東京・新宿区にあるミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」(wam)では、今年6月から「軍隊は女性を守らない――沖縄の日本軍慰安所と米軍の性暴力」をテーマに、企画展が開催されている。この期間中の特別展として9月15日、「�翳�奇(ペ・ポンギ)さんを語る」と題するセミナーの1回目が開催され、多くの人々が訪れた。ぺさん(故人)は朝鮮半島から連行された「慰安婦」として、初めて被害体験を語った女性。この日の講師であるノンフィクション作家の川田文子さん(写真)は、1977年から5年間ペさんから聞き取りを続け、その記録を87年、「赤瓦の家」という一冊の本にまとめた。極貧の子供時代。何度も奉公に出されたペさんの話は、食べ物にまつわる記憶が多かったという。家族離散のあげくに3回の結婚を経験するが、どの夫にも生活能力がなく家庭を築けない。職を求めさまよっていた1943年。「女紹介人」に声をかけられ、女性60人と共に釜山から下関へ。44年には鹿児島から沖縄に移動させられた。一面焼け野原の那覇を後に、渡嘉敷島へ向かい、そこで日本軍の相手をする。「アキコ」という源氏名で飢えと爆撃の日々をなんとか生き延び、敗戦後は沖縄本島の収容所に入れられた。出所後、職を求めて島内の放浪を続けるが、朝鮮への帰還船が出ていることすら知らなかったという。長年の厳しい生活で身体を壊し、生活保護を受ける段階になって、ようやくその所在が明らかになる。戸籍から出自をたどり、「慰安婦」だったことが世に知れ渡る。在沖縄の朝鮮人夫婦の支援で、ささやかな平穏を手にするが、ペさんはなかなか重い口を開こうとしなかった。川田さんはぺさんの貴重な証言を、淡々と、詳細に語った。「沖縄戦」といえば、とかく「集団自決」にからむ悲劇。すなわち「生きて虜囚の辱めを受けず」と国家に刷り込まれ、潔い死を強要された島民たちの阿鼻叫喚の地獄の沙汰や、「ひめゆり学徒隊」の献身的な行動が思い浮かぶ。恥ずかしい話だが私自身、沖縄戦での朝鮮人女性の存在に、これまで思いが至らなかった。取材体験をもとに語られたペさんと彼女をとりまく人々の実像に、参加者は静かに聞き入っていた。予定時刻を過ぎても集中力を維持し、真剣な質疑応答が行なわれた。会場からは、日本社会に連綿と続く「家父長制」という視点からの慰安婦問題へのアプローチや、新宿のコリアンタウンで傍若無人な言動をする右翼団体についての考え方などが問い質された。川田さんは、個人にとって「最後のプライバシー」である性行動までも命令される軍隊組織の非人間性を指摘。「大きく見れば、慰安所の利用者もまた被害者であり、戦争という行為じたいが、強姦や慰安所を必要としている」と、システム全体の犯罪性を暴いた。また、昨今の右翼団体が特に「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」問題=史実の修正や否定=に力を入れることについて、「それは、誰が見ても明らかな戦争犯罪であり、その象徴的な行為だから」と解説した。司会のフレンドリーかつ手なれた進行で、あっという間に過ぎた2時間半。館内には、表題のパネルがところ狭しと展示され、若い来場者が熱心にメモを取っている姿が印象的だった。「�翳�奇(ペ・ポンギ)さんを語る」セミナーの2回目は、9月29日に開かれ、「沖縄戦を知る」セミナーは10月、11月の2回シリーズで予定されている。詳しくは、同館のHP http://www.wam-peace.org/ で。(Y)