本文の先頭へ
LNJ Logo 根津公子さんの停職「出勤」日記9
Home 検索
 




User Guest
ログイン
情報提供
News Item 0614nezu
Status: published
View


根津公子です。
今週18日(木)は、鶴川二中に行きます(11時半まで)。
この日、午後は、多摩中控訴審の判決です。傍聴をしてくださいますよう、お願
いします。 13:30 東京高裁820号法廷です。

16日(火)は「出勤」できないかもしれません。水、金はいつもどおりです。

以下、停職「出勤」日記9です。

6月9日(火)

 あきる野学園に。3回続けてあきる野学園の「出勤」日に雨だったので、2週
間前に都庁前で配ったチラシを今朝やっと同僚たちに配った。今日は一日中曇り
の非常に過ごしやすい気候だった。

 ご近所にお住まいとおっしゃる60代と思われる男性と出会った。プラカード
の前で立ち止まり、「いつのことですか」と聞いてこられた。「今はマスコミで
取り上げていないから」とこの件は過去のことと思われていらした。土肥校長の
提訴のニュースから「君が代」処分まで、今まさしく「戦前」の学校の現状を説
明した。「停職6ヶ月はひどいよね。生活厳しいでしょう。がんばってください」。
優しい声だった。

 今日も校外学習の子どもたちを見送り出迎え、スクールバスの方と話をし、ゆ
ったりした時を過ごした。


6月10日(水)

 南大沢学園特別支援学校に。今年は南大沢に「出勤」すると、必ず晴れて暑く
なる。今日も一日中曇りという予報だったのに、途中から晴れてきて、蒸し暑い。
校外学習に行き来する子どもたちの中には、湯気を出している子もいた。

 今朝、高等部の一人の生徒が、プラカードを見てしばらく歩を止めていた。
「お話しするの初めてよね。これ、私のことって、知っていた?」と話しかける
と、「それは知っていたけれど、どういうことかはわからなかった。どういうこ
とかなと思って」。そこで少しばかり説明をした。「わかりました。がんばって
ください」と言い、頭をぴょこんと下げて、中に入っていった。

 お子さんを送ってこられたAさんのお母さんが、「まだまだ解決はできないん
ですか」と声をかけてくださった。「あの都知事では、まず無理でしょうね」と
答えると、「石原都知事は、福祉も切り捨てするし、早く辞めていただきたいで
すね」とおっしゃる。早朝から来てくださった御近所のSさんと、「私たちの周
りに石原都知事を支持する人はいないよね。どこに支持する人がいるんだろうか」
という話になった。

 Sさんが帰られ、一人読書をしていると、頭の上で声がした。昨年知り合った
ご近所の女性だった。しばらく、話し込んで行かれた。

Saさんも来てくれた。


6月11日(木)

立川二中へ。昨夜からの雨が昼近くまで続く。今日入梅宣言したとのこと。

Nさんは「社会科の授業・続き(2)」(先月鶴川二中で配られたベルリンオリ
ンピックでの孫選手の日章旗抹殺について)を生徒たちに手渡された。「ありが
とうございます」という生徒も、手を出さない生徒も、いろいろ。地域の挨拶隊
の方は、今朝はお一人。

 今朝も卒業生のBさんが自転車で通り、挨拶を交わした。Kさんが仕事の前に
立ち寄ってくださった。今日ここで新しくことばを交わした方は、学校に入って
行かれた業者の方お一人のみ。プラカードをご覧になって、「大変ですね」と言っ
てこられた。

 午後は増田都子さん分限免職の地裁判決を傍聴した。傍聴席50の倍の方がい
らしている中、厚かましくも傍聴させてもらった。普段はよくしゃべる渡邉弘裁
判長は、姿を現し礼をすると、増田さんの顔も何も見ずに判決をほとんど聞き取
れない声で読み上げ、そそくさと姿を消した。「棄却する」だけがわかったこと。

研修所に送り込んでも彼女を指導力不足等教員と認定できず、裁判では当時の校
長が原告側証人として出廷し、彼女がいい授業をしていたこと、服務にも何の問
題もなかったことを証言されたのだから、免職は処分権の濫用と認定するのでは
ないかとかすかな期待をしていたが、判決は、都教委の主張をそのまま認めたも
の。

「原告には、中立・公正に教育を行う教育公務員としての自覚と責任が欠如する」
「研修期間中や勤務時間外の原告の言動を適格性欠如の徴表事実の一つとして勘
案することになんら問題はない」から、分限免職は妥当だと言う。「公正・中立」
の中身を検討した形跡はない。都教委の出先機関のごとくの東京地裁を、今日も
更新してしまった。

 都教委は今日の判決を楽観して待っていたのではないはず。このお墨付きの判
決に勢いを得、昨年策定した「分限対応指針」の「職務命令を拒否する」等を使っ
た、もの言う教職員への分限免職を開始するであろう。「分限対応指針」をつくっ
た都教委の最大の狙いはここにあるのだから。分限免職を執行させない取り組み
をしなければ。


6月12日(金)

あきる野学園に。近藤さんももちろん「出勤」。校門前の桜の木がつけていたさ
くらんぼが熟れた色合いになった。4月終わりからずっと目をつけていた。長身
のCさんに取ってもらって食味した。渋味や苦味が強いが、甘さはあった。確か
にさくらんぼの味がした。登校して来た何人かの生徒にも見せすすめたが、食用
ではないと知って彼らは遠慮した。

午前中の少しの間、校外学習の子どもたちを見送り、出迎え、所用のため10時
「退勤」した。


6月13日(土)

解雇をさせない会の2009総会と講演「抵抗の灯は消せない! 新たな『皇民
化教育』にどう立ち向かうか?」を開催。講演は、山田昭次さんの「関東大震災
時の朝鮮人虐殺と秋田雨雀」。自警団に参加し、朝鮮人虐殺に加わっていった当
時の人たちの、進んで国家のために身を捧げるように手なづけられた国民意識に
ついて指摘した秋田について。

「お前のやったすべてのことはおまえの身になって帰ってくるのを知らないのか?
/お前の敵はお前の迷信の中に巣くっているのを知らないのか? 
市民よ!/制服と屈従と野蛮と無反省を美徳として教えたのは誰だ
市民よ!/お前の敵は果たして誰かよく見よ!/お前は何を血迷っているのだ?」

自身の中に巣くう迷信あるいは世間と向き合うこと、これは今日的問題、今の私た
ちの問題だ。

 続いて、昨年、今年の「君が代」不起立教員であるDさん、Eさん、近藤順一さ
んが思いを語られた。Dさんは生徒との関係性の中で、「生徒に嘘はつけない」
とおっしゃる。Eさんは、不起立は団塊の世代がいなくなってからと先延ばしに
してきたが、今年「主任教諭」が導入され、学校がいよいよめちゃめちゃにされ
る中、処分を受ける不起立を選択されたとおっしゃる。お二人の話を伺うのは、
初めて。とっても共感した。

 名古屋の小野政美さんから、当地で集会をするので「気持ちで参加。気持ちは
参加」と電話があり、メッセージをいただいた。私(たち)を支えてくれる。

以下、一部割愛して掲載する。


ひるまず、あきらめず、しなやかに
〜「河原井さん根津さんらの「君が代」解雇をさせない会」2009総会へのアピ
ール〜
2009.6.13 小野 政美(愛知・小学校・「再任用」教員)

思想・信条・良心の自由を蹂躙する「日の丸・君が代」強制に反対する人々がい
る
「日の丸・君が代」で処分された全国の人々がいる
そして、日本社会で自由と平等の抑圧に抵抗する人々がいる
それらの人々をつなぎ、さまざまな場で、
あきらめず、ひるまず、しなやかに、多彩に闘い続ける人々がいる
それらの多くの人々に、闘う勇気と確信を送るかけがえのない闘いがある。
それが、根津さん河原井さんを解雇させないという闘い。
合い言葉は、二人の著書。

河原井純子『学校は雑木林』
根津公子『希望は生徒』

2008年3月31日の雨の朝、
東京・八王子・南大沢学園養護学校前の光景を僕は忘れない
「やったぞ〜!」「勝ったぞ〜!」「この雨は天のうれし涙だあ!」
予想に反しての都教委の処分内容に、思わず泣き叫んでいた僕たち。

誰彼と言わず泣きじゃくり、抱き合って喜び合ったあの雨の朝の南大沢学園養護
学校校門前。
そして、1年後、
2009年3月31日、水道橋、東京都研修センター前での処分発令の日のこと。

2008年3月31日の雨の朝、
僕は、マイクで叫んでいた。
「全国の人々に伝えます。
都教委は、根津さんを免職にすることが出来ませんでした。
根津さんは、都教委に勝ちました。
『君が代』不服従・不起立の闘いは、今日から新しい段階に入りました。
『勝って兜の緒を締めよ』の言葉通り、
気を許さず、粘り強く闘い続けていきましょう」

「君が代」斉唱時の不起立での6か月停職は、決して喜ぶべきことではない。
都教委が宣言予告していたように、誰もがそう思いこんでいたように、
根津さんへの停職6か月処分の次に来るのは免職しかない、

僕もまた、そう思いこんでいた。
だが、根津さんだけを他の処分者と分離し、
勤務先養護学校に出向いて処分発令するという姑息な手段を弄した都教委をして
もなお、根津さんを「みせしめ免職」にできなかった。

なぜ都教委は根津さんを免職に出来なかったのか。
それは、何よりも、「君が代」不起立で、
子どもたちの人権と教員の教育の自由・思想良心の自由を守り抜くために、
「不起立」という表現手段で抵抗する教員を免職する根拠がどこにもないこと
である。 

同時に、全国各地で、そして、幾つかの外国から、
根津さんへの「君が代」免職を許すな!と、
電話・FAX・メール・署名という方法で、
あるいは、僕も何回か同行した、都教委への出向いての連日の要請で、
あるいは、集会や学習会で、
あるいは、裁判の傍聴で、
あるいは、「『君が代』不起立」や「あきらめない」の映画会で、
新聞への意見広告で・・・、

根津さん河原井さんの不服従・抵抗・闘いに連帯・支援する、
文字通り草の根からの多くの良心的な人びとによる、
多様で多彩な活動があったからに違いない。

もしも、
根津さんが、河原井さんが、
子どもたちとともに生きる現場で、
自分の生きている存在のすべてを賭けた不屈の抵抗・闘いを続けなかったとした
ら・・・、根津さん河原井さんの抵抗・闘いに、誰も連帯・支援の行動を起こさ
なかったとしたら・・・、もしも、連帯・支援の行動が、大きなうねりのように
広がらなかったら・・・、
大方の予想通り、都教委の処分は、
根津さん免職しかなかったであろう。

「(03年)10.23通達」以来、
423名の処分(2009.5.29現在)を発令し続けてきた都教委をして、
根津さん河原井さんを免職解雇することは出来なかった。

小学校現場勤務31年間、
ささやかに、「君が代・日の丸」不服従の抵抗を続けて来た。
根津さん河原井さんの不服従・不起立に連帯することはもちろんとして、
僕の出来る、僕が当然しなければならない、
支援というより、根津さんとの連帯のささやかな行動。

根津さんの笑顔を見ながら記憶の底から甦ってきたことがある。
数年前から、僕が、幾度となく語ったり、アピールしてきたことでもあるが、
根津さんの不服従の戦いの中で、
旧日本軍性奴隷(旧日本軍「慰安婦」)にされた韓国のハルモニたちの戦いが
想起されるということである。
1990年、日本政府の「『慰安婦』はいなかった」という発言に対して、
韓国の金学順(キムハクスン)ハルモニが、韓国挺対協の呼び掛けに応えて、
「私は、旧日本軍の『慰安婦』だった」と勇気ある名乗りを挙げた。
そして、1991年、いまは亡き姜徳景(カンドッキョン)ハルモニ、金順徳(キム
スンドク)ハルモニ、いまも戦い続ける李ヨンスハルモニ・・・と続いた。
日本政府の公式謝罪と個人賠償を命を賭けて戦い続けたそのハルモニたち被害女
性の多くが既に亡くなり、
韓国では生存者は93名、台湾では18名しか残っていない。
91年以来、ささやかな支援の運動の中で、
韓国で、日本で、『ナヌムの家』で、
姜徳景ハルモニや金順徳ハルモニたちに息子のように、僕は、優しくしてもらっ
た。
もしも、彼女たちの辛く厳しい戦いが無かったとしたら、
女性への暴力を許さない戦いは、これほどの高揚を迎えることは無かったに違い
ない。 

しかし、ハルモニたちは、韓国でも、日本でも、運動の中でさえ、
孤立した厳しい戦いをするしかなかった時が幾度となくあった。
彼女たちと長年にわたって同行する機会があった僕には、ただ、
一緒に涙し、辛い時間を過ごすしかなかったときが何度もあったことだけは確か
である。 

根津公子さん河原井純子さんの戦いは、
まさに、日本における、「良心の自由」の戦いのなかで、
女性への性暴力との戦いにおけるハルモニたちの戦いを想起させるものであると
言っても過言ではないだろう。
少なくとも僕はそう思って、
長い間、根津さん河原井さんと戦いの戦列をともにしてきたつもりである。

そして、もうひとつ、2008年3月31日の朝、
予期せぬ、根津さんの、2度目ながらも、
6か月停職という「勝利」への満面の笑顔を見ながら、
私は、10か月前、2007年5月27日に京都で開催された全国集会のことを思い
出していた。
実行委員会・事務局として、集会アピールの準備が出来ていなかったので、
前日、根津さん河原井さんとも相談し、
集会当日の実行委員会会議で、集会アピールを行うことを提案し、
その会議で、実行委員会と呼びかけ人の名において、
急遽、僕が原稿なし、文案なしで、「5.27全国集会アピール」を行うことになっ
た。
  (中略:「5.27全国集会アピール」について)

根津さん、河原井さんたちに繋がる連帯・支援の戦いの列に加わる
多くの仲間たちとともに、
僕の好きな二人の不服従の思想家、
魯迅とベンヤミンの言葉を噛みしめたい。

「思うに希望とは、もともとあるともいえぬし、ないともいえない。
それは地上の道のようなものである。
もともと地上に道はない。
歩く人が多くなれば、それが道になるのだ」     
魯迅『故郷』(1921.5)<竹内好訳>  

「夜の闇のなかを歩みとおすとき、
助けになるのは、
橋でも、翼でもなく、友の足音だ」
ヴァルター・ベンヤミン『ベンヤミンの生涯』(野村修訳・平凡社)


Created by staff01. Last modified on 2009-06-14 17:54:23 Copyright: Default

このページの先頭に戻る

レイバーネット日本 / このサイトに関する連絡は <staff@labornetjp.org> 宛にお願いします。 サイトの記事利用について