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三陟で見る生命力、労働者そして反核闘争[ワーカーズ]人権の場所
ミョンスク人権活動家 2019.01.02 10:40
[出処:キム・ヨンウク] 三陟は旅行にいいところだ。 高校の国語教科書で何度も読んだ正哲の関東別曲が称賛した竹西樓をはじめ、 地理の教科書に出てきた東洋最大の石灰岩洞窟である幻仙窟もある。 何よりも清潔できれいに光る海、その青い海を味わえる海岸道路もある。 そのため三陟は前からまた行きたいところだった。 ソウルから高速バスに乗って三陟に到着した。 電車よりもバスで移動する方が時間がかからない。 高速バスターミナルで私たちを迎えてくれたのは労働組合の活動家たちだ。 この前、上京闘争を終えて戻った東洋セメント(今はサムピョ支部)江原嶺東地域労組の アン・ヨンチョル委員長と東海三陟地域支部のキム・ジニョン事務局長だ。 最近は地域労組の仕事を手伝って忙しい。 「いっそ上京闘争していた時の方が良かったです。 働くにしても、地域闘争するにしても、寝る時間もありません。 すでに座り込みテントを4回も張りました。ハハ。」 愚痴る力強い声が自ずと笑いを誘う。 わずか2年前までは労働組合について知りもせず、 非正規職が何かも知らずに戦った彼らが、 今では非正規職をはじめとする東海三陟地域の労働者権利のために頑張っているとは。 わけもなく誇らしく思った。
[出処:キム・ヨンウク] 私たちを連れていってくれたところは三陟の道渓邑にある石灰の採掘と加工をするメーカーのテヨンEMC作業現場だった。 作業条件がとても悪く、最近労組を作った事業場だとし、 こここそ人権の場所ではないかという彼らの勧誘のためだった。 三陟ターミナルから自動車で30分走った。 思わずまだ秋の気配のように暖かい日差しと風景に見とれる。 三陟はソウルより平均5度程度高いという。 彼らの話によれば、冬は暖かく、夏は涼しく暮らしやすいという。 道路からはずれて山の入口に入る。 山陰で少し暗くなる。 作業現場は日差しが1時間程度しか入らないのだ。 入口に取水場が見える。 石灰を掘って加工する作業場の入口に取水場とは… 何か変なように思って聞いてみると、 あのようにきちんと点検もされずに許可された作業場は一つや二つでないという。 作業場近くの苔渓谷5分ほど登るとミキサー車とダンプカーが見える。 その時、初めて三陟といえば海しか思い出さなかった中途半端な記憶がこわれる。 東洋セメント非正規職連帯闘争のことを考えもしなかったとは…。 昔から三陟は山に鉄鉱石が多く、多様な鉄製農機具と武器を生産することができ、 鉄器時代には悉直国をはじめとする三強国があったという。 力強い国で軍事要衝地なので、高句麗と新羅の角逐場だったという。 三陟市のホームページによれば、悉直は鉄の鍛錬を意味し、 悉直の音読が三陟だという。 作業場に到着して、化繊労組テヨン石灰支会のシム・ナムソク事務局長に会った。 彼は解雇されて先日復職した。 テヨンEMCには霊光ENGとドンポ産業の下請企業2社がある。 休む日がなく、労組を作ったといった。 1か月30日間、なんとか1日は休めるが、それさえも休めば日当から差し引かれたと言う。 ドンポは労組を作って請負契約を解約し、20日ほど戦って雇用継承を勝ち取り、 ミョンジョンという所に会社が変わったという。 「ミョンジョンは休み時間が1時間与えられるが、ヨングァンでは特に昼休みがありません。 業務の連続で昼休みを業務時間にして、食事だけしてすぐに働くシステム」だと言う。 昼休み問題が不合理だと感じて、所長に話したところ、一刀のもとに拒絶されたと言う。 初めての石灰採掘現場なので、あちこちを見て回った。 広い洞窟のようなところにダンプカーがあって、外では山頂に機械のようなものがある。 洞窟のような山から採掘した石を砕き、粉にしてきれいな石灰を作るのだ。 ここで生産される石灰石は品質が高く、すぐ製鉄所に入るという。 不純物を取り除くために石灰石が使われるのだ。 全量がポスコに入るので、会社はたくさん儲けたはず。 だが労働者たちの作業条件は底辺だった。 コンテナ食堂も、汚いトイレも、シャワー室も、使う水は同じだった。 石灰石が多いところなので、飲み水もシャワーの水も、 地面を突き抜けて出てきた水が苦いということは健康に致命的なこともあるのだが、 関わらない。 二坪程度のシャワー施設も、抗議してやっと2年前に作った。 以前はたらいに水を入れて体を洗った。 飲み水ぐらいは違うようにしてくれと要求すると、 しばらく前から湧き水から流れてきたのか、出処もわからない水を流して水桶に入れてくれる。 それで隅々を見ると、トイレの横の案内板が眼に触れる。 「武建里苔渓谷」の案内だ。 ここ苔渓谷は苔混じりの岩の間に落ちる滝の姿が原始林のようで、 写真を取る人たちには有名だ。 一時間登れば到着するのだ。 作業場のすぐそばが有名旅行地だなんて…。 これまで行った山や川を考えてみると、このように生コンの現場があったようだ。 そうしてなにげなく通り過ぎた場所には働く人々がいた。 旅行地と職場の境界は誰が分けてきたのだろうか。 その区分は私たちの生活の関連性を断ち切っているのではないか。 資本は労働の空間を分割しながら利益を蓄積した。 工団都市の労働とその外部の工団、都市と農村の空間的分業で階層を作ったのではないだろうか。 人生と休む空間の区画に慣れたために見えもしなかった労働の場所… そうした考えもしばらく、私達はすぐ水を押し上げる所に降りた。 まるで車庫のような閉じられた扉の中には車があって、その上、廃棄された油類タンクもある。 どうしてこんなところから飲み水を押し上げようと考えたのか…。 現場で私と彼らは地方の山の谷間で働く労働者たちについての搾取がいかに激しいのか、 労働法に無知な三陟の労働者と事業主に対して憤激を放った。
[出処:キム・ヨンウク] 反核闘争の聖地午後の日程は反核闘争の場所だ。 三陟は3回も核発電所をはね除けた経験がある、反核闘争の聖地だ。 私たちを迎えてくれた人は、三陟核発電所反対闘争委員会(以下三陟反闘委)の イ・グァンウ企画室長だ。 彼は公務員労組解雇者で、三陟に発令された後に反核闘争を始め、 反核闘争の一環として三陟市議員もした人だ。 公務員労組東海三陟支部は東洋セメント労組を作った時も、 上京闘争をした時も積極的に連帯した。 彼らは三陟で反核闘争をする時には先頭に立った。 労働運動勢力が組合員の利害だけではなく、 市民社会の要求、地域住民の権利のために連帯する、 いわゆる「社会的労組主義」の韓国版ではないかと思った。 事実、きちんと調べれば三陟だけではない。 2016年と2017年に朴槿恵(パク・クネ)退陣運動を行った時も、 火をつけるために努力した地域には民主労組運動勢力が多かった。 だがマスコミには蔚山の大工場利己主義しか報道されず、 あまり人々に知らされなかっただけだ。 車に乗って核発電所の予定地だった原発白紙化記念塔がある公園へと向かった。 俗称8・29公園と呼ばれるが、 1998年12月30日の原発白紙化告示を記念するため、 翌1999年11月に住民が力をあわせて公園を作った。 「93年に徳山里が原発候補地として告示されると 8月29日に近徳面民7千人が集まりました。 その時の人口が9千人でしたから、学生や動けない老人以外は全員集まったのです。 98年に原発告示が廃止され、翌年ここに記念碑をたてました。 河川で拾ってきた石に住民が一緒に刻んだのです。」 徳山にある8・29公園は麻邑川沿いの散策路にあり、風も光も良いところだった。 もう少し行けば徳山海水浴場があるとは、 イ・グァンウ氏の話のように海と川が一塊になった暮らしやすいところだ。 彼から3回の反核闘争の発言を簡略に聞いた。 1次は軍事政権の全斗煥(チョン・ドゥファン)政権が86年に指定して、 91年に徳山原発発電計画を発表した、 92年から核発電所を作る動きが始まり、 93年から住民が戦った。 97年の大統領選挙で金大中(キム・デジュン)大統領が当選し、 98年に徳山原発建設計画が取り消される。 2次は扶安核廃棄物処理場が住民の反対闘争にぶつかり、 盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権が2005年に 蔚珍と浦項、盈徳、三陟の4か所の安全性を調査して 比較的安全だとして推進しようとした。 政府は当時作られた住民投票法によって決めるといった。 「三陟で2年間戦った。 当時の住民投票管理委員長が朴元淳(パク・ウォンスン)弁護士、 執行委員長がハ・スンス弁護士でした。 掘削しようとすれば村の住民がテントで座り込みもしました。 しかし残念なことに議会で同意案が否決されます。 翌年が選挙なので票を意識したのでしょう。 しかし慶州は住民投票の結果、廃棄場受け入れを決定します。 その時、市民社会は混乱状態になりました」。 地域経済発展という甘言に負けることが多い現実の中で、 投票とは民心が歪曲されやすい。 さらに民心をいかに引き出すのかは市民社会の悩みになるほかはなかった。 ![]() 民選市長時代、民主主義と草の根の歪曲3次の試みは、2010年の李明博政権時代に選んだ民選市長の時だ。 中央政府ではなく地方政府が、それも住民が直接選んだ三陟市長が原発を誘致したため、戦いはさらに難しかった。 彼の話によれば、三陟市長が消防防災産業団地を作るために土地を買収したが センター設立が挫折したため次の選挙を意識して中央政府の好みに合う原発誘致を決めたのだ。 市長が推進するので800人もの公務員が妨害工作をした。 投票場の中で町内のごろつきや町内会長が動員されて脅したりもしたため 住民投票は容易ではなかった。 それでも福島事故が起きた後に住民たちがまた戦えたという。 そのうちに市長が反核を主張する人に変わって 2014年10月9日に住民投票を実施した。 投票率67%、原発誘致反対84.9%という結果で廃止決定を引き出した。 自然の生命力まだ原発誘致告示が解止されていないため、 予定地で暮らす住民たちは家の修理もできない。 敷地用途が変わって計画が変更されたため、 村の住民たちはおよそ8年間を農作業もできない困難に苦しんでいる。 解止の権限は産業資源部長官にある。 われわれは30万坪もの敷地予定地だった府南里と東幕里へと向かった。 予定地に近づくと、禿山に小さな木がレゴの木のように立っている。 現実感が薄い禿山とぽつりぽつりと立つ木がまるで未来映画に出てくる場所のようだ。 村のまん中から荒野になった山を見ていると、二人の村住民が通りかかる。 イ・グァンウ企画室長と挨拶をしているので近付いてどのように暮らしているのか聞いてみた。 「ここには家しかない。 他人の土地を歩きまわる。 何(防災センター)かを作るからというのでみんな売ったから。 すぐ移住すると思っていた。 何も知らなかった。 その後は霞を食って暮らしている。」 「本来ここには太い木もあって、山も野原も静かで美しかったのに。 初めはあきれたが、もう10年になる。 死ぬ日も残り少ないが、死ぬ前に変わればうれしい。 あの木は松の種が飛んで、あのように育った。」 住民の話を聞いてまた山を仰ぎ見る。 風が運んだ松の種が禿山を育てている。 あたらめて自然の驚くべき生命力と治癒力に感心する。 欲に目がくらみ、傷付いてもまた立ち上がる自然の生命力から われわれは何を学ぶのか。 自然と人が、人が人を搾取せず同等に暮らす方法を果たして学べるのだろうか。(ワーカーズ50号) 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2018-12-29 10:36:25 / Last modified on 2019-01-05 12:33:49 Copyright: Default 世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ | |