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双竜車キム・ジュジュン、聞いたこともない彼の話

[ワーカーズ ルポ]2009年と2012年、そして2018年、その年夏

キム・ハンジュ記者 2018.07.25 15:28

[出処:キム・ハンジュ記者]

#1.「世の中に背を向けようと…」

2012年8月ある夏の日の朝。 キム・ジュジュン氏が酒に酔って家に戻った。 2009年、双竜自動車を整理解雇された後、酒を飲むことが多かった。 双竜車解雇者という名札がいつも彼の就職を邪魔し、頼るものは酒しかなかった。 溜まっていく借金のようにストレスも増えた。 これではいけないと思いつつも、言葉が荒くなった。 その日、何となく妻が入った保険に文句をつけた。 キム氏が解雇された後、妻は就業戦線に飛び込んだ。 スーパーのレジ、物流センター、後では建設現場まで転々とした。 妻は夫が悔しかった。 互いに声が高まり、結局けんかになった。

「保険を解約して、そして私はチ○○(同僚解雇者)と古物商を始める」。 キム氏はこの言葉を残したまま家を出た。 「双竜車解雇者」という烙印が押された彼に、最後に残った希望は古物商だった。 今のレンガを作る仕事では二人の息子の面倒を見るのも難しかった。 結局、妻は保険を解約することにした。 保険会社は「本人と直接通話しなければ解約できないが、夫と電話がつかない」と言った。 妻はキム氏に電話をかけた。 電話機は切れていた。家出だった。

連絡が切れて5日が過ぎた。 心配した妻は、コンピュータで彼のカード内訳を確認した。 キム氏がその日の朝4時、モーテルでカードを使った記録があった。 妻は会社に事情を話し、すぐにモーテルへと向かった。 キム氏は寝ていた。 妻は彼をなだめたり、怒鳴ったりもした。 彼は妻に3日後に家に帰るといった。 妻はしかたなく分かったと言った。 ちょっと風にあたって帰ってこいという言葉を残してひとりで家に戻った。

帰宅を約束した日。 彼は戻らなかった。 電話は相変らず切れていた。 カード使用内訳も残っていなかった。 現金サービスを利用したという記録だけが記されていた。 結局、妻は平沢警察署に失踪申告をした。 二日後、警察から連絡がきた。 「彼は今、大川の保寧警察署にいます」。 平沢から保寧までは車で二時間。 海に近い都市だ。不安が襲ってきた。

キム氏は現金サービスでレンタカーを借りて保寧にきたと言う。 晩に貝焼きでビール二本を飲んだ。 あまり酒に強くない彼はすぐ酒に酔った。 近所のカラオケ従業員が客引きをした。 彼はそこでまた酒を飲んだ。 そしてカラオケ主人といさかいになった。 金のためだった。 カラオケの主人は営業妨害だと言って、彼を海辺につれて行って放り出した。 彼はくやしくて木の棒を振り回した。 彼は現行犯で逮捕された。 警察署に到着した妻が彼に尋ねた。 「なぜここまできたの」。 彼が答えた。「世の中に背を向けようと…」

#2.暮らそうとして地団駄を踏んだが

2012年8月、キム氏は暴行罪で拘束された。 3年半の獄中生活の末に2016年3月に出所した。 彼は2009年、双竜車玉砕ストライキの時も執行猶予4年を宣告されて半年を監獄で過ごした。 整理解雇はキム氏を壊し、国家は壊れたキム氏をまた監獄に閉じこめた。 全てを個人の責任に押し付けた。 解雇で工場を辞めて長い。 同僚もしだいに遠くなった。 互いが互いの借金だった。 彼を探す電話もまばらだった。

彼はやつれていた姿で出所した。 妻は彼に仕事に行けという言葉を言い出せなかった。 だが玉砕ストライキの当時、可愛かった二人の息子はどんどん大きくなった。 妻一人で生計を立てるのは手に余った。 キム氏はトラックの運転を始めた。 12時に出勤して、朝6〜7時に戻った。 月、水、金曜は一山に、火、木、土はソウルのあちこちを回って化粧品を納品した。 家に戻るとシャワーを浴びて建設現場に出て行った。 新築の建物にボイラー配管を設置し、その上にセメントをかぶせる美粧作業をした。

ツージョブをしても家計は悪くなった。 トラック運転手は個人事業者であった。 税金はきっちり払わなければならなかった。 交通事故の処理費用はすべてキム氏の財布から支払われた。 事故だけで3回。 不運が近づいた。 双竜車に通っていた時に住んでいたアパートを出て、引っ越しだけでも3回。 整理解雇後の2011年、妻を保証人にして訪ねたサラ金、 2014年に妻が知人の紹介で行った貯蓄銀行。 借金は積もった。 その上、24億ウォンの国家損害賠償で仮差押さえされた財産だけでも1千万ウォン。 もう粘ることはできなかった。

2018年6月27日。 彼は平沢のある山で自ら命を絶った。 妻に「これまで悪い夫と出会い、苦労だけさせて、最後も借金だけ残して行く。 暮らしは大変だが、ぜひ幸せに」というメッセージを残した。

#3.頑張ったのではないんだな

2018年7月15日日曜日。 大漢門前の故キム・ジュジュンの焼香所。 解雇者の同僚イ某氏が焼香客を迎えていた。 イ氏は工場で故人とともに十余年を過ごした。 彼は一か月前にキム氏と会った日を思い出した。

2018年6月14日、彼が死亡する2週間前。 キム・ジュジュン氏は双竜自動車平沢工場前のキャンドル文化祭に参加した。 文化祭の後、コンビニの前で同僚とコーヒーを飲んだ。 彼は同僚の前では暗い表情を見せなかった。 「子供がすごく大きくなった。 相変らず言うことを聞かない」、 「美粧は人がする仕事じゃないよ」。 笑いながら冗談をやり取りした。 彼はいつも同僚に明るい姿だけを見せた。 その微笑のために、イ氏は彼に近付いていた死を知ることができなかった。

[出処:キム・ハンジュ記者]

「ジュジュン先輩が死んだというのがまだ信じられません。 受け入れたくもありません。 何度も罪悪感がわきます。 十数年間一緒に生活したのに、そんな気配もわかりませんでした。 あるいは、すでに知っていのたかもしれません。 ジュジュン先輩の性格は元からそうでした。 自分の話は絶対しません。 しこりが抑えきれずに死んだのです。 ジュジュン先輩が苦しいことを知りつつも、 実際に明るい姿を見るとよく頑張っているんだなと誤解していたのです。 私が表面だけを見て、見逃していました。 先輩に先に近付けばよかったのに。 酒一杯飲みながら内心を聞いてやるべきだったのに….」

キム氏は2009年の整理解雇リストが出る前から闘争を決意した。 整理解雇が近づけば、工場の中が死んだ者と生きた者に分かれるのは明らかだった。 彼は自分が属していた現場の集まりで強く主張した。 自分が整理解雇リストになくても、最後まで一緒に戦おうと。 現場の集まりの同僚約40人も彼と意を共にした。 できるだけ多くの人が先鋒隊に志願することにした。 彼は先鋒隊第三支隊長になった。 そして2009年8月5日。 双竜車の屋上に警察特殊部隊が投入された。 彼は警察盾に押され、軍靴で踏みにじられた。 直ちに現行犯で逮捕された。

イ氏が話している間にも、焼香所には悪態と暴力が乱舞していた。 保守団体は焼香所に「死体商売やめろ」と放送した。 太極旗と星条旗、イスラエル旗を振ってサイレンを鳴らせた。 イ氏は玉砕ストライキ当時の工場の屋上を思い出させた。 「2009年に工場がこんな状況でした。 会社は整理解雇で生きた者と死んだ者を分けました。 互いが敵になり、戦争になりました。 放送、悪態、暴力…。 私たちは彼らと色が違うことを知っているのに、対応する必要がないことを知っているのに、 鬱憤がたまります。 『死体商売』という言葉には耐えられません。 我慢するほどに怒りがたまります。 悪態でもつけばストレスは解けるでしょう。 しかし支部が対応するなと言うので何も言えません。 拷問されているような感じです。 ジュジュン先輩もこんな状態だったのでしょう。 苦しいというよりも、逃げたのではないでしょうか。」

#4.大漢門焼香所、侮辱の時間

2018年7月3日、双竜車支部が大漢門前に焼香所を設置した日。 太極旗革命国民運動本部(国本、保守団体)の軍歌の放送と太鼓の音、悪態が翌日の朝まで続いた。 午前11時30分に記者会見を終えて焼香所を設置するとすぐに保守団体の攻撃が始まった。 警察は焼香所を包囲した。 保守団体は警察の後をとり囲んだ。 焼香所は幾重にも包囲され、焼香客は孤立させられた。

▲保守団体会員を説得する人々[出処:キム・ハンジュ記者]

「おしっこをしたければ、そこでもらせ、大便をしたければそこでしろ。 一度みんなで飢えてみろ。 蟻の子一匹も出入りさせない!」 午後6時頃、金属労組組合員十人ほどが焼香所で遺影に礼をした。 保守団体の会員は彼らに「漫画の絵(故人の遺影)を抱えてふざけてる、ワハハハ」と歌を歌った。 聞いていられず、市民が続いて耳栓数十個を買ってきた。 焼香所守備隊は耳栓をした。 保守団体はここ大漢門が『太極旗の聖地』だとし、焼香所を撤去するといった。 保守団体のテント二棟を焼香所側に押し込んだ。 焼香客がテントの柱を握って彼らを防いだ。 「お前のオヤジが死んだのか」、 「女もいるよ。お前たちは体を売ってもいいのだろう」、 「私たちが暴行したと警察に話したやつは、捕えてケツの穴を切り裂いてやる」。 保守団体は想像もできないような悪態をあびせた。 焼香客はぎゅっと口を閉ざしたままテントだけを守った。

孤立は夜まで続いた。 焼香所の中の人は水一杯飲めなかった。 トイレに行けないからだ。 警察と保守団体のおかげで強制断食をすることになった形だった。 保守団体の会員は、焼香所の前で水浴びをした。 水を溢れさせて焼香所を濡らした。 唾を吐いたコーヒーをぶちまけた。 椅子を投げ捨てたり、太極旗と星条旗で頭を殴った。 焼香所の市民と弁護士、取材記者が彼らから暴行された。 彼らは爪で顔に傷をつけて、髪を引っ張り、カメラを壊して盗んだ。 夜9時頃、ユン・チュンニョル主席副支部長が外でのりまきを買ってきた。 保守団体の会員はのりまきを奪ってぶちまけた。 市庁前の道路にのりまきが転がった。 耐えていた怒りが爆発した。 ユン主席副支部長と保守団体の会員の間で衝突が起きた。

短い衝突の末に長い説得の時間が続いた。 焼香客と守備隊はあちこちで彼らを説得しようと努めた。 キム・ドクチュン支部長は、乱入した保守団体会員に、 民主社会のための弁護士の会のイ・ジュヒ、オ・ミネ弁護士は撤去を威嚇する保守団体の女性会員に、 非正規職ない世の中作りのパク・チョムギュ執行委員は年を取ったおばあさんに焼香所設置の理由を説明した。 ユン・チュンニョル主席副支部長は保守団体宣伝カーのマイクを持って訴えた。

「私たちは皆さんを追い出すために来たのではありません。 私たちがここにいる理由を申し上げたくて、マイク持ちました。 われわれは2009年に『アカ』という烙印を押された人々です。 それでどこに行っても就職ができません。 その間に同僚が死んでいきました。 2012年に22人目の犠牲者が出てきました。 それで問題を解決するために大漢門に焼香所を作りました。 多くの市民が焼香して、政治家たちもここに来ました。 その結果、会社が2017年上半期までに解雇者を復職させることを約束しました。 しかし会社は約束を守りません。 それで同僚がまた命を失いました。 今回で30人目です。 ツージョブをして、なんとか家族を食べさせようと頑張っていた人でした。 そんな人が亡くなりました。 今は本当に解決しなければならないのではありませんか。 お願いですから市民が焼香できるようにしてください。」

呼び掛けには悪態が帰ってきた。 「死んだ所に行って言え」、「セウォル号のリボンを外して話せ」、 「焼香所を作るのなら大型太極旗二枚を付けろ!」 ユン首席に話でも聞いてみようと言ってマイクを持たせた保守団体の会員にまで悪態が飛んだ。 「あいつらがあなたらと何を交渉するのか。いますぐ失せろと言え!」 保守団体会員どうし言い争いになった。 ユン首席は手で遮りながら後ろを向いた。

この日の衝突は翌日、日が昇ると小康に達した。 キム・ドクチュン支部長が抱え込んで守った故人の遺影も元の場所に置かれた。 だが威嚇は相変らず消えない。 2009年の警察暴力鎮圧の夏を味わった双竜車労働者たちは、 9年経った現在、大漢門前でまた侮辱の夏をむかえている。

7か月前、双竜車支部がインド遠征闘争に出かけた時、 双竜車の大株主、マヒンドラグループの会長は 「韓国の経営陣が解雇者の復職問題をきちんと解決するだろう」と話した。 7月10日に文在寅大統領と会った彼は、 再び「現場の経営陣が問題をきちんと解決するだろう」と話した。 だがこの7か月間、会社は復職条件が整っても復職期間を明示しない。 その間に30人目の死が発生した。 120人の双竜車解雇者は、人生と死、生きている者と死んだ者の境界のどこかで 今もうろうろしている。〈ワーカーズ45号〉

原文(ワーカーズ/チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2018-08-04 09:28:19 / Last modified on 2018-08-04 09:31:12 Copyright: Default

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