と会って事業をします。幹部に対す る信頼がとても高いのです。高い賛成率は、統合の未来を組合員が見て送った のでなく、これまでカルフの幹部たちが示した献身に投票をしたのでしょう」。

献身性が統合を達成

カルフの幹部たちは休まず現場を巡回して、組合員が要求する問題はその時 ごとに解決しようと努めた。高い信頼の秘訣だ。また、非正規職問題に対し て正規職組合員がいい加減に扱ったり反対した時は、正規職組合員を失って も原則を明確にした。もちろん、正規職が離れるどころか組合は固まり、大 きくなっていった。

笑い顔が可愛い彼女と会う日は、盆唐警察署と安山警察署で調査される日だ。 東大門で地下鉄を乗り換えて盆唐警察署を訪ねて行った。名誉毀損と業務妨害 などで全国各地の警察署で十数件、告訴告発されている人だ。なぜか彼女の笑 い顔に似合わない。

ホン・ユンギョン。彼女は信仰人だ。大学で電算学を専攻した彼女がイーラン ドを選んだ理由は単純だ。純福音教会に通っていたホン・ユンギョンは、信仰 サークルで活動をしていた。「サークルの先輩が、信仰人が働いている所がこ こだ」という一言で、迷わずイーランドを選択した。

二十才のホン・ユンギョンにとって、職場は単なる金儲けの場ではない。信仰 と布教の場だ。「教授が『お前がなぜそこに行こうとしているのか理解できな い』と言いました。すでに他の職場に合格をしていました。勤労条件が良いわ けでもないのに、イーランドに行くとは教授には不思議だったのでしょう」。

イーランドは信仰

入社した彼女は賛美歌チームに入った。毎週月曜日、仕事場で礼拝するのだ が、賛美歌チームは前で賛美歌を歌う。

「勤労条件は劣悪で、業務量は多く、でも職場で信仰活動ができるのが良いで す。労働組合を作った日も礼拝賛美歌チーム長として賛美を歌いました。礼拝 が終わるとすぐ組合加入願書を同僚に渡しました」。

1992年、ホン・ユンギョンは労使協議会委員に選出される。信仰人ホン・ユン ギョンの生に変化が起きる。「労働組合が何かも知らなかった。労働運動は考 えたこともなかったんですから。給与は低く、仕事は多く、信仰心だけで頑張 るのは苦しかったです。もっと勤務条件を良くしようと思って参加しました」。

その年の労使協議会で給与を25%を上げた。数値は高いがそれまでイーランド の成長に捧げた職員の献身と犠牲に比較すると何でもない。

92年の労使協議会が終わり、経営陣は緊張した。こうして労使協議会を開くと、 これまで職員の犠牲で達成してきた成長と神話が水泡になる危機だ。経営陣は 労使協議会委員選挙に経営陣の立場を代弁する委員が選ばれるように工作した。 ホン・ユンギョンは委員を辞任した。93年の労使協議会では労働者の声は消え、 たった一回で交渉が終わった。

自然に「労使協議会ではだめだ」という思いが職員に広がる。

労使協議会はNO

「労組を作らなければ職員の勤務条件は変わらないということを理解したの でしょう。学習会が開かれ、労働組合について勉強を始めました」。

6ケ月後の1993年10月、イーランド労働組合が作られた。

宗教、特にキリスト教は保守的ではないか? 労働組合運動は進歩的なのに信仰 と労組の間で葛藤はなかったのかかと尋ねると、ニコニコと笑っていたホン・ ユンギョンは表情を変えて問い詰めるように話をする。

「イエスがいた時、どこにいましたか? 金持ちと祭司長の横にいたのですか? 貧しい者と弱者の横にいたのではありませんか。どんな理由でも人を差別しな いことが愛でしょう。保守的な信仰の定規で見ても、労働組合とキリスト教の 精神は区別できません」。

労組活動をしながら、自身の活動が信仰と区別されるのではなく、信仰人が当 然すべきことだということを悟る。「布教は労働者と共になければなりません。 労組が布教の道で、労働運動がイエスの精神を実践することだと信じています」。

労組は布教の道

十数年間の労働組合活動で、一度も葛藤を感じることはなかった。彼女は 労組活動で真の愛の道を探している。

イーランド労働組合は並外れている。その初めからホン・ユンギョンは一緒に した。イーランド労働組合が歩んできた道を見れば、他の人々より先に問題を 提起し、妥協せずに戦ってきた足跡がある。もちろんイーランドの労組弾圧が 他の会社より強いという言葉と通じる。

「誰かがイーランド労組を極左派だって」

イーランド労働組合は1997年と2000年にストライキを行った。93年に労組が できてから4年過ぎても正式な団体協約を締結できなかった。臨時協約の時効 が過ぎ、会社は一方的に専従を解約するなどで労組をなくそうとした。 1997年のストライキはこのように始まった。

当時の労組の要求案には「1年以上の契約職職員の正職員化」がある。今では 非正規職が千万人に達し、新聞で非正規職という言葉もよく見られる。だが、 十年前には非正規職という言葉が何かもきちんと知らなかった。

97年、三十才の事務長だったホン・ユンギョンは話す。「94年に初めて労組を 作った時、ほとんどが大卒事務職員でした。しかし労組は社内の物流配送など の現場で最も劣悪な部分の処遇改善を要求しました。販売職職員の解雇に対し て戦いましたし」。

三十のホン・ユンギョン

57日のストライキで労働組合は売り場のレジ職員の130%を正職員で確保し、 契約職職員の正規職化を約束させた。

非正規職闘争を他人事のように、その上、正規職組合員が服を着替えて救社隊 になっている今日を思えばイーランド労働組合の闘争はまた振り返る必要がある。

2000年ストライキの発端も正規職の問題ではなかった。2000年6月27日、労組 は規約を改正して、請負、外注、派遣労働者も労組に加入できるようにした。 非正規職分会がストライキに突入し、事務専門職などの正規職も非正規職の 問題解決を要求して全面ストライキを繰り広げた。

また事業場を越えて、韓国通信契約職労働者と非正規職の雇用安定を要求する 共同闘争を行い、労働界に非正規職問題の話題を投げた。 260日を越えるストライキで正規職化を成し遂げた。

2000年、三十中盤のホン・ユンギョンは教育広報室長だった。

三十中盤のホン・ユンギョン

組合を作る時、800人が越えていたイーランド労組は、今二桁の組合員しか残っ ていなかった。原則が正しく、闘争が模範といっても批判を避けることはでき ない。イーランドが労組に加えた弾圧は、労働界も舌を巻くほどだ。だが初期 からの幹部だったホン・ユンギョンに訊ねたかった。

「そのとおりです。弾圧は激しかったんです。でも会社の弾圧が強いと嘆いて ばかりはいられません。原則を守り、頑張って戦ったからと慰めていき過ぎる ことでもありません。反省をしています。今でも組合に加入はしなくても労組 の存続を望む職員は多いです。それとなく助けてくれます。組合に加入した瞬 間、いかに多くの苦痛が伴うかを職員はがとてもよく知っているからでしょう。 誰かは組合を守ってくれることを願っています。だがこの間隙を狭められない のは明らかに失敗ですね」。

統合労組が突破口になるかどうかを今問うことに意味はない。今、作っていく 宿題だ。片側に偏らず道を歩くことがいかに難しいかを知るホン・ユンギョン に答を要求するのは拷問かもしれない。

イーランド労働組合は団体協約の時効が終わった。組合費の控除も、労組専従 も、労組事務室も会社は認めない。団体協約をかけて1年6ケ月間戦っている。 「争議期間中に委員長を引き受けたのですが、争議を終わらせられず…。統合 労組に荷物を押し付けるようでつらいです」。

統合労組でホン・ユンギョンに何が与えられるのかはわからない。どんなこと を引き受けても頑張るという。もちろんそこには現場に帰ることもある。今ま でそうしてきたように、ホン・ユンギョンはうまくやるだろう。

不惑を前にしたホン・ユンギョンの役割

カメラに向かって笑い顔を撮ってくれと言う。自分がいつも笑っていること を知らないのか。

ホン・ユンギョンは、組合員と会うためホームエバー盆唐店に向かい、私は地 下鉄駅に向かう。ときどき振り返ってみる。彼女がまだ私の横にいる錯覚に陥 る。私の耳には自信にあふれながら休むことなく話していた彼女の声がまだ聞 こえる。小さなからだ、やや長めな目、彼女が吹きだす情熱が私の横をぐるぐ ると回る。「あなたすることを理解してよ。でもぜひあなたがしなければなら ないの。子供たちには誰も代れないお母さんの役割があるから」。お母さんの 役割? ホン・ユンギョンの役割?

自分が枯渇して行くと言っていた、本を読みながら枯渇した胸を満たしたいと いうホン・ユンギョン。彼女にお母さんの役割よりホン・ユンギョンの役割を 見つける時間を与えたい。世の中を見せたい。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンス:営利利用不可・改変許容仮訳)に従います。


Created byStaff. Created on 2006-12-27 02:00:39 / Last modified on 2006-12-27 02:00:40 Copyright: Default

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