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ミャンマー女性が作る民主主義、軍部の居場所はない

[イシュー(3)]軍部独裁60年、?性差別深化…「軍部と家父長制打破を」

パク・タソル記者 2021.04.01 08:25

目次

(1) 韓国に響くミャンマー青年の声

(2) 三本指を立てるミャンマーのZ世代

(3) ミャンマー女性が作る民主主義、軍部の居場所はない

(4) 全斗煥からミャンマー軍部まで、独裁と手を握った企業

(5) 「ミャンマーが光州と似ているから」で終わらせず

[出処:ツイッター@cvdom2021]

ミャンマーの軍部クーデターに対抗するデモで、一番先に命を落とした人は20歳の女性、 ミャ・トゥエ・トゥエ・カイン(Mya Thwe Thwe Khaing)だ。 彼女は20歳の誕生日を2日前にした2月9日、 ミャンマーの首都ネピドーで開かれたクーデター抗議デモの時に頭に銃弾を受けた。 すぐ病院に運ばれたが、生命維持装置で延命し、結局10日後に息をひきとった。 2月21日に行われたミャ・トゥエ・トゥエ・カインの葬儀には数万人の群衆が集まった。

ミャ・トゥエ・トゥエ・カインは警察がデモ参加者に放水銃を撃つのを見て大規模デモに参加したという。 ミャ・トゥエ・トゥエ・カインは当時、バイクのヘルメットをかぶっていたが、 弾丸はヘルメットと頭蓋骨を貫いた。 彼女の姉妹もデモに参加した。 ミャ・トゥエ・トゥエ・カインの姉は 「妹が体験した苦痛の補償を受けるためにも、 すべての国民が軍部独裁の根を抜くまで戦い続けてくれ」と訴えた。

もうひとりの若い女性の死も巨大な追慕の波を呼んだ。 3月3日、ミャンマー中部の都市マンダレーで、デモの途中に銃で撃たれて死亡した18歳のチャル・シン(Ma Kyal Sin)の話だ。 チャル・シンはデモ隊のまん前で彼らを保護する任務を担当していた。 今回のデモは過去のミャンマーの男性中心的なデモとは違っていた。 若い女性たちもまん前に出て行ってデモを先導し、盾を持って警察から市民を保護した。 他のデモ参加者と同じように、彼女も死を覚悟していた。 死亡する前、彼女はもし死んだら血液と臓器を必要な人々に寄贈するというメッセージをFaceBookに書き込んだ。

3月3日のデモで撮影されたチャル・シンの生前最後の姿は、 さまざまなイメージで借用され、クーデター反対デモの象徴になった。 死亡当時、彼女が着ていたTシャツに書かれていた 「Everything will be OK(すべて良くなる)」の文句、 保護ゴーグルをかけたまま警察と対峙する姿、 一触即発の状況で緊張したように、あるいは悲壮なように浮かべた表情、 彼女がデモで叫んだ「We won't run(われわれは逃げない)」など、 ミャンマーの民衆はチャル・シンを思い出して闘争の意思を確かめ合った。 3月4日に行われた彼女の葬儀には数千人の追慕客が駆けつけた。

チャル・シンの死がミャンマーの民主主義の象徴に浮上すると、 軍当局もすばやく措置を取った。 CNNによれば、軍部はチャル・シンが埋葬されたマンダレー墓地に侵入し、 解剖検査が必要だとして遺体を奪取した。 そしてその場をセメントで埋めた。 ミャンマーの警察は軍部メディアを通じ 「判事、地方警察庁長官、法医学者、事故目撃者の許諾を受けて (チャル・シンの遺体を)発掘した」と明らかにした。 軍当局のこうした措置はミャンマー人をさらに怒らせた。

軍部治下のミャンマー女性たちの人生

3月11日の国連人権理事会で、 国連のミャンマー特別報告官トム・アンドリュースは軍部がクーデターを起こした2月1日以後、 最低70人が殺害され、このうち半分以上が25歳以下だったと明らかにした。 あるいは命を落としかねない危険な情勢だが、 Z世代はデモの前面に立ち、女性もまた女性指導者を追放し、 抑圧してきた軍部を打倒するために最前線に立っている。

1962年の軍事クーデターで執権したミャンマー軍部は軍の影響力を強め、 家父長的な文化を社会のあちこちに植えつけた。 ミャンマー軍部は集団的結束のために少数民族の独立運動を鎮圧する一方、 女性を差別し、少数民族の女性に性暴力を行ってきた。

[出処:ツイッター@LaleeBoo]

ミャンマーの女性が軍部クーデター以後に創意的かつ急進的なデモの先頭に立っているのは、 軍部の抑圧がそれだけ大きかったためだ。 女性たちは軍部の女性嫌悪的な迷信を逆に利用してクーデター反対デモに活用している。 一例として、女性たちは洗濯ロープにスカートをかけてバリケードを作った。 女のスカートや下着の下を男が通ると福と男性性が逃げるという、 女性嫌悪的迷信を利用したのだ。 時代遅れの迷信だが、実際に男性の軍人は女性のスカートの下を通ることができず、 スカートを燃やしてから通るという。 軍人が自国民に対して銃と刃を向ける非常識な状況は、 軍隊内でどんな教育と訓練を受けたのかを想像させる。 ミャンマーで男性性が傷付くといって、 女性の下着を男性の服とは別に洗濯する文化も同様の文脈で解釈できる。 下着だけでなく、露出が激しい服も別に洗濯するのだが、 これは女性のからだを恥かしく思う文化から起因するものだ。

民主化を味わったZ世代、差別被害留学も

[出処:ツイッター@HsuChiKo1]

韓国で会ったミャンマーの女性留学生たちは、 女性を抑圧する保守的な文化に不満を吐き出した。 彼女らはこの5年間の文民政府の時期にも、 女性は相変らず服装や職業などで制約を受けると言う。 ミャンマーの軍部は女性の衣装に対して 「地味な服装で出歩け」という公式のメッセージを発表するほど、女性を規律した。 政治エリートの妻で構成された国家女性委員会は、 毎年7月3日に伝統衣装ファッションショーのイベント等をして 「伝統衣装」を着た「優しい」女性を ミャンマー女性の正しいアイデンティティだと広報した。

留学生のA氏は韓国にきて良かった点の一つにキャットコーリングがないことをあげた。 ミャンマーでは短いスカートのような露出が多い服を着ると、 路上で男性かのフラーティングが激しいという。 A氏は「短いスカートを着ると人々の視線が変わる。 男も女も変に見つめる。 それでセクハラされてもみんなが「露出が多い服を着て歩くお前が悪い」と話す。 だから女性は殆ど露出がない伝統衣装を着て歩く。 男たちは上着をはだけようが、何を着ようが自由だ」と不満をさく烈させた。

一部の女子学生はミャンマーの性差別教育制度のために不利益を受けたと話した。 ミャンマーの大学入試は女性と男性に異なる点数基準を適用している。 知性の象牙の塔といわれる医大の合格線は、 男女が平均で最大50点ほどの差が生じるほど、女子学生に不利だ。 男性と同等に働きたければ彼らよりはるかに優れていなければならない状況は、 韓国と同じだ。 既成世代は「女のほうが勉強ができるじゃないか」とたしなめるように言うが、 彼らは女性が体験し続けるする不利益には鈍感だ。 軍部が作った差別的な政策は簡単に変わらない。

留学生のB氏は本来医師を夢見ていたが、残念ながら医大に落ちた。 B氏が男子学生なら合格できる点数だったが、不幸にも彼女は女性だった。 B氏の両親は次善策として看護大学を勧誘したが拒否した。 B氏は自分より低い点数で医大に入学して医者になった男子学生と病院で会いたくないので、 まったく異なる専攻を選んだ。 B氏は「男子学生は『この程度で良い』という感じを持つが、 女子学生は優れた成績をあげても常に不安な気持ちを持っている。 女子学生の定員を大幅に減らすこともあり、運もなければならないと考えている。 軍部がこんな形で教育を統制するのは、知識人男性を恐れるからのようだ」と明らかにした。 B氏の話のように、軍部は自分の権力を維持するために教育制度を歪めてきた。 1988年に行われた「8888抗争」と呼ばれる反軍部民衆抗争は、 ヤンゴンの大学生が主軸になった闘争だった。 大学生、僧侶、市民などが幅広く決起し、数千人の犠牲者が発生した。 武力を動員した軍部は結局デモを鎮圧したが、大きな威嚇を感じた。 8888抗争で特に工大の男子学生のデモに注目されたが、 軍部は抗争鎮圧以後に工大の入学基準を大幅に緩和した。 B氏は「名門大の一つで高い点数を取らなければ工大に入学できなかったが、 入学点数が下がって弁別力を求める学生は、以前のように工大に進学しなくなった」と説明した。 B氏は名門大の一つである海洋大も、軍部が賢い男性を自国から遠くに置くために作った装置だと話した。 海洋大を卒業すると卒業後に高所得の職場を得ることができ、 男子学生が好む1順位の大学になった。 だが海洋大を卒業すると、ずっと海や海外にいることになるので 軍部では革命のリスクを除去する効果を享受することになるという。

ミャンマーの女性、軍部を攻撃する

教育での差別は雇用の差別につながる。 ミャンマーの女性はさらに多くの賃金を取れる海外就労の道も詰まっている。 韓国にもミャンマー出身の女性移住労働者は多くない。 25年前にミャンマーから韓国に来たつけたキンメイタ水原移住民センター代表は 「現在、ミャンマーに投資する海外企業が増えて、 製造業側に雇用が生まれているが、 以前はミャンマーの女性の雇用は多くなかった。 ミャンマーの女性は韓国のような遠い国よりもタイ、シンガポールのような近い国で働くが、 それも実際には不法が多い。 政府はあまり女性労働者を送り出さない。 女性が海外まで出て行って就職する必要はないと考えているようだ」と説明した。

ミャンマーにも女性が働ける良い職場は多くない。 伝統的な性役割により性別分業が根深く、 女性は概して非熟練、低賃金雇用に追いやられるためだ。 2010年から始まった政治・経済改革と2016年の国際社会の経済制裁解除、 特に衣類分野に対する外国人投資は、 ミャンマーの女性に就職の機会を提供したが、労働条件は思わしくなかった。 ハンファで1日4800ウォン程の現在の最低賃金も、 女性労働者が労働組合を組織してストライキなどを展開し、やっとあげた成果だ。 労働者たちの怒りが重なり、2019年には賃上げと労働条件の改善を要求する戦闘的なストライキが連鎖的に行われた。 戦う労働者の多くが解雇され、 労働運動はしばらく停滞しているようにみえたが、 ミャンマーの軍部が民主主義を傷つけようとしたことで、衣類労働者はまた戦いに立ち上がった。

ミャンマー衣類労働者連盟(Federation of Chair Workers)の指導者で 元衣類労働者だったド・モ・サンダー・ミント(Daw Moe Sandar Myint)は 「労働者はすでに怒っている。 いつもの苦痛の感情がよみがえり、私たちは沈黙を守ることはできなかった」と 女性労働者がデモに先に立った理由を説明した。 [1]

[出処:ツイッター@HsuChiKo1]

軍部独裁下で抑圧された女性労働者たちは、今回のデモの主導勢力になっている。 数十万人の女性が毎日デモ行進のために集まる。 ストライキの先頭に立った教師と衣類、医療従事者労働組合の多くが女性だ。 これと共に、フェミニズムの影響を受けた女性たちが軍隊と家父長制に対抗しようという声をあげている。

留学生のB氏は 「軍部クーデター以後に新しく知った事実により、 ミャンマーの女性はさらに怒っている。 軍部がこれまで少数民族の女性たちにいやがらせをしたという話が広がっている。 電気もインターネットもない田舎で起きたことは、今まであまり伝えられなかった。 だが今、軍部がミャンマー国民を踏みにじっているように、 すでに少数民族を踏みにじり、女性に性暴行していたことを知った。 女性と少数民族、性少数者の弾圧が連結していることを知った。 母は少数民族の出身だが、こうした事実をずいぶん後に知ったことで、とても反省している」と話した。

韓国の女性団体も、ミャンマーの女性たちの闘争を応援している。 3月17日、100を超える女性団体と市民社会団体が共同声明を出し 「民主主義を回復しようとしている抵抗と闘争の現場で、 誰も阻止できない勇気を持って平和のリーダーシップを発揮するミャンマーの女性たちに 熱い連帯と応援の心を伝える」とし 「戦争、内戦、軍部独裁が招く性暴力と軍事文化の最大の被害者である 女性と少女の安全と権利保障を要求する」と明らかにした。

ゆがんだミャンマーの憲法

国家の基本的な思想とビジョンを込めた憲法でさえ女性差別は目立つ。 女性を弱く不純な存在と認識する軍部の性格が、憲法にそっくり反映する。 2008年、軍部によって改正されたミャンマー憲法は、 女性が経済、社会、政治的領域で男性と同等の権利を享受する可能性があることを表明しつつも、 さまざまな条項を付けて実質的な平等を制約した。 ミャンマーの市民は軍部打倒とともに憲法再改正も要求している。
2008年の憲法によれば、軍部は国会の議席(上下院664議席)の25%を事前に割り当て、 内務、国防、国境開発の3つの主要部署の長官を担当するなど強大な権限を与えられた。 大統領の資格基準は、軍を含む国家事情に精通した人としたが、 軍部は大統領候補の3人に1人を推薦する権限がある。 ミャンマー軍部の高位職はほとんどが男性なので、 軍部が相当数の議席を占めるのは女性の議席を縮小する結果を生む。
この憲法はアウンサン・スーチー国家顧問が大統領になることを防ぐ法としても有名だ。 「直系家族や配偶者に外国人がいれば大統領候補になれることができない」 という規定により、アウンサン・スーチーは憲法規定にもない国家顧問の職に留まっている。
また憲法352条には 「資格要件がみたされればミャンマー連邦の市民を人種・出生・宗教・性別を理由に差別せず、公務員の任務を付与する」と明示されている。 だが「ただし男性だけに適する職責に男性を任命することを妨げない」と但し書を付け、 女性の登用を制限した。 ミャンマーの女性運動家たちはミャンマー憲法を悪法と規定し、憲法改正を強く要求している。
この外に女性のからだを統制する法にも問題が多い。 2015年に通過した 「人口調整保健サービス法(The Population Control Healthcare Law)」は、 女性の出産間隔を規定している。 この法によれば、女性は一度出産すれば次の出産まで36か月待たなければならない。 法案が発議された当時、国際アムネスティ韓国支部は 「ロヒンギャの人々が子供を二人以上持てできないようにする規制があったという点で、 最悪の場合この法により政府主導の強制避妊、強制堕胎、強制不妊手術への道が開かれる」と憂慮を示した。 またこの法は宗教が他の人々の結婚を制限しており、 人権団体は「政府のムスリム堕胎と出産統制を容易させる」と批判した。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2021-04-07 01:11:30 / Last modified on 2021-04-07 01:21:54 Copyright: Default

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