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【訃報】アスベスト被害者 松井絵里さん逝去

2018年レイバーフェスタにて上映させていただいた『子どものころ光る砂であそんだ』に主演した、さいたま市エタニットアスベスト公害被害者、故松井絵里さん(写真)は、2020年10月4日、自宅にてご逝去されました。享年51歳。

故松井さんは子どもの頃、近所のエタニット水道管工場周辺で遊んだことが原因で、工場が使用していたアスベスト粉じんにばく露しました。そして30年の潜伏期間ののち、46歳のときに中皮腫という悪性ガンを発病、5年にわたり抗がん剤の激しい副反応に苦しみつつ、一度も生きることを諦めることなく闘病しました。

2016年11月には本人の決意に基づき、松井絵里さんはアスベスト公害が原因の中皮腫患者であることが実名報道されました。それによりアスベスト工場労組や関係団体が申し入れるも、10年以上断固としてアスベスト公害などフィクションだ、ありえないことだと、まったく動かなかったさいたま市行政は態度を急変、直ちにさいたま市と松井絵里さん本人による交渉が実現したのです。そして報道から半年のちの2017年6月、彼女の故郷であるさいたま市に、アスベスト住民検診がついに実現したのでした。2005年に発覚した日本初のアスベスト公害、クボタショックから12年遅れての快挙でした。

故松井絵里さんがいかにアスベスト問題に取り組んだかを記録したドキュメンタリー映画『子どものころ光る砂で遊んだ』は2016年から2018年にかけて撮影。映画完成前から始まった記録映像上映と講演によるアスベスト問題周知活動には、松井さん本人が中心となって邁進し、体調を崩し力尽きるまで駆けまわりました。


*診療中の松井さん

また、故松井絵里さんはさいたま市エタニットアスベスト公害被害きずな会統括マネージャーとして、他の生存患者のサポートに従事。松井さんは「患者自らが率先して行動する」が口ぐせで、まさにその通り実行しました。

家庭においてはふたりの子どもの母親であった彼女は、子育てとアスベスト問題周知活動との両立に、驚異的な集中力と調整能力を発揮しました。松井さんは活動のマイクを置くと、その足で夕飯の買い物をして家庭に戻りました。まるでおんぶ紐一本で家族を背負ってどこへでも行き、全力で駆け抜けました。

生前の松井絵里さんにご出演いただいた拙作『子どもの頃ひかる砂で遊んだ』をご支援くださったみなさま、ご協力くださったすべてのみなさま、本当にありがとうございました。照れたりふてくされたりで感謝の言葉が言えないわたくしにかわって、松井さん本人が、いつも頭を下げ、みなさまにありがとうを伝えてくれました。

それまで映像制作の経験がまったくないないわたくしを「撮る人」として、ためらいなく信じ、2年半の歳月をかけて制作者に育ててくださった松井絵里さんに、伝える言葉がまだ見つかりません。生きることを絶対に諦めなかった彼女の闘いを「疲れたね、がんばったね」とねぎらうことぐらいしか、恥ずかしいことに思いつかないのです。彼女の亡き後を、いかようにわたくし自身が生きればよいのか。ご冥福を祈りつつ、その答えをこれから考えてまいります。

2020年10月12日

故松井絵里さん主演映画
『子どもの頃ひかる砂であそんだ』制作者 北穂さゆり



*レイバーフェスタ2018 松井絵里さん(左)と筆者(右)


Created by staff01. Last modified on 2020-10-14 09:41:39 Copyright: Default

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