毎木曜掲載・第383回（2025/4/3）

人間の生と死を考える

『透析を止めた日』（堀川惠子著、講談社、1800円）評者：大西赤人

　大西は、血友病という生まれつきの体質を持っている。血が止まらない、固まらない病気として昔から知られているが、子供の頃に安物の辞書を引くと、〝六歳までに亡くなることが多い〟というような記述がされていて、他人事のように〝へー……〟と思いながら読んでいた。現在では薬剤が進歩し、完治こそしないものの、若い世代の中には〝どこが悪いの？〟と思わせるくらい元気に飛び回る者も少なくない（それでも世界的に見れば、そういう恵まれた境遇にある患者は25パーセント程度と言われている）。大西の幼少期は薬もほとんどなく、土俵上で力士が変な倒れ方をして「✕✕錦、左膝関節内出血のため今日から休場」と伝えられるような症状が膝や肘、足首などに簡単に起き、激しい痛みでウンウン唸っているという日々が珍しくなかった。

　当然ながら学校も休むことになり、とりわけ小学校二年生の時に欠席が多かった。当時は、本当だったのか噂だったのか、年間八十日以上休むと留年（原級留置）という話があり、結果的にはギリギリそれを越えるか越えないかだったけれど、とにかく進級はした。その時、クラスにもう一人、八十日ラインに引っかかりそうな女の子・Ａさんが居て、彼女の欠席理由は、腎臓が悪くて入院したりしたせいだったことを今でも良く覚えている。続く三年生以降、Ａさんは普通に学校に来ていたようなので全快したのかもしれないし、寛解だったのかもしれない。いずれにせよ、自分と同じような立場の子供の「腎臓病」というシチュエーションは、大西の記憶に不思議に強く刻み込まれた。

　その後、何かの拍子に腎臓疾患の人と接する機会があり、その人たちは週三日、機器に何時間も繋がれた恰好で透析を受けなければならないという状況もひとまず認識していた。そして、〝透析っていつまで続く（続けられる）のだろう？　たしか限界があるはずだけど、それからどうなるのだろう？〟とボンヤリ考えることがあったものの、恥ずかしながら、その疑問を突き詰めようとはしてこなかった。今回、この直截的な題名を持つ本書を読み、今の日本における「透析」――正しくは、一般にも知られる血液透析と、ごく限られた割合の腹膜透析と――のありようや問題点を改めて知らされることとなった。

　『透析を止めた日』は二部構成となっており、「序章」で筆者が述べている通り、第一部では「極めて個人的な話であるが、私たちの透析をめぐる道のり」、そして第二部では「私たちの体験を踏み台に、終末期の透析患者をめぐる諸問題」が綴られている。2004年、フリーのディレクターだった堀川が出会ったNHKの敏腕プロデューサー・林新は、多発性嚢胞腎という遺伝性の難病が原因で腎臓が機能せず、38歳の若さながら、既に透析を八年余り続けていた。激務の中で林の腎臓は悲鳴を上げ、透析では対応が困難な状況に至る。次の手段として腎移植が浮かび、堀川は妻となって生体腎移植に関するドナーの条件を満たすべく、彼と結婚する。実際には、林の母親が腎臓を提供。彼の体調は大きく改善し、九年間の旺盛な活動が続いたものの、その腎臓も限界に達し、透析の再開――事実上の終末期を迎えることになる。そして、当時の記録（ノート）に基づき医療者との様々なズレが描き出される。

　先ほど述べたように大西にとっても医療との関係は切っても切れないものであり、また、父親の死に際しては、事ここに至っても回復を確信している家族と、既に先行きを確実に見越している医療者との決定的な乖離を味わった実体験もあるので、第一部における堀川の想いは切実に伝わってきた。そして第二部では、多くの医療者を訪ねながら、日本では血液透析の割合がなぜ圧倒的なのか、多くの長所を持つ腹膜透析がなぜ限られているのかが追及される。これまで知らなかった腹膜透析に関する情報を得られ、いわゆる医療の闇の部分をここでも眼にする想いを抱いたけれど、ただ、堀川の筆致については、気になる面もあった。

　筆者が共感していないのであろう医療者の描写
「若い女性の医師が何を勘違いしたか」「首を傾げるものの、それ以上は踏み込まない」「奇妙なことに、医師は夜まで来なかった」「ぞんざいな口調でまくしたてる」「前回同様の説明をまくしたて」「フェードアウトするように病室から出て行った」「露骨に表情をひきつらせた」「部下を𠮟りつけるような物言いだった」「為すすべもないと言わんばかりの表情で言った」「不機嫌そうにこう言った」

　筆者が共感しているのであろう医療者の描写
「穏やかな口調で語る、やわらかな空気をまとうドクター」「立ち居振る舞いがとても穏やか」「開口一番、爽やかな笑顔でそう言った」「患者と見間違えそうなカジュアルさだ」「日焼けした、精悍な、引き締まった体つき（中略）でさっそうと現れた」
「張りのある○○院長の声のトーン」「黒い瞳の奥に小さな星がいくつも光って見えるよう」「慈愛に満ちた星の瞳」「小柄ながらエネルギーが全身から溢れ出すような、バイタリティの塊」

　たしかにこれらは、実際に即して正確なものかもしれない。ただ、度重なるうちにあまりにあからさまな善玉、悪玉を二分するレトリックに見えはじめ、ノンフィクションを謳う一編として、むしろもったいなく思われた。

　帯にも強調されている南学正臣氏（日本腎臓学会理事長、国際腎臓学会理事長）による著者への賞賛に満ちた4000字近い「解説」の中で、「腹膜透析」に関しては、患者の選択肢とするために「十分な情報提供」の必要を認めながらも、その言及は僅か一ヵ所――二文、150字ほど――に過ぎない。この事は、「腹膜透析」が専門的な見地からも容易な判断を下しがたい命題であることを物語っているのかもしれない。ともあれ、生命の限界を先に延ばす「透析」という治療において、将来に現われる不可避的な死への向かい方、「緩和ケア」に代表される周囲の対応などが大きく立ち遅れているという堀川の指摘は、極めて重要なものと感じられた。

　四十数年前、大西は人間の生と死に関する一文の最後をこう終えたことがある。
「今、日本人に必要なのは、改めて“死に方”を学ぶこと、それも国家のために死ぬのではなく、一個の人間として十二分に生を活用した上で死ぬ、その方法論ではないか、と僕は考えている。（『岩波叢書「文化の現在」6　「生と死の弁証法」』岩波書店1980年12月）

　その観点は、今に至るも変わりなく、大きな課題のままであるように思われる。