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フェミニストたちの#MeToo集談会[ワーカーズ・イシュー] 「平凡な人々のMeToo、社会的に発火させろ」
キム・ハンジュ記者 2018.04.06 11:06
▲(左側から)バンダ、イェウォン、チョン・ウニ、ナヨン、チェ・ヒョニ[出処:サゲ] 司会|チョン・ウニ≪ワーカーズ≫ 編集長 私たちの#MeTooチョン・ウニ: 1月29日のソ・ジヒョン検事のMeTooから2か月経った。 MeToo運動は多様なフェミニズムの問題を提起している。 フェミニストたちはMeTooをどう見ているのか、 そしてどのように展望しているのか気になる。 チェ・ヒョニ: 性別二分法が学生の潜在力を抑圧していることを悟り、 フェミニズム教育に関心を持ち始めた。 自我を探索する前に学校が「女」と「男」という性別二分法に閉じ込める。 そして江南駅女嫌殺人事件を通じて、これが単に教育の問題ではなく生存の問題だということを切実に悟った。 「滑り坂理論」などと言われるが、日常の性偏見とささいな性差別が結局強姦と女性殺害に続いている。 二つの両極端は連結している。 教師として位階的な性別二分法の教育的側面にとても悩んできた。 今後もそうだが、その悩みの前提は「女性の安全」の確保だ。 韓国社会で女性は生存さえ保障されない。 爆発すべきことは先に爆発するほうがいいという気がした。 イェウォン: 私はMeToo当事者でもある。 以前から十数年間、被害事実を語ってきた。 しかし誰も聞かなかった。 最近、ソ・ジヒョン検事を始めとする有名人の性暴力事件が表面化したが、 すでにもっと多くの人々が、有名ではない誰かからジェンダー暴力にあってきた。 われわれはみんなこの事実を知っていたが傍観していた。 そんな側面で、現在のMeTooの過程そのものが今まで発言してきた人にとっては、また暴力的に感じられる。 私はMeTooにも属していないという疎外感と自己恥辱感を感じた。 ナヨン: この前「移住女性たちのMeToo」記者会見で、今までのMeToo運動の加害者はほとんどが有名人、権力者だが、 彼女たちの加害者はみんな農場の社長、監督官、工場社長、マッサージ業者社長のような平凡な韓国男だといった。 実際の証言を見れば、舅姑、夫、夫の兄弟など関係を問わずに性暴力が行われた。 彼らが私たちの話も注目されることを願うと話した。 事実、前にもわれわれはずっと話してきた。 ところで最近のMeTooがこのように爆発力を持つようになった「違う感覚」が何なのか考える。 とにかくソ・ジヒョン検事の告発がその契機になったのだが、 過去の被害者の姿が単に「弱い人」や「美人局」の一つだとすれば、 彼女は権力集団に属する権力を持つ人だった。 だから彼女の問題提起は公的領域の問題、社会的問題として受け入れられた傾向がある。 それを見て他の人たちも、もう性暴力を単に「私の問題」だけでなく「社会的な問題」だ言う自信ができたという点は肯定的だ。 だが一方では、公的な領域と考えられない個人の声はまた相対的に萎縮するのではないかという悩みがある。 バンダ: どうして進歩陣営にMeToo暴露が多いのかという話がある。 これは進歩陣営内の女性が性暴力について解釈したり発火する力があるからだ。 過去の進歩陣営のMeTooがこの社会の反性暴力運動において一定の座標をおしてきた。 90年代には運動社会内反性暴力運動があり、それで100人委ができて、 運動社会内に対策委構成の文化と規則が現在まで続いてきた面がある。 その時も加害者が一種の運動社会の「セレブ」である学生会長や権力のある位置に置かれていれば 事件がさらに強調された。 そうした傾向が今も打開されていないのが残念だ。 平凡な人々のMeTooを社会的に発火できるような構造を作ることが重要なようだ。 「すべての性暴力は権力型性暴力」一部の報道機関とインターネットなどでは、MeTooをあざ笑うような方式でバックラッシュをあおっている。 また、権力型性暴力対日常的なハプニングを別に規定したりもする。 その過程で日常での性暴力は消されている感じがする。 チェ・ヒョニ: MeTooに正面から反対して嘲弄するのは難しい雰囲気だ。 そんな人たちもいるにはいるが、そうした考えは明らかに非難されて制止される。 しかし金於俊のようなバックラッシュは巧妙で悪質だと思う。 MeTooの意味が何か、MeTooを通じて社会の構造を省察することがどんなことなのか、 自分がその構造の中でどう服務しているのかを全く理解していない。 ナヨン: すべての性暴力は権力型性暴力という話にならなければならないのに、 今は安熙正(アン・ヒジョン)などの有名人を中心として 加害者は特定の位置と権力を持っていると想像させる。 加害者の位置が多層的に語られ、加害する多様な条件があることを捜し出して連結しなければならない。 権力と階層は物理的、社会的関係だけでなく、自分の選択をできなくする全てだ。 自ら選択をしないようにすることが何か、これから議論されなければならない。 イェウォン: 事件の後、政府は対策を出して動いている。 そうした面で、まるでこの事件が解決しているように見られたりもする。 だが政府は「権力型性暴力」と「一般性暴力」を別々に申告を受け付けたりもして区分している。 結果として、なぜこうした経験が発生したのかではなく、自分たちが理解できる方式で縮小している点が心配だ。 バンダ: 相変らず性暴力を道徳的逸脱の問題にするいろいろな方式が存在する。 そのうち代表的なものが性暴力を「性欲」の問題で置き換えることだ。 女性性と男性性について問わなければ、性暴力に対する理解は貧しくなる。 社会が規定した女性性と男性性が多様に作動して性暴力が発生するということを想定しなければ、問題は解決しない。 この発生構造は、性暴力をしてはいけないという教育だけで解決できるものではない。 女性性、男性性に対する社会的な議論をこれから本格化しなければならない。 進歩運動が進歩できないジェンダー意識自由韓国党は民主党を運動陣営代表格と扱って進歩集団を非難する。 運動陣営の歴史を調べると、進歩も同じだということは一定部分、事実でもある。 バンダ: 2005年頃、市民の新聞のイ某代表の性暴力事件があった。 その後、異例にも運動社会が大規模な対策委を設置した。 同時に加害者庇護が運動社会内で強かった。 その評価と反省が十分になかったと記憶する。 それでも進歩も全く同じだとばかりは言えないのは、 進歩陣営内にはいつも戦うフェミニストがいたからだ。 彼らは今のMeToo運動を含んで、女性の歴史の進展に明確に寄与してきた。 また運動社会の日常を見れば、活動家の相当数が女性であり、 集会では半分、あるいはそれ以上が女性の場合もよくある。 だが組織代表のような主要な地位は相変らずほとんどが男性だ。 運動社会でもジェンダー問題は既存の社会を踏襲して省察しないという問題が大きい。 チェ・ヒョニ: 全教組も同じだ。 教職は女性の方が多いのに、役職を持つ活動家のほとんどは男性だ。 活動家二人が結婚すれば普通、夫は活動家としての経歴を続けるが、妻は消える。 男性活動家が妻の影労働を搾取して組織が回っていくのだ。 しかし大部分の男性活動家はこれをジェンダーの観点から省察できない。 ただ男性たちがより公的で使命感があり、組織に献身すると考える人もいる。 先日開かれた「フェミニスト教師キャンプ」で、教師たちは全教組に加入したかったが、どうせそこも「進歩韓男」がいるから加入を迷ったという告白をしたが、 そんな若いフェミニスト教師たちの情緒を全教組は重視しなければならない。 しかしむしろその内容が全教組の新入生活動集に掲載され、「進歩韓男」という言葉によって一回問題になった。 省察ではなく、進歩韓男という言葉にボタンが押される程度の感受性を持つ組織だということが苦しかった。 前に全教組のある支部長が私を追いかけてきて、女性主義の話が不愉快だとあえて話した。 一時、激しく労働運動をした活動家なので、自分の信念に対する確信と実践に対する自負心があるのは当然だ。 しかし、そうした正義感と確信がフェミニズム的な省察にとっては大きな障壁になるようだ。 こうしたヘゲモニーを転覆させられるのか、苦しい。 全教組は私の事件(フェミニズム教育に対する黒色宣伝)を組織の問題とすることができなかった。 理念が激しい問題をのがしたわけだ。 フェミニズムの問題は今の労働現場の問題だ。 労働運動がこの問題を真剣に受け止めれば、運動の新しい風が吹くだろう。 ナヨン: 最近340ほどの女性、市民社会、労働など各界の団体が集まって 「#MeToo運動と共にする市民行動」を発足させた。 大衆的な発言の場を作りながら、政府政策と社会的な変化を作ると期待する。 さらに反性暴力運動が女性の問題としか認識されないことを警戒することが重要だ。 例えば労働組合がこの問題を議題として受け止め続ければ、 特定の性暴力事件を解決したり予防する次元の役割だけでなく、 労働運動の議題と労働の構造を変えるところまで進まなければならない。 女性組合員の家事労働まで考慮する労働時間、性別化された労働の空間、 賃金格差のようなところまで認識を拡大しなければならない。 こうした形で女性団体、女性政策だけでなく、 さまざまな多様な領域で今までのパラダイムを変える方向に進んでほしい。 社会的弱者の性少数者のMeTooも存在する。現在彼らのMeTooはどうか?ナヨン: 性暴力に対して異性関係を前提にしたり、権力の問題ではなく性欲やエロスの問題として見る認識がある。 反性暴力論理、規律、制度的解決方案もほとんどが異性関係を前提にする。 それで同性関係で性暴力が発生した時は、 加害者と被害者双方が性的指向を立証しなければならない不当な圧力を受けることになり、 被害を受けた時も「被害者も同性愛者で望んでいた」という認識が作用する。 軍刑法92条の6の適用事例のように、同性愛者の被害者と同性愛者ではない加害者がいる時、 被害者の方がさらに不利な立場に追いやられたりもする。 トランスジェンダーであることを知ってセクハラする悪意のケースもある。 性少数者にとっての権力関係は、男性性、女性性の問題だけではなく、 さまざまに異なる方式で作動する。 性少数者社会の中でも性暴力を認知して問題を提起する言語を持つべきだが、そうした言語が足りない。 その上、性少数者に対する差別は同性間の性暴力を公論化することをさらに難しくする。 最近、性少数者団体、コミュニティでもMeTooが提起され、こうした問題意識を共有して省察しつつ、方向を模索している。 性少数者運動もMeTooを契機として性暴力の経験を話し、変えていける言語を見つけていくようになる。 「革命の瞬間、燃料を入れて火をつけろ」フェミニストとして最後にどんなメッセージを伝えたいか? ナヨン: MeTooはキャンドルのように燃え上がって消えていきはしないだろう。 誰でもMeTooを他人の問題と考えず、私のこととして受け入れるのは大きな社会的変化だ。 地下鉄で会ったおばあさん、食堂でおばさんたちもMeTooについて話す。 それだけ認識が広がった。 だが常に制度的な方式で問題が終われば、さらに大きなバックラッシュがやってくる。 6月の地方選挙前後に政府はさまざまな政策を提示するだろうが、 これで終わりにならなければ良い。 単に「加害者をどう措置するか」、「被害者をどう保護するか」ではなく、 社会の根幹を変える流れに行ってほしい。 バンダ: 革命の瞬間を目撃していると複雑な感情がわく。 冷静に言うと、自分を生半可に判官の位置に置いてはいけない。 今、暴露と事件中心の報道があふれるが、記事を読みながら 「これは性暴力、あれは恋愛」、「これは被害者が悪い、あれは加害者が悪い」と 簡単に分類する人たちを見る。 自分が事件を見て、誰にどんな瞬間に感情移入しているのか振り返ってほしい。 MeTooを演芸問題のように消費せず、自分の生活の議題として考える過程が必要だ。 そして暴露する人たちは熱く燃えて消える闘士ではなく、 長い間生きて、世の中を変える戦士として連帯してほしい。 チェ・ヒョニ: 関係のない人はいない。 江南駅殺人事件の後から、教職員会議の時に 「私たちがしばしば使う女の子、男の子という性別二分法的な言葉がまさに犯罪の土壌で、 小さな偏見と固定観念が本質になって、結局極端な犯罪に連結するのであり、 私たち皆がその事件にかかわっている、だからフェミニズムが重要だ」と話したことを思い出す。 学校性教育は性別の概念から始まり、激しい理念の戦場だ。 全教組がこれを先行獲得してほしい。 今、MeToo運動に中立地帯はない。 どこに立つのかを決定しなければならない。 イェウォン: 私たちすべてが積極的あるいは消極的傍観者であった。 この間のフェミパレードの時、ミソプ活動家が 「私たちはつまらない存在で、誰かを引き下ろすこともできない位置で性暴力を受けた。 こうした事件をゴシップネタとして消費する社会で忘れてはいけないことは、 自分の支持基盤であるフェミニストたちが周囲にいるという事実だ。 われわれは今回も生きていく」と言ったことを伝えたい。 私の話を聞いてくれるフェミニストがいるということを忘れずに生き残ろう。[ワーカーズ41号] 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2018-04-28 00:32:22 / Last modified on 2018-04-28 00:32:24 Copyright: Default 世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ | |