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朝鮮日報と戦ったフェミニスト教師、16か月間の生存期[ワーカーズ]全教組フェミニスト教師チェ・ヒョニ氏インタビュー
パク・タソル記者 2018.12.11 15:54
2017年8月、小学校教師のチェ氏は「傾いた運動場」を話し始めた。 一般的な政治の話ではなかった。 学校の運動場を男子学生が専有する現象を指摘したのだった。 学年が上がるほど、女子学生は運動場から遠ざかった。 チェ氏はこうした現象が韓国社会の歪んだ女性性、女性のからだに対する規範、 そして女性に対する性的対象化などと密接に連結していると話した。 それでチェ氏は学校の現場にもフェミニズム教育が必要だと主張した。 すると予想できないバックラッシュが打ちつけた。 フェミニズムを非難する人々は、ターゲットを見つけたかのように彼女を攻撃した。 彼女のツイッターは粉々に分解されて評価され、 「悪い先生」というレッテル貼りが始まった。 嵐のような16か月が過ぎた。 津波が襲ったような時間だった。 全てがガランと空いたような場所で、彼女は再びフェミニズム教育を掘りおこす準備をする。 「ワーカーズ」はチェ・ヒョニ先生と会って、これまでの話とフェミニズム教育に対する悩みを聞いた。 ![]() あふれる攻撃の中でどう生き残ったのか訊ねたい話し始めた後で3〜4か月までは痛いとも知らず、傷つくとも知らずに猪突的に話した。 あちこちに支持を要請し、講演要請がくればすべて行った。 だが個人の日常がなくなったまま、社会的自我で一日24時間を暮らしていたため急激に弱まった。 その上、共に対応してきた学校も状況が難しくなった。 数人の保護者が訪ねてきて、攻撃的に苦情を入れ、外部勢力と結託して困らせた。 すると学校側も私に外部活動を自制してくれと要求した。 信じていた同僚から「君が問題を起こして飛び出してきたのでこうなった」というような言葉を聞いて孤独になり始めた。 政界や教会などの保守集団も私を圧迫し続けた。 その上に裁判にも対応しなければならなかった。 私も人間なので、半年後には食べると吐き、胃痙攣が起き、2か月で8kg痩せた。 私の話が問題になり始めて精神科に通っていたが、 病院行って泣いたのはその時が初めてだった。 子供のためにすぐやめたが、自殺を考えるほど最低だった。 多くの暴力に露出したようだ。事故はなかったか?「連れて行かれて殴り殺されそうだ」という恐怖が強かった。 オンラインコミュニティの人ならこの事件を知らないはずがない。 イルベ(日刊ベスト貯蔵所)からオユ(今日のユーモア)、イジョン(異種格闘技)、エムパク(MLBPARK)などのコミュニティには、休む間もなく私への掲示物が書き込まれた。 恐慌障害の症状が出て、外出が難しかった。 人が多いところも、人影が少ないところも恐ろしかった。 今はそうではないが「カフェで私を見つめる男のアルバイトは何を考えているのだろうか」、 「道を歩く時は変な人から暴行されないだろうか」、そんな恐怖。 この不安感が誇張かどうかは全く重要ではないということもわかった。 この状況を全く知らない人と私は温度差があるほかはないから。 どのようにして回復したのか私に起きたことが津波のように周辺を隅々まで調べて行ったのではないか。 期待も崩れ、怒りも過ぎ去った場に残っている人々がいた。 これらの人と一緒にいたことで回復できた。 ほとんどが全教組ソウル支部女性委員会の先生だ。 これまで私はCMSで組合費を払うだけで、 これといった活動をしない組合員だったが、 全教組が何か役割を果たしてみたいと思うようになった。 最近、朝鮮日報に対する訂正報道請求訴訟1審で一部勝訴した。その後の進行状況はどうか朝鮮日報は訂正報道文を掲載せず、すぐに控訴した。 基本的な取材もしていない記事と、わずかに残った常識に期待して有利な判決を得たが、 やはり消耗的に引き延ばしている。 論点を曇らせて、被害者を萎縮させる方式だ。 失うものはないという傲慢な態度から始まったと思う。 (ソウル中央地法は去る10月26日、チェ・ヒョニ氏が朝鮮日報と所属記者などを相手に出した訂正報道と損害賠償訴訟で、 朝鮮日報と記者が共にチェ氏に400万ウォンを支払うよう判決した。 名誉毀損による損害賠償責任を問うたのだ。 朝鮮日報は該当の報道でチェ氏が直接メガリアの会員であることをツイッターで明らかにし、 これに対する批判が高まると男性嫌悪関連のツイッター1000件ほどを削除し、 普段も男子学生を叱責したと書いたが、 裁判所はこうした報道は「虚偽事実」だと判断した。) なぜ朝鮮日報を対象に訴訟することを決心したのか?一番腹が立ったのは記事発行の時期だった。 私への攻撃が激しくなる時、学校も一度揺れた。 だが革新学校だったので私と一緒に対応戦略を作って収拾していき、 事件が一段落しつつあった。 それである日は教師が集まって 「難しい時期は過ぎたので、もっと頑張って学生を教えよう。 もっとうまく教えて、幸せにしよう」と話した。 ところが次の日の朝、朝鮮日報に記事が載った。 学校がまたどっと崩れたようだ。 一個人には耐えられない嫌悪を共同体が解決しつつあり、 なんとか一息ついた時に虚偽で満ちた記事が出て行ったのだ。 学校が揺れるほどだったというのはそれなりのフェミニストや朝鮮日報と戦ったことがある全教組の先生にとっては、朝鮮日報は恐ろしくない。 元々そんな形で戦いを挑み、ファクトも歪める所だから。 しかし学校の管理者や一般の先生にとって、朝鮮日報は主流中の主流だ。 彼らにとっては主流に対する信頼が残っているので打撃が大きかった。 それでも出ないわけにはいかなかった。 言論にこうしたことをうけた人の中で、私よりも苦しんでいる被害者もいるはずだ。 全教組が支援して、助けてくれる人がいる私がタックルをしなければならないという社会的責任感があった。 7次弁論まで苦しい時間が続いたが、1審判決を見てよくやったと思った。 裁判の雰囲気はどうだったか今回の裁判でも、私がメガルの会員なのかどうかと「ハンナムチュン」という言葉を書いたかどうかが争点になった。 結局、私が直接書いたものではなくリツイートだと明らかになったが、 また「リツイート」を直接作成したと見るかどうかが重要な問題になった。 保守的な常識で合意した法では、そのようにしてしか事件を扱えない。 私がリツイートしたハンナムチュンという単語そのものに同意したというよりも、 その脈絡でその単語を使うほかはなかったツイッター作成者の感情に共感するということだったが、私を弁護することができなかった。 今の法廷は本質的な争点をかけて争える所ではない。 中年男性だった被告の弁護士は、ツイッターの原理、メガルの運営と衰退を全く知らずにいた。 威勢をふるう集団だというが、そこはすでに閉鎖された状態であった。 その上、ハンナムチュンという言葉をメガリアの会員だけが使うと主張した。 本当に議論の水準を疑った。 それでキム・ジウン氏のことを考えた。 女性たちが法廷という古い枠組み中で自分の経験と言語を語るのはとても不利だ。 MeToo以後の変化を感じるか?ウィレビョル小学校はバックラッシュの直撃弾を受けて、完全に程萎縮した。 革新学校として最も先頭を行っていた学校が一番後退した形になってしまった。 他の学校ではむしろフェミニズムの問題が薄いとはいえ広がり、 理解して話す先生が生まれたが、 私たちの学校では誰がフェミニズムのことを話すかと思って怖がる雰囲気が生まれた。 学校が標的になった状況では仕方がない退行のようだ。 私は学校から出て、自分の運動をすることにした。 学校と分離すると気楽だ。 後で復帰して一緒にできれば、そのようにまたそうしたい。 社会的にはスクールMeTooも真っ最中だ。どれほど深刻な問題と見ているか?本当にスクールMeTooが「ホット」なのか、逆質問をしたい。 MeToo運動は主要人物に致命打を負わせ、世の中を騒然とさせた。 ところでスクールMeTooは主要な問題として扱われない。 スクールMeTooは公教育制度の中の青少年が父母、先生、友人、メディアという壁を突き抜けて出した勇気だ。 だがそれと比べて社会はとても静かだ。 社会に問題があまりにも多いのでそんなことがあると考える。 それでも熱くならなければならない集団があるとすれば、それは全教組だと考えた。 だが現在、全教組の中でスクールMeTooがなぜ発生したのか、 暴露した学生はどう生きていくのか、 全教組が省察すべきことはないのかが話されているだろうか。 性平等綱領が言葉だけで終わったことを反省する契機になるはずだったのに、とても静かだった。 全教組の組合員たちも容貌を品評し、卒業式で若い教師に花を持たせ、 年齢を聞き、結婚について尋ねる。 これはスクールMeTooの対象のおかしな教師を残存させる土壌になる。 最近全教組委員長選挙にフェミニズム選挙本部が立候補した。どんな過程で選挙本部ができたのか。全教組女性委員会が江南駅殺人事件の後に徐々に生き返った。 ゆっくり上げ潮が満ちてくるのを感じた。 全教組性暴力事件の時に、被害者を支持する会の活動をして傷つき、戦って疲れた先生がいる。 だが彼らは残り続けて戦った。 彼らは私の事件にも人々が積極的に連帯する土台だった。 女性委員会で2回にわたりフェミニスト教師キャンプを開き、 ソウル クィアー・フェスティバルでブースも出し、 フェミニスト研修も開いて、読書会も活性化するなど、おもしろい事業をしていった。 そうしている間に全教組委員長選挙期間になった。 ある選挙本部で4年間女性委員長をしている先生に首席副委員長を提案したが結局断られた。 その先生は女性が脇役になってしまった男性中心の選挙戦で、女性委員長候補として立候補すると行った。 それではランニングメイトの首席副委員長も女性にしようという気持ちが集まって、 緊急に選挙本部が組まれた。 女性-女性候補チームは最初だ。 私はフェミニズム選挙本部で政策を担当している。 眼につく政策が多い。 活動家育児支援を紹介したい。 活動家が経歴断絶なく働けるように、託児室を作ってケア講師を配置する。 活動家には働く権利を、子供には安全な空間で教育を受ける権利を共に考えた。 これまで全教組はイベントの規模によって託児室を運営し、 年齢に制約もあった。 予算を女性政策分野に入れて、後順位に押し出された。 だが託児室は必須でなければならない。 育児中の先生はあちこちに潜伏している。 ケアの価値を上げて、これを共有することをしたい。 法外労組をはじめ、全教組の大きな課題はどのようにして解決するか?火炎瓶を投げて戦った前の世代全の教組活動家には明確に闘争力がある。 だが私たちも生存のための戦いを続けてきた。 女たちが殴り殺され、突き殺される時、一握りのフェミニストが命を賭けて連帯して声を上げる。 そんな切迫さことがあるので、われわれはもっと上手くやれる。 全教組の戦いを今よりも拡張しなければならないという面でも、 われわれは次元が違う戦いをすることができる。 フェミニストは集会、デモに出てきて名残惜しんで戻る存在だ。 主要活動家が想像できない方式で成果給廃止、非正規職問題などの政府との戦いをしていきたい。 ぜひ言いたい話があるか?私の人生の中心問題である全教組の話で仕上げをするべきだろう。 私が深刻な人身攻撃、サイバー暴力、脅迫、教育権侵害を越える人権弾圧を受けていた時、 全教組はどこにいたのかと訊ねたい。 「フェミニズムは必要だがこの子はハンナムチュンと言ったそうだ」、 「メガルだという話がある」という言葉を全教の組組合員たちもする。 全教組が「アカ」という言葉を聞くことなく運動できたのだろうか? 全教組がフェミニズムの議題を受けて止めて積極的に実践すれば、誤解と罵倒に苦しむだろう。 だがそんな反作用こそ、きちんと運動をしているという証拠ではないのか。 最近の全教組はあまり鋭い批判も受けていない。 私にさまざまな烙印と誤解がかけられていても、 積極的に釈明し、調べ、脈絡をたどる努力がなかった。 幸い女性委の先生が涙を流し、共にもがき、あちこちを飛び回って連帯してここまできた。 全教組の激しい歴史を続けていきたい。[ワーカーズ49号] 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2018-11-26 21:19:04 / Last modified on 2018-12-16 09:36:18 Copyright: Default 世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ | |