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ヨム・ホソク烈士遺体奪取事件の共謀者たち

[サムスン労働者遺体奪取報告書(1)]サムスンが操縦した警察機動隊? ブローカー疑惑も

ユン・ジヨン、キム・ハンジュ記者 2018.04.30 13:19

[出処:サムスン電子サービス支会]

2014年5月17日。 サムスン電子サービス梁山センター分会のヨム・ホソク分会長が江陵海岸道路近くの乗用車から遺体で発見された。 彼は遺書で「私の死で支会の闘争が勝利することを希望する」と伝えた。 自分が見つかったら支会が勝利するまで遺体を安置してくれとも伝えた。 支会が勝利する日に遺体を火葬して、正東津に撒いてほしいという要請も残した。 労組は烈士の遺言を守らなければならなかった。 18日の朝、労組と烈士の父親は江陵医療院に安置された彼の遺体をソウル医療院江南分院に移した。 烈士闘争の開始だった。

だが烈士の遺言は守られなかった。 5月18日から20日まで、延々3日間、烈士の遺体をめぐり追いつ追われつの追撃戦が続いた。 遺体は奪取されて消え、火葬された骨壷もまた痕跡をなくした。 いったい誰が遺体を持ち出したのか、また誰がこの事件に介入したのか、知らない人はいない。 だがこの明らかな真実はあまりに簡単に封印されて埋められた。 そして4年後の今。 ヨム・ホソク烈士がまた世の中に出てきた。 検察がヨム・ホソク烈士遺体奪取事件の真相に手をつけ始めたのだ。 果たして事件の共謀者たちがはるか以前に埋めた真実はまた光を見るのだろうか。 警察とサムスンの癒着と共謀、その真相を探った。

[出処:サムスン電子サービス支会]

共謀者1.警察

1. 5月18日、1次大規模警官投入

5月18日午後6時20分頃。 約300人の3中隊の警察が烈士の遺体が安置されたソウル医療院を襲った。 突然の大規模な警察力投入について、警察側は112に通報があったからだと説明した。 112総合状況室申告録音記録によれば、実際に午後6時10分頃に最初申告を受け付けた。 身元未詳の人物が「労組員に捕まっていて、出られない」と申告し、 警察は「警察官をそちらに送る」と話した。 そしてわずか10分後、「警察官」ではなく警察機動隊300人が現場に投入された。 個人の葬儀手続きに、集団的な衝突や騒乱が起きることもない現場に大規模な警察力を投入するのは異例なことだった。 わずか10分で大規模機動隊を設置して移動して投入するということも不可能に近かった。 その上、身元未詳の人物から112通報があったという理由で警察3中隊が動いたというのも釈然としなかった。

実際に当時、警察は最初の申告者の身元さえ把握していなかった。 事件の約一か月後、当時新政治民主連合(現共に民主党)乙支路委員会は、 非公開懇談会を開いてイ・インソン当時警察庁次長などから事件の報告を受けた。 この席でイ次長は最初の申告者について「ヨム・ホソクの母方のおじと把握している」と明らかにした。 だがヨム・ホソク烈士は実の母親と長い間連絡が切れたまま暮らしており、 実の母親は当時、葬儀の手続きをすべて労組に委任した状態であった。 このような問題提起が出るとイ次長は 「(最初の申告者が継母の兄弟なのか)把握していない」と認めた。 この席で殷秀美(ウン・スミ)前共に民主党議員は 「母方のおじという人が葬儀の手続きをしてはいけないという電話一本で 江南署とソウル庁の警察兵力300余人が投入されるというのは一般的な常識ではなく、 納得できない」と批判した。 警察力3中隊を動かした最初の申告者の身元は4年経った今も五里霧中だ。

当時、ソウル医療院で烈士の遺体を守っていた労組組合員たちは、 突然の警官投入に反発した。 警察は遺体を守ろうとする組合員にペッパースプレーを撃ち、その場で25人を連行した。 当時、葬儀手続きをめぐり労組と意見に差があった父親まで警察側に3回にわたり、撤収要請をしたが、受け入れられなかった。 そして警官投入から1時間35分後の午後7時55分、ヨム・ホソク烈士の遺体奪取に成功した警察は、父親と共に現場から抜け出た。 そして父親は翌日、独自に釜山杏林病院に遺体安置所を整えた。

2. 5月20日、2次大規模警察投入

この日の午前、労組組合員たちはうわさをたよりに捜した末、 午後1時頃に密陽市の公設火葬施設で遺体の火葬が予約されているという事実を確認した。 午前11時30分頃、組合員たちが密陽火葬場に集まった。 実の母親も火葬場に到着し、息子の遺志にしたがって労組が葬儀手続きを進めろと主張した。 だがいくらも経たず、また密陽火葬場に大規模な警察力が駆けつけた。

警察は今回も112通報で警官を投入したと主張した。 慶南地方警察庁112総合状況室の録音記録によれば、その日の午前11時55分、 最初の通報を受け付けた。 通報者の身元は他でもない密陽火葬場の葬儀担当職員だった。 彼は「労組員が家族を出さないように妨害している」と通報し、 警察は今回も「警察官を送る」と話した。 警察2中隊、2梯隊約350人が現場に到着したのは通報から11分後の午後12時6分頃だ。 警察が投入された当時、現場にいた労組の組合員と関係者はせいぜい30人内外であった。

火葬場の職員の電話一本で、10分目に大規模な警察力を投入するというのも現実的に可能ではなかった。 この日の事件でサムスンと警察が事前に遺体奪取を共謀していたのではないかという疑惑が確信に変わった。 当時、張(チャン)ハナ前民主統合党議員が慶南警察庁に提出させた警察力投入現況などによれば、 警察は「112通報を受けて密陽の状況に対応していた警官を配置した」と明らかにした。 当時、密陽送電塔闘争に備えていた警察力を火葬場に配置したという説明だ。 だが密陽送電塔闘争が行われていた所から密陽火葬場までの距離は27km、車で約40分程度かかる距離だ。 わずか11分で現場に到着するのは不可能に近い。 火葬場に真っ先に到着した警察バスは、慶南地方警察庁第1機動隊と昌原中部防犯巡察隊の車両だった。 慶南警察庁第1機動隊があるところから火葬場までの距離は53km、車で約1時間かかる。

パク・チョンファン前張(チャン)ハナ議員室秘書官は当時の状況について 「18日と20日の警察の対応は非正常的だった。 通常112に通報した後に警察が出動するまでの時間は、いくら早くても5分だ。 一つ警察署で集められない大規模な警察力が10分で到着するというのは常識的におかしい」とし 「特に火葬場は、密陽市の郊外にあって近くに行くのも難しい位置であった。 当時、われわれはサムスンと警察の共謀の疑惑を提起したが、警察はずっと『通報で動いた』という言葉を繰り返すだけだった」と説明した。

[出処:サムスン電子サービス支会]

3. 5月20日、骨壷奪取

この日、密陽火葬場では最初の通報の後にも、合計7回の112通報が続いた。 そのうち4件は実の母親と叔母(実の母親の妹)による電話だ。 だが警察は「葬儀手続きを労組に委任しろ」と要求した実の母親の通報には何の対応もしなかった。 警察は18日と20日とも、サムスン側と接触したと言われる父親と共に動いた。 火葬場に警察が配置された後の午後1時40分頃。 警察は支会の組合員にペッパースプレーを無差別散布し始め、 その隙に親父と警察は骨壷を持って火葬場から出た。

事件の後、サムスンと警察の共謀の疑惑を明らかにすべきだという声が高まった。 だが慶南警察庁は「112通報と父親の警察保護要請により警察措置を行い、 遺族と警察は別途に何の合意もなかった」という主張を繰り返した。 ただし、新政治民主連合乙支路委員会との懇談会で警察側は通報が受付られる前から事件に「対応」していたという事実を認めた。 イ・インソン当時警察庁次長は 「初めて江陵市から労組員がたくさん集まるような部分があったことを把握していた。 労組側の主張と部の主張がよく合わない部分があったので、ソウルにくると色々な問題が起きかねないので私たちが代弁をした」と明らかにした。 労組と父親の間に意見の差が発生する前の17日頃から、すでに対立を予想していたということだ。 またイ次長は「対応をしていた」と言及した。

現在、検察はヨム・ホソク烈士遺体奪取事件に関する疑惑を調査している。 この事件に深く介入した警察は、相変らずさまざまな疑惑を解消しないまま言葉を控えている。 当時、事件を指揮した密陽警察署側は 「4年前のことで、担当者がすべて他に発令された」と回答を避けた。 慶南警察庁の関係者は「密陽送電塔のような場合、作戦計画責任者がいるが、 この件は作戦計画でもなく112通報で警察を支援したので、具体的に内容を把握するのは難しい」とし 「該当署で偶発予備隊を運営しているので、地方庁では答えるのは難しい」と明らかにした。

共謀者2. サムスン

1. 5月17日、サムスンが父親と接触

サムスンは遺族が遺体を発見する前から葬儀に介入していた。 「ワーカーズ」が入手した父親と組合員の対話の録音によれば、 2014年5月17日夜、父親が遺体を確認するために釜山から江陵に移動している間、 サムスンは丹陽サービスエリアで父親と接触した。 サービスエリアでサムスン電子サービス梁山センター長は 「労組が葬儀を引き受けると時間がかかる」とし 「私たち(サムスン)が(葬儀を引き受ければ)補償は確実にしてやる。合意してくれ」と話した。 父親は「まず遺体の顔を見てから合意する」とひとまず断った。

2. 5月18日、父親懐柔、遺体の値段6億

サムスン電子サービス支会がソウル医療院江南分院の葬儀場に遺体を安置した5月18日。 労働組合葬に同意した父親が突然家族葬儀を行うと立場を翻意した。 父親はこの日の午前10時頃から1時間40分程席を外し、その後も外部と通話をしたり知人と扉を閉めて長い間話をした。 結局、父親はその日の晩、警察と共に労組を締め出して遺体を釜山に移した。 彼は翌日、労組の組合員に「(初めてソウル医療院葬儀場に行った時に) ヨム・テウォン(当時梁山分会代議員)が人権弁護士に挨拶させた」とし 「『あなた(労組と弁護士)が(葬儀を)終わってから何をしてくれるのか。 そしてそれでいくら残るか?』(と尋ねたが)、何も準備していなかった。これは違う」と話した。 最近、検察はサムスン労組破壊文書捜査でサムスンがヨム・ホソク烈士の労働組合葬を防ぐ目的で父親に2回にわたり、 6億ウォンを渡して懐柔した事実を確認した。

3. 5月18日、遺体奪取

父親が家族葬儀を行うとして、警察を同行してソウル医療院から出る直前。 遺体の霊柩車の運転席近くでサムスン電子サービス共生支援グループのグループ長、チョン某氏の電話番号が書かれたメッセージが発見された。 このメッセージにはサムスン高位職チョン某氏をはじめ、サムスン電子サービス梁山センターのチーム長、 ヒョンジンシーニングのソ某理事の番号も記されていた。 梁山センターはヨム・ホソク烈士が働いていた所で、 ヒョンジンシーニングはサムスン電子サービスと契約を結んだ相助会社だ。

「ワーカーズ」はメッセージにあった本社のチョン某グループ長に数回通話を試みたが、連絡がつかなかった。 その代わりに総務グループのパク某グループ長が「ワーカーズ」側に電話して 「全く知らない」とし「検察で捜査中の事案なので答えられない」と明らかにした。 ヒョンジンシーニングのソ某理事も「私たちの会社がヨム・ホソク故人の葬儀を引き受けた記録はない」と否定しつつ、 サムスン電子サービスと契約を結んでいて、本社役職員の葬儀が発生すれば葬儀サービスを支援すると明らかにした。 葬儀記録を削除できるのかという質問には「保安担当が削除することはできる」と答えた。

18日午後、警察が遺体を奪取した後、労組は遺体霊柩車を追った。 霊柩車は釜山杏林病院葬儀場に向かう予定だった。 労組が杏林病院に到着すると、病院側は予約が取り消されたといった。 労組はソウルから釜山への経路の久瑞ICから半径5km内にあるすべての葬儀場を探して、予約事実を確認した。 この中で釜山山川病院で「ソウルから車両一台が入ってきたが、労組関連の事案」といった。 労組がここで待機していたが車両は入らなかった。 19日午前4時頃には、釜山ヨンナク公園の火葬場に遺体が入ってくるという消息を聞いて移動したが、再び徒労になった。 当時、現場にいた組合員は、ソウルで見た霊柩車がヨンナク公園に入ったが、 労組を見て車を返した証言した。 その間、釜山杏林病院に遺体安置所が作られたが、これも遺体がない「偽物遺体安置所」だった。

4. 5月20日、遺骨を動かした身元未詳の人物

5月20日に遺骨奪取事件が起きた密陽公設火葬場には身元未詳の人物が登場する。 労組の組合員たちが「サムスンのブローカー」と推定している人物だ。 父親周辺の人の中で、労組が唯一身元を把握できない人物でもある。 彼はソウルから父親と同行してきた。 決定的に彼は遺骨を最後に移動させた車両の搭乗者だ。 父親は警察の護衛の下で骨壷を持ってアバンテ車両に搭乗した。 これと同時にスターレックス、SM7車両が同時に動いた。 身元未詳の人物はSM7車両に搭乗した。 この車両は道を案内するかのようにアバンテの前で火葬場を抜け出した。 そしてアバンテ車両に乗っていた父親は慶州ICで骨壷を持ってSM7車両に乗り換えた。 支会が最後に目撃した烈士の遺骸の位置だ。(ワーカーズ42号)

[出処:サムスン電子サービス支会]

原文(ワーカーズ/チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2018-05-14 21:42:36 / Last modified on 2018-05-14 21:42:38 Copyright: Default

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