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韓国:ワーカーズ辞典 「共有経済(sharing economy)」
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共有経済(sharing economy)

[ワーカーズ]ワーカーズ辞典

チェ・ヒョジョン(政治学者、慶煕大フマニタスカレッジ解雇講師) 2018.10.23 11:05

共有を破壊するために、しばらく全力をふりしぼった経済学者たちが、 ある日からか一斉に共有経済を称賛し始めた。 何が起きたのか。 彼らの言葉では共有経済は 「物を所有の概念ではなく互いに貸与し、借用して使う概念と認識して経済活動をすること」だという。 そして今、この共有経済が未来の有望な産業分野になるだろうから、 投資もして創業もしろという。 概念の定義だけを見れば、共有経済は 「優しい資本主義」や「代案的資本主義」の可能性まで見せるようだ。 共有経済の実際の姿があらわれるまで、大部分の人々は「共有」という単語から連想する基本的な観念に頼って「共有経済」を理解しようとし、 それが可能かという疑問などの他には特に抵抗感なく、 この新しい経済モデルを受け入れた。 しかし新しく流入した共有経済と、本来持っていた共有の概念には重大な差がある。

[出処:commons.wikimedia.org]

まず、人々が一般的に考える「共有」とは、「皆のもの」という意味だ。 「公共のもの」であり、「公共財」であり、「公共資源」だ。 空と川と森と水が皆のものであるように、 すべての人に必要で、皆が一緒に使えるように、 公共のものとして所有し、共に管理することをわれわれは「共有」の概念で理解する。

私が暮らす山村で、村の人々が考えっている「共有」の概念がそうだ。 村の水路は村人全てのためのもので、皆が同じように使うもので、 だから皆のものであり、誰のものでもない。 この時に重要なことは「共に」という意味だ。 「共に」という意を持ったラテン語の語源である「コム(com)」という単語を含む コミューン、コミュニズム、コミュニストは、 すべてそのような意味の「共有」という意味を持っている。 それで皆のものを一緒に使うというこの共有概念は、 いつも「無償」や「無料」という考えと連結する。 空気や山から降りる水がタダであるように、 共有とは基本的に費用を支払う必要がないか、 最低の管理料金だけを払うことだと考える。 公共施設を無償か、とても安く利用できるのもそうした理由だ。 共に作り、共に管理し、共に使うものだからだ。

しかし今の共有経済というものは正反対だ。 共有するために費用を支払う。 今、使われる「共有経済」という言葉には、 その単語自体に共同(com)という意味が入っていない。 この単語は「シェアリング エコノミー(sharing economy)」の訳語だ。 共有経済というと思い出す代表的なモデルも、 シェアハウス、シェアオフィス、カーシェアリングのようなものだ。 初めてAirB&Bが出てきた時に「家を共有」するという驚くべきアイデアだと言われ、 ウーバー(Uber)は車両共有と言われた。 だがAirBnBは税金のない宿泊賃貸業で、ウーバーもアプリケーションを利用した注文型タクシーサービスであった。 シェアするということは、共有するということとは全く違う言葉であった。 最大の差は共有を取り引きすることだ。 この共有市場に集まった人々は「皆のもの」ではなく「各自のもの」を共有する。 彼らが共有するのは各自が提供する需要と供給、 さらに正確に言えば各自が必要とする需要と供給の「情報」だ。 ウーバータクシーの利用者はタクシー情報を「共有」する。 ウーバータクシーの運転手は顧客情報を「共有」する。 しかし集積されたデータはプラットホームを提供するウーバーが「独占」する。 個人は情報を提供して情報利用料まで差し出すのだ。 誰もがプラットホームで情報を共有できるということは、 利用者の間の競争が無限だという言葉でもある。 情報を共有する人々が多いほど、競争は激しくなる。 労働を共有するほど、労働者たちの競争は激しくなる。 これを果たして「共有」と呼べるだろうか?

この共有市場で人々は誰と何を共有するのか? 自分に必要がないもの、残ったものを他人と共有するというが、 ウーバータクシーの労働者たちは自分の遊休労働を共有するのではなく、 シェアハウスやシェアオフィスの家主も不要な空間を他人のために善意で提供するのではない。 必要な人々と残ったものを分けて使うのではなく、 反対に個人が持っているすべての資源を商品化して、売れる全てのものを売るのだ。 それでピーター・フレミングは 「共有経済という名目で人々の人生そのものを略奪」すると話し 「ウーバー(Uber)」という車両共有サービスを税金詐欺師以外のどんな言葉で表現できるかと尋ねる。 [1] 雇用主が支払うべき福利厚生費用と雇用費用をすべて労働者に転嫁して税金を回避しながら金を稼いでいるからだ。

米国の政治学者、エリノア・オストロムは、 世界的な民営化の時期に公共領域を攻撃する象徴的な童話だった「共有地の悲劇」仮設に反論できる公共管理の事例を研究した。 [2] 共有地の悲劇とは、私有地ではない共同の放牧地では個人が各自自分の利益だけを追求し、 羊を放牧して結局荒廃させるという話だ。 しかしオストロムの研究は、内部的に自律的な規則を作り守って行く共同体の中では、 ハーディングが話したような共有の悲劇は起きないということを示した。 規則(rule)を作る人と規則を守る人が一致すると、この自治の原理は、 支配する者が同時に支配される者でもある民主主義の原理でもある。

しかし共有市場では、規則を樹立する者と遵守する者が一致しない。 規則は市場が決める。 AirBnBの利用者は、どんな規則も変更したり共に集まって新しく作ることはできない。 徹底的に市場の秩序が支配し、その支配を受け入れる人だけが入場できる。 今、共有を考える時に決定的に問題になるのも、この脱政治化された思考だ。 公共財を私有の総合と見て、各自がそれに対して1/nの持分を持っていると計算するだけで、 分配の規則を誰が決めるのかについての議論はない。 これが二番目の差だ。

三番目の差は「公益性」の概念が消えて「収益性」で代替されるということだ。 公共性の理念は、常に少数ではなく多数の利益を追求する。 それは単に受恵者が少数か多数かという意味ではなく、 その施設や活動が少数の特権層ではない多数の一般大衆の生活の質を高め、便益を追求するという意味だ。 公営駐車場、公共美術館、公共体育館、公共医療機関など、 「パブリック(public)」に入る公共の意味がまさにそのようなものだ。 公営と共用としての共有概念は、公益性の追求を最優先とするが、収益性を追求しない。 しかし市場の共有にはそのような公益性の概念がない。 もちろん公益性と公共的価値は絶えず言及され、 実際に公益的サービスを供給する企業もある。 しかし私的企業が公益的財貨を供給し、収益性を上げるという構造の裏には、 ほとんどに公的な財政支援がある。 そのような方式は、公共財と公共資源管理を外注化し、 市場原理により社会的資源を再分配するようになる。 「教育支援事業」の名前で教育部や地方自治体が教育企業等を支援して、 それらの企業が公共教育サービスを提供する委託型教育市場モデルは、 そのような共有経済の代表事例だ。

最後に重要な差は、関係と個人性のうち何を強化するのかだ。 共同体を維持してきた共有経済では、関係の持続性と共同体構成員間の信頼が何よりも重要だ。 しかし現在、共有経済と呼ばれる商業は、各自の便益を取る孤立した個人の取り引きにより形成される。 もちろんその中には「公益的価値」のようなものを購入したい消費者もいるかもしれず、 共有経済はそのような消費者を狙った「優しい消費」マーケティングを積極的に活用したりもする。 だが共有の市場が要求する「信頼」とは、関係を積むための信頼ではなく、 匿名の取り引き者による詐欺にあわないための支払い保証としての信用証明でしかない。 こうした賃貸経済は結局「公共領域」を拡張していくのではなく、 各自が持っているものもすべて剥奪し、他人のものを借りて使う「賃貸生活者」として生活方式を構造調整する。 必要な生活手段と生活技術をすべて「レンタル」で代替できるということは、 私たちの人生が今よりもはるかに絶対的に「貨幣」に依存するようになるということを意味する。 今、共有経済は民営化の新しい段階であり、名前が違うだけだ。 「所有せずに分けて使おう? 事実は借りて使おう」というこのスローガンは、 個人の無所有に対する賛美のように聞こえるが、 実際には資本の雇用回避と無責任を隠す言葉であり、 連帯性と関係性を剥奪して貨幣の力を強化し、 個人をさらに孤立化させ無力化する技術を「共有」という象徴操作を通じて正当化する。 形式的な方法だけが共有だからといって、すべて共有ということはできない。 共有の哲学と価値がなければならない。 共有経済は初めから誤った翻訳だったし、 無分別に使われることにより大混乱をもたらした。 そして本来持っていた共有の概念まで傷つける。 今、共有経済と言うのは共有を市場で取り引きできる形態にする方法論的な革新でしかない。 これは「共有を破壊する経済」であり「共有の市場化」だ。[ワーカーズ47号]

[脚注]

[1] ピーター・フレミング著作、パク・ヨンジュン翻訳。「ホモ オイコノミクスの死」(ハンスメディア2018)

[2] Elinor Ostrom. Governing the Commons:The Evolution of Institutions.(Cambridge University Press 1990). 韓国語版ではユン・ホングン、アン・ドギョン訳。「共有の悲劇を越えて」(レンドマウス2010)

原文(ワーカーズ/チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2018-10-05 02:03:43 / Last modified on 2018-10-30 00:47:18 Copyright: Default

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