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韓国:私は政治的自由がある『教師』です | |
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私は政治的自由がある『教師』です[進歩論評]教師にもない政治的自由を学生たちにどうして教えられるか
イ・チョロ(進歩戦略会議) 2010.05.27 14:52
将来はどう事が展開するかわからないが、李明博政権もその任期を終えればい くつかの議題で記憶に残るだろう。李明博政権発足以後、これまでを振り返れ ば、経済危機、韓半島大運河および4大河川事業、世宗市、天安艦、キャンドル などの議題が鮮明に思い出される。そして全教組も位置している。 全教組、これまでにない弾圧に苦しむ 一斉試験に始まった教師への攻撃は、最近のハンナラ党議員によるリスト公開 に至るまで波状的に進められた。一団体に対してこれほどまでに執拗かつ多様 に政権次元で攻撃した事例もめずらしいだろう。その攻撃程度と方法も多様だ。 破廉恥な集団というイメージ作りのようなイデオロギー次元から、会費を払わ せないようにしたり、団体規約に干渉したり、常勤活動が出来ないようにした り、そして組合員の罷免解任に至るまで、実に多様だ。団体そのものの解体を 除けばもうほとんどすべてが出てきたわけだ。もちろんまだ実行していない他 の方法があるかもしれないが。 全教組は政府のこうした過分な(?)関心と扱いは望まないだろう。しかし全教組 が望もうが望むまいが、世間のうわさにのぼり、すでに全教組は満身瘡痍になっ てしまったようだ。そしてまた全教組は2010年5月24日、約200人の罷免解任と いう、逃げる暇もなく飛んでくる金棒のような直撃弾を受けた。 筆者はこの事件の手続き的な正当性や地方自治選挙という局面を前にした政治 的な意図などを問い詰めるようなことはしたくない。近代社会で価値中立的だ と思われ、そして手続き的な客観性により、多数の権利と自由を保障するとい う法が、この時代にどんな意味を持つかを問いたい。法が存在する意味が法の 解釈と執行主体の性格により、いかに徹底して歪曲されるかをこの事件は示し ている。さらに個人による前提や身分による集団的支配体制から抜け出して、 法の支配、または法治国家という近代国家の合理性がいかに無力で虚構的かを 如実に示している。 今回の事件は2009年5月に始まった時局宣言から出発する。盧武鉉前大統領の逝 去で触発された民主主義の後退、表現の自由の抑圧に対する各界各層の憂慮が、 時局宣言として出てきたし、教師5万人が二回にわたり自律型私立高などの特権 教育を批判し、民主主義の後退を憂慮する時局宣言を進めた。 こうした教師の時局宣言に対し、検察は政治活動を禁止している国家公務員法 に違反しているとして起訴した。事件の捜査を進め、警察は全教組本部とソウ ル支部事務室を押収捜索し、時局宣言の8年前の資料と個人の手帳まで押収して 行き、全教組幹部の3年間の個人電子メールまで押収捜索した。また一部の地域 では、全教組幹部の携帯電話使用内訳と個人通帳まで持っていった。 ところが時局宣言に参加した教師への無罪判決が出されると、検警は全教組と 公務員労組の民主労働党党員加入の証拠を探すという理由で、捜査の過程で広 範囲に確保した個人情報を使い、民主労働党が運営するインターネット投票サ イトにひそかに接続、それを通じて教師と公務員の投票行為を確認した。 その結果が、地方自治選挙を目前にした罷免解任という事態で現れている。そ して2010年5月25日、チュ・ギョンボク前教育委員長選挙への介入を理由に13人 を罷免解任するというソウル市教育庁の立場を聯合ニュースが報道した事件の 脈絡は、読む方々の想像の領域に残しておく。 公務員は初歩的な政治行為まで不法 一般的に民主主義の形式的要件は、普通選挙権の拡大と共に国民が主権者に位 置づけられることにあり、法の支配という法治国家としての枠組みを備えるこ とで完成されると考えられる。これと共に、政治は少数の支配者や特権階級の 専有物ではなく国民全体の共有物になった。また、権威主義的な支配体制で構 成された国家は、国民の自由と権利を保障し、実現することでその役割と機能 を再確立した。 このようにして再確立された現代国家は、公職制度にも大きな変化をもたらし た。これを反映するように大韓民国の憲法は第7条第1項で公務員が国民全体へ の奉仕者で、国民に責任があることを明確にし、同条第2項では公務員の身分と 政治的中立性は法律の定めにより保障されると規範化している。 今日の公務員は、過去のような君主や国家の単なる服従的な臣民ではなく、公 職機能遂行の主体である公務員であると同時に、基本権主体の一般市民として の二重的地位が承認されている。したがってたとえ公務員に政治的中立性が要 請されるとしても、公務員も一般市民としての政治的自由権を持つ。政治的自 由権は、国家権力の干渉や統制を受けることなく自由に政治的意思を形成した り発表する自由を意味し、これは国民の基本権に当たる。政治的自由権は大き く三つで構成され、表現の自由(言論出版の自由)、政党加入および活動の自由、 選挙運動の自由で構成されているといえる。 しかし韓国の公務員は、初歩的な政治行為さえ不法と規定される。憲法が保障 し要請する公務員の政治的中立性が、政党法と公職選挙法などの一般法律的な 次元で規定されている。つまり政党加入などの公務員の政治的自由の包括的な 制限ないし禁止と規範化しているためだ。韓国では、他の国家と比べ、公務員 と教員の政治活動が最も厳格に規制されている。 教師は教育公務員で政治的自由がない。今回の事件で見るように、一般市民が 享受する表現の自由、政治活動の自由がなく、税額控除で推奨する政党の後援 支援金を寄付する行為は命をかけなければならない決断になっている。ここで 強いて外国の公務員に政治的自由があるとか、ドイツ議会で教師出身の議員が 13.2%で法曹人の23.3%に続いて二番目で高い職業群に該当するという事実を羅 列する必要はないだろう。 政治的表現の自由のない教師がなぜ学生たちに批判的思考を教えられるか 教師は教育活動の一主体として、民主社会の市民を養成する社会的責務を果た すためにも、政治的基本権を持たなければならない。学校は単に入試を準備す る機関ではない。教育活動を通じ、学生が民主市民としての基本的な政治的素 養を育む空間だ。そのため相互の出あいは積極的な政治的表現による意志疎通 を必要とする。だが教師自らが表現の自由を含む政治的自由がなければ、学生 の自由で批判的な考え方を育てることが可能だろうか? 教師の政治的権利を否定する主な理由として被教育者の学生の判断の未成熟が あげられる。青少年に対する既成世代の普遍的な認識が『未成年』、あるいは 『保護対象者』の水準に留まり、保護と育成の対象としか感じないためだ。そ の上、学閥社会の競争体制で勝つためには、入試競争に順応的な態度を持たせ、 学校や家庭で学生の自己価値観の形成や創造的で批判的能力はむしろ無用のも のとして否定される。結局、既成社会のこうした態度により青少年の政治的な 自覚や実質的な権利は養成されず、制度的に統制されてきた。 学生は問題のある教育の現実により苦しめられる教育の主体として、生活の主 体としての政治的権利を持たなければならない。政治的権利の実現を通じ、教 育の現実に対して自らの意見を述べ、教育政策に学生の利害と要求をきちんと 反映させることが、望ましい教育を作るために有益だろう。さらに青少年の政 治的な権利は制度政治内で自分たちの政治的な意思を法的に行使する装置を用 意させる選挙と被選挙権を持つことでなければならない。 教師の政治的基本権、今こそ持たなければならない 全教組が一連の厳酷な事態で、現行法の手続き的な正当性や法解釈の違いでく やしさを叫んだり、是非だけに埋没しないことを望む。法の支配、または法治 国家で法が事実上、解釈と執行の決定権者などにより、いかに恣意的に歪曲さ れるか、そして法が党派的にならざるをえないことをもう十分確認したためだ。 今の時代に教師は法に閉じ込められ、政治的な基本権まで蹂躙されていること を断固として拒否しなければならない。堂々と現行法で抑圧されている政治的 権利と自由を要求しなければならない。教師が持つべきではないとして否定さ れる基本的な権利の表現の自由、政治活動の自由、思想の自由などを学生と共 に持つことを声高く叫ばなければならない。 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2010-05-28 13:12:35 / Last modified on 2010-05-28 13:12:41 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ | |