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韓国:戦うだろう、勝つだろう、仕上げ、笑うだろう、韶成里、大秋里
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リリリで終わる言葉は、戦うだろう、勝つだろう、仕上げ、笑うだろう、韶成里、大秋里

[ワーカーズ]イシュー

キム・ハンジュ、パク・タソル、ユン・ジヨン記者 2018.05.29 12:56

[出処:キム・ヨンウク]

各種の祝いと賛辞で埋め尽くされた南北首脳会談が4月27日、板門店で開かれた。 南北首脳が互いに仲良く軍事境界線を行き来する姿は見守る人々を感動させた。 だが韓国では平和も平等ではない。 平和が到達できないところは戦争のような人生を続けるか、平和から疎外され忘れられる。 韶成里と大秋里、戦争基地になってしまったそこに「ワーカーズ」が行ってきた。

警察で覆われた韶成里…THAAD工事は相変らず直進

5月10日午前6時30分、星州闘争の支援者たちが急いで駆けつける。 THAAD基地から1.2km離れたチンバッ橋前の三叉路平和祈祷会に10数人が集まった。 ペク・チャンウク牧師がマイクを持った。 闘争とは「警察が闘争する人々を固めて、厳しい「からだの対話」をした後、すべて前科者になること」という。 江汀海軍基地と密陽送電塔反対闘争の経験から出た話だ。 ペク牧師と一緒に平和を願う歌を歌い、祈祷を終えると午前7時を過ぎていた。 装備搬入のための車が大挙して入ってくる時間だ。 集まった人々が「平和行動」を行い、警察と本格的な「からだの対話」をする時間でもある。

支援者たちが街頭に椅子を置いて座り、プラカードデモをする。 7中隊、560人ほどの警察がその周囲を固める。 30分ほど過ぎたか、警察課長がメガホンで自主解散を要請する。 彼らがどかずに抵抗すると、椅子ごと人を動かす。 道端に移された人々は基地に行く車に向かって「THAADに奉仕するな」と叫ぶ。 仕上げのプラカードデモが終わると午前8時を過ぎていた。

大邱からきたある支援者は 「たくさん警察が来る時は、1人あたり100人つく。 多分全国で警察が一番多い」と鬱憤をさく烈させた。

韶成里の低い山々が、声を押し殺しているように静かだった。 それもそのはず、この村には現在60世帯、100人ほどが住んでいるが、 住民のほとんどは70代から90代の老人だ。

午後3時30分、1人デモのために村会館に集まったおばあさんたちがワゴン車に乗る。 5月10日の1人デモにはト・グミョン(81)おばあさん、 イム・キルラム(80)おばあさん、コ・チュンジャ(74)おばあさん、イム・スンブン(65)韶成里婦女会長が出た。 チンバッ橋三叉路を通り、車から降りていくらか上り坂を歩くと、 鉄条網の向こう側に国防部の基地が見える。

しばらく1人デモをしたト・グミョンおばあさんがタイヤをパンクさせるためと思われるトゲがついた覆いを道の真ん中に引っ張ってきた。 「こうでもしなければ気が晴れない」というト・グミョンおばあさんは、 車両統制用バリケードも動かそうとしたが、周辺に引き止められて耐えた。 コ・チュンジャおばあさんは、おなじみのスローガンを叫んだ。 コ・チュンジャおばあさんが「THAADは出ていけ、平和よ来い」という公式スローガンを始め、 「武器商売やめろ」、「米軍は米国に」などと叫んだ。

おばあさんたちは最近になってさらに大きな怒りを感じていた。 南北和解モード、平和の春がくるという話が新聞紙面と放送を飾っていた時だった。 ト・グミョンおばあさんは「文在寅(ムン・ジェイン)(大統領)になればTHAADは出て行くと思った。 1番に投票すればいいと思ったが、みんな信じられない」とし 「数年間闘争しながら、私がこんなに不道徳になった」と話した。

板門店宣言が発表されるわずか5日前、韶成里の住民たちとTHAAD配置反対闘争支援者は、また国家暴力により追い出された。 THAAD基地に通じる唯一の道のチンバッ橋が戦線だった。 4月23日、国防部はTHAAD基地に工事用資材と装備を積んだダンプカーなど車両22台を搬入した。 この過程で警察兵力3千人が動員されて進入車両を警護し、作業員を押し込んだ。 韶成里住民と支援者は互いに腕を組んで丸腰に網をかけて抵抗した。 彼らは互いに組んだ腕で、また始まった国家暴力に抵抗した。 警察がカッターナイフで網を切り始めた。 警察の刃物の柄が目の前を行き来するぞっとする瞬間だった。 首の後でサクサクと網が切られていった。 ある老人はその場で気絶した。 この日、活動家150人ほどが警察に連行され、20人ほどの住民が怪我をした。

キャンドル政府が誕生し、昨年6月にいなくなっていた警察がまた韶成里に入ってきた。 警察は4月19日に予定された保守団体の集会を管理するという言い訳をした。 だが保守団体の集会が終わる前に警察はチンバッ橋を守っていた住民と支援者を押し出して、 THAAD工事のために作業員を入れ始めた。 その後、多ければ3千人、1千人、現在は500人ほどの警察が明け方から村入り口を防いでいる。

星州金泉の住民たちは警察、政府に抗議するために去る5月9日、ソウルを訪れた。 青瓦台前の噴水でイム・スンブン韶成里婦女会長は 「昼真に韶成里でおきていること」を知らせた。 イム氏は「文在寅大統領に目があるのなら韶成里の状況を見なければならず、 耳があるのなら韶成里の状況の報告をきちんと受けて、 口があるのなら少しは答えなさい」とし 「韶成里の住民も国民なのだから、何か言ってくれ。 われわれはこの国の政府を信じて、言われるまま、要求されるまま税金を払って 一生懸命働いた罪しかない。 平和な村で息をして暮らせるように、警察兵力をどかしてくれ」と要求した。

警察の護衛の下でTHAAD基地はほとんどシステムが完成しつつある。 油類を積んだヘリコプターがこまめに村の上を飛ぶ。 テントや施設ももうすぐ構築する計画だ。 韓国の平和は平等ではない。 韶成里にはまだ平和がこない。

[出処:キム・ヨンウク]

政府が消そうとした「大秋里」という生命の火種

移住先の村は清潔で静かだった。 小さな別荘のような田園住宅が区画に沿ってきれいに並んでいた。 村の中には小さな公園と運動場ができた。 よく清掃されたアスファルトの地面は陽光を受けて輝いた。

訪問客は村の住民を羨んだ。こんな田園住宅で暮らしたいという感嘆の声をあげた。 そのたびに村の住民たちは怒りを沈めた。 彼らが暮らしたい所はアスファルトの上のおもちゃの村ではなかった。

村の入口には「大秋里」という三文字が頑なに立ち続けている。 誰かは忘れたかもしれない。 別の誰かは「アカ」と悪口を言うかもしれず、そして誰かには傷として残っているかもしれない村の名前だ。 12年前、軍隊と警察が押しかけて壊し、押し倒した村。 そこの住民は国家が消そうとした「大秋里」という生命の火種を最後まで守ろうとしている。

「大秋里という名前は、ここの住民にとって全てです」。 大秋里平和センターで会った大秋里村のシン・ジョンウォン里長の声が高まった。 米国基地移転で村を奪われた大秋里の住民たちは現在、平沢市彭城邑ノワ里の外れに移住村を造成した。 住民が落ち着いたここの名前は「大秋里」でなければなかった。 2007年、涙でサインした政府との合意書にも明示されている。 だが住民は移住してから8年経った今でも「大秋里」という名前を取り戻す戦いを繰り広げている。 「初めからできないと言われれば期待もしませんでした。 約束したのも守らない汚い政府です。 どうせ、どう暮らしても全く同じではないかと言いますが、私たちにとっては違います。 住民の自尊心であり、全てです。 自分の子どもの名前を付けるのに隣りのおじさんの姓を借りて名付けろというのと全く同じなのです」。 シン・ジョンウォン里長は政府が約束を破ったという。 実際に2007年、当時住民と政府は「行政区域の名称を大秋里に変更することは該当地域にすでに居住している住民の同意など、 行政区域変更に関する規定による手続きと要件を具備した時に承認する」と合意した。 政府側の交渉者は大秋里に行政名称を変更することができると住民を説得した。 だが移住後に状況は変わった。 平沢市は現在ノワ5里に住む大秋里住民だけでなく、ノワ1〜4里の住民を相手に郵便投票を進めた。 圧倒的な反対の結果が出てきた。 投票に参加したノワ里住民がノワ1〜5里全体を「大秋里」に変更すると誤解したためだ。 大秋里の住民たちは当惑した。 村の名前を「大秋里」に変更することに対する住民の同意は該当地域に居住する住民、または直接関連がある住民を対象にしなければならなかった。 シン・ジョンウォン里長は「平沢市は地方自治法にノワ里の住民の同意を要件としていない事実を認めながらも、 行政区域名称変更がノワ里の住民に影響を与えるので同意が必要だと主張している」と説明した。 現在、大秋里の住民は平沢市長を相手に行政訴訟を繰り広げている。

村の公民館には毎日15人の老人が集まってテレビを見たり談笑する。 以前なら米作りで目が回るほど忙しかったはずなのに、もう彼らの手が必要な水田と畑はない。 「ああ、話も出ない」。 最近どう過ごしているかという質問に、老人たちは手で遮る。 いくら話しても効果がないといった。 一生水田と畑を耕してきた人々の日常に無力感が滲んでいた。

学んだことは盗みだけだと、条件がある住民はまだ農作業をする。 だが大多数の住民は仕事を止めて久しい。 農作業をする住民は他人の顔色を見る。 農地を買うことができる住民もいるが、そうではない住民の方が多いからだ。 多数の住民は移住団地に家を作るために借金を抱え込んだ。 農作業をするにしても以前のように村で仕事ができるわけではない。 ある老人は「政府が安く土地を奪った。この近くにその価格の土地はなく、瑞山まで行って農作業をしている」と話した。 毎日往復4時間、農作業をしに出退勤するのは苦役だ。

土地を奪われた住民たちは2年前まで公共勤労で生計を維持した。 平沢支院特別法による一時的な雇用事業だった。 各世帯あたり1人の住民は路上のゴミを拾って草をむしり、100万ウォンほどの金で生計を維持した。 シン・ジョンウォン里長は「15年まで公共勤労事業があったが、事実上私たちの未来を使い果たす事業だった」と話した。 実質的な住民の生計対策ではなく、短期的な生命延長術のようなものだった。 公共勤労事業期間が終わると、住民たちは生計を維持する方法がなかった。 現在、政府は2007年に約束した「平沢支院特別法上、商業用地は8坪を供給する」という生計維持対策さえ守っていない。

去る4月27日の板門店宣言で、朝鮮半島が平和と希望で埋め尽くされたその時。 大秋里の村住民たちはソウルに上京して青瓦台の前に立った。 12年前の政府の約束を守れということだった。 2006年、駐韓米軍基地の移転ですべてを失った彼らの人生もまた、相変らず平和ではなかった。[ワーカーズ43号]

原文(ワーカーズ/チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2018-07-16 10:16:35 / Last modified on 2018-07-16 10:16:36 Copyright: Default

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