| 韓国:誰でも手に技術を持った世の中が(また)来れば? | |
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誰でも手に技術を持った世の中が(また)来れば?[ワーカーズ]三行要約
キム・ソンユン(文化社会研究所) 2018.09.25 10:54
メーカー文化というものがある。 老婆心だが、ナイキ、アディダスのようなメーカーではない。 文字通り「作ること」、つまり手先の技術で何かを「製造」する文化と見れば良い。 よく知らない人は、これをあえて英語で表現して、そこに文化という言葉まで付けると いぶかしがるかもしれない。 だがこの領域を見下してはちょっと困る。 この分野に身を漬けている人々によれば、 「メーカー運動は世の中を変える『根本的な変化』であり 『解放』の運動」だからだ。 しかし「メーカー文化の社会的構成」の著者、チェ・ヒョッキュはここに質問を投げる。 「本当にそうか? そのように簡単にいくだろうか?」 著者の質問は極めて常識的な好奇心から出発する。 今時の脱産業時代において製造業技術とは、話になるのだろうか。 まったく奇妙な感じがするほかはない。 たいていの良い研究がそうであるように、 この論文も一種の推理小説のような部分がある。 初めは素朴な好奇心から事件を振り返って、ふと意味深い兆候を発見するようになる。 メーカー文化でドン底に落ちた世の中を救うということ。 どこか過剰なこの感じをいったいどのように理解すれば良いのだろうか。 今月の三行要約だ。 [出処:キム・ヨンウク]
まずメーカー運動の純粋性ということについて考えてみよう。 事実、今日「メーカー」という英語の名前で呼ばれる彼らを簡単に理解するなら、 「職人」ないしは「技術オタク」と見てもかまわないかもしれない。 タンクも作るという世運商街の年取った職人から、 車庫で自分の手で何かトントンやる才能屋に至るまで、 その形状は多様だ(もちろん韓国では殆ど車庫がないので「メーカースペース」のような共有空間を利用する)。 あるいはここには初期の産業化時代に対する若干の郷愁のようなのが隠れているのかもしれない。 少なくともその時期だけは、適当な人々は「手先」というものを持っていた。 DIY云々する最近ではあるが、大量生産・大量消費体制が本格化する以前には そんな言葉がなくても技術的な自給自足がある程度行われていた時期と想像したりする。 職人と呼ばれるのは恥ずかしくても、わらぶき屋根を自分で作ってのせて、 木を削って将棋の駒を作った小技は(少なくとも男性家父長を中心に)極めて普遍的なことと回顧される。 いくらかの芸術家たつは、手の技術と生活芸術が結びついていたその時期のリテラシーが消えた事実を惜しむ。 これは論文のインタビュー調査に応じたメーカーから共通に現れる反応でもあるが、 メーカー運動の最も重要な問題意識はあるいはまさにここから出発すると見てもいいだろう。 手の技術を中心にする生活芸術という表現と行為は、(今よりも)技術と芸術に対する感覚が民主的に分配されている状態を連想させる。 人々は誰もがそのような力量を持っていたし、 それによって楽しみもまた享受することができた。 要するに、芸術+技術的感覚の民主化、文化的力量の強化、健康な楽しさのようなものがキーワードとなる。 ただし、著者はメーカー運動のこうした純粋性がそのまま実現されるのは難しいかもしれないということに注目する。 特に最近、第4次産業革命がうんぬんされる技術的・政治経済学的な情勢は、 一種の機会構造のようなものを開放しているわけだが、 これが実は状況を複雑にさせている面がある。 大きく3種類程度が重要な状況だろう。 まずデジタル技術によって過去の伝統的な製造業技術とは違う環境が作られる。 二番目、これで家で一人で生活技術・生活芸術したのと違い、 ネットワークを通じて互いの技術を「共有」するオン・オフラインの職人が拡大する。 三番目、したがって技術的な倫理というか、過去に強調された勤勉のようなものよりも 「革新・創意」のような価値の方がさらに重く作動するようになる(ここに個人的な意見を付け加えると、伝統的な製造業の男性中心性を越える側面も見られる)。 われわれは技術疎外状態から抜け出せるだろうか。 失った生活技術感覚を回復できるだろうか。 そのようにして、疲弊した人生に文化的な豊かさを持ってこられるだろうか。 問題はこれがメーカー運動だけの機会構造ではなく、 その反対にある(と仮定される)支配秩序にも同じ機会構造という点にある。 新しい成長動力、第4次産業革命のような言葉が粘り強く提唱されるのは、 逆説的に、現行の体系では新しい突破口を見つけるのが難しいという意味とも通じる。 ところでここで創意的なデジタル技術を共有し、革新を達成できるなら? このような形でメーカー文化は新しい成長動力の主軸になり、第4次産業革命の一部になる。 自然発生的なメーカー運動が技術創業運動、メーカー教育などに転化するのも偶然とばかりはいえないわけだ。 運動と体系の間の利害関係が相反するばかりではないためだ。 ほとんどすべての運動の動力と議題が体系の中に溶け込んでいく最近なのではないかと思う (民主党が捉えた中央政府と地域政府はこうした流れをさらに加速している)。 著者はこうした困難をメーカー「文化」という構成体または場として捕らえているわけだ。 もちろん単純にわれわれは何もできないといった困難を意味するのではない。 16人の参加者と共にしたインタビュー内容は、メーカー文化という溶解物質が決して均質的ではないという事実を反証する。 製作文化を小手先や技術の遊び程度に素朴に考える人々に、 政府の体系的な支援が引き起こすそんなこんなの不便さは、 むしろメーカー運動を新しく正体化する動機を作り出したりもするためだ。 メーカー運動が成功したり、メーカー文化が本当に普遍化すれば、 皆が期待するとおりに私たちの日常は今までとは異なる方式で再編されるかもしれない。 しかし今までの傾向を見れば、この「文化」は特定の個人、特定の集団、特定の力によって一方的に構成されるとは思えない。 そのような点で著者チェ・ヒョッキュの最終診断は、 私たちの問題意識を明確にする面がある。 要するに、われわれは今、新しい問題を作っているということ。 正確に言えば、不安から遠ざかる人生というよりは、 異なる種類の不安が近付いてきているという点だ。[ワーカーズ46号] 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2018-10-05 02:03:43 / Last modified on 2018-10-09 20:20:02 Copyright: Default 世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ | |