本文の先頭へ
韓国:全州で奪還の政治を考える
Home 検索

全州で奪還の政治を考える

[ワーカーズ人権の場所]全国または地域的な、二分法を越えて

ミョンスク(人権活動家) 2018.03.31 11:31

▲全州市庁の近くでタクシー労働者の全額月給制を要求して高空籠城するキム・ジェジュ労働者[出処:サゲ]

散歩しながら見えるようになる場所性がある。 止まっているだけの人には見えない。 さらに正確には、動く者が定住民と遭遇した時に見える。

全州で80年光州抗争を読む

今回の人権旅行の道案内は、全北平和人権連帯のチェミン常任活動家だ。 彼が私たちを連れていってくれたのは、 1980年に全斗煥(チョン・ドゥファン)政権によって犠牲になったイ・セジョン烈士が通っていた全北大学だ。 3月なので新入生イベントがあるのか(訳注:韓国では3月が新入生入学の時期)、 食べ物の屋台に学生たちが集まっている。 てんやわんやの若い笑い声と、ささやきが心臓をときめかせた。 声にかぐわしい春のにおいがする。 躍動感にあふれる学生たちの間を通り、古い学生会館の前で止まった。 4階建ての建物は、全北大にできた新築の建物とは違っていた。 建物の前の地面にイ・セジョン烈士の碑文が打ち込まれている。 なにげなく通り過ぎ去れば、あるかどうかもわからないように、地面に地面のようにある。 彼の遺体が発見されたところだという。

1980年5月18日0時、これまで除外された済州道にまで全国非常戒厳令が出された。 12・12クーデターで権力をにぎった全斗煥新軍部勢力は、民主化運動勢力を急いで鎮圧しようとした。 当時、学生たちも軍部政権の動態を把握して共同行動をした。 イ・セジョン烈士は80年当時、全南北大学連合体の湖南大学総連合会の連絡責任者であった。 5月17日の夜、学生たちは全北大学生会館で座り込みをしていた。 イ・セジョン烈士は宣伝ビラ印刷と配布を担当し、第2学生会館で徹夜作業中だった。 ところが深夜12時が過ぎるとすぐ、戒厳軍がM16小銃と長いこん棒を持って学生会館に押しかけた。 彼は学生たちを起こして待避させたと伝えられる。 その後、建物に入ってきた第7空挺部隊員に追われて屋上にまで行った。 その時に殴られたのか、遺体にはアザが鮮明だった。 頭蓋骨骨折と内蔵破裂が同時に現れたので単純墜落死ではない。 しかし警察は単純墜落死と発表した。

「1学生会館は当時、全北大正門と近かったので、まずここを先に鎮圧したようです。 全国で戒厳状況に抵抗していました。 イ・セジョン烈士は5月抗争の最初の犠牲者でしょう。」

5月の光州抗争は光州だけにあったのではなかった。 戒厳軍への抵抗はあちこちにあったのだ。 だが烈士が光州で亡くなったのではないため、 1994年の民主化抗争犠牲者申請が棄却される迂余曲折を体験しなければならなかった。 1998年10月に光州民主化関連補償審議会で決定され、 翌年4月、烈士の遺体を5・18墓地に移した。

▲全北大[出処:サゲ]

80〜90年代の民主化運動の遺産、壁画

2003年、全北大学校にたてられ追悼碑へと向かった。 私達の目をひきつけたのは、追悼碑の裏の壁画であった。 イ・セジョン広場と呼ばれる所の裏手にある建物には、 東学農民革命の核心人物だった全ボンジュンと、 正面から日本軍と闘う民衆が描かれていた。 斥洋斥倭という壁画は全北地域美術共同体の初の作品だという。 壁画は80〜90年代の民主化運動の時代的な価値を文化的に表現した記録だ。 当時、運動勢力は人々に伝える内容を壁画や懸垂幕の絵などで表現した。 最近では大学が建物の新築に熱を上げ、学生運動が弱まっている状況で、 過去運動圏の痕跡の民衆壁画は見当たらなくなったので、 われわれは歴史的作品に感心し続けた。 「2000年代の初期だけでもとても色あせていたが、数年前にまた作業をしたようだ」と言う。 壁画を見ると、ここの学生運動は今どうなのか気になった。

「過去のような学生政治組織はないと思います。 今は大学内にフェミニズムに対する認識が新しく大きくなって、 フェミニズムの会があります。 性少数者当事者サークルもできました。 4月に性少数者サークルがクィアー文化フェスティバルを地域市民社会に提案して組織委が組まれました。」

独裁政権との戦いが重要だった時期をすぎ、 日常で民主主義を打ちたてる戦いが重要な時代だ。 大学で少数者を差別する家父長制度と戦う新しいサークルができているように。 全州で広がるMeToo運動も、ある日突然出てきた暴露ではなく、下でうごめいていた運動の結果ではないだろうか。

守ろうとする者と奪還しようとする者の競合

そのようにしてイ・セジョン烈士の追悼碑を後にして、次の場所で移動すると、 チェミン活動家がしばらく立ち寄る所を思い出したと言って足を返した。 イ・セジョン烈士の遺体が発見されたところだが、そのそばに立派な漢字が彫られた大きな碑石があった。 1934年、親日派のパク・キスンが全北大近隣に徳津公園をたてた功徳を賛える 「徳津公園之碑」だ。 功徳碑のそばに親日派のパク・キスンと功徳碑を説明する立て札があった。

「私が学校に通っていた時も、これをなくすべきかをめぐり、議論がありました。 親日派の功徳碑が学校にあることが腹が立って、学生たちが功徳碑にタマゴも投げてペンキも投げました。 碑石にペンキの跡も見えるでしょう? 最近は日帝残滓を残して記憶することが重要だと考えます。 歴史の痕跡を消すよりも、どう記憶するかが重要なのですね。 今考えてみれば、これを残したのは学校が上手くやったようです。 前は漢字で書かれていて、この碑が何なのかも知らない人が多かったのですが、 こうして説明をつけると歴史が分かります。 しかし親日派の功徳碑と犠牲になった人(イ・セジョン烈士)の碑が一緒にあるので妙な感じですね。」

彼の話を聞きながら考えた。 あるいはここには親日派と抵抗の場所が共存するというよりも、 学生たちが既得権の場所を「抵抗の場所」として奪還したのではないか。 場所は権力闘争の場として占拠されたり、奪還されたりもしながら変化する。 そうして時間の歴史が重なり、場所ができる。 そういえば、全州市全体がこうした奪還の政治を見せる場所のようだった。 太祖李成桂の御真を祀った慶基殿がある全州は、朝鮮王朝の堅実さを象徴する場所だ。 ところで1894年1月、朝鮮の良民を搾取する貴族勢力をはね除けるために、 全ボンジュン、孫華仲、金開男などが大規模農民軍を組織して古阜で蜂起した。 農民軍の綱領には「倭人を追い出して国の政治を正す。 軍事力で権力を享受してきた人々をなくす」とある。 5月31日、豊南門で会った東学軍と官軍は、軍事行動を中止して大改革を推進するという内容で合意した。 東学農民軍が全州城を占領し、全州和約を受けたのだ。

「全州第一城」という表札がある豊南門は、多くの観光客が訪れる韓屋マウルの近くにある。 全州城の痕跡が残る豊南門に行くと、東学軍に対する説明も、全州和約の説明もなかった。 ただ建築様式についての説明と美しい巡礼路の地図だけがぽつんと立っている。 奪還の政治を表わしていない立て札が残念だった。

それをなだめるかのように、反対側に数年前、新しく作られた豊南門広場には少女像があった。 2015年に設置された少女像にある立て札を見ながら、人々が日本軍慰安婦問題について話していた。 その上、ここで4月7日に全州初のクィアー文化フェスティバルが開かれるというので、 まだ既得権から場所を奪還する政治は終わらないんだなと思った。 こうした動きは全州国際映画祭と韓屋マウル、韓食など、 ただの観光商品や文化だけで知られるここのイメージを脱却させていた。 全州で息をしながら、差別に抵抗する人々の場所にしていくようで、 また胸が膨らむ。

[出処:サゲ]

空を占拠したタクシー労働者

われわれは全州市庁の近くでタクシー労働者の全額月給制を要求しながら高空籠城をしているキム・ジェジュ氏のところに行った。 市庁広場に近い高さ25mの空の上に鳥の巣のように四角い箱が浮かんでいた。 ジャングルの中の木の上にかかった小屋のようだった。 それと違うのは、広場に近いので開かれているという点と、 ジャングルの中の小屋のように自由に上がったり下りることができないという点だ。 私たちが行った日はキム・ジェジュ氏が高空籠城を始めて200日になる日だった。 彼は狭い空間で動くこともできないまま、寒さに耐えなければならなかった。 それでも私たちが到着すると、彼はお客さんを迎えると言って顔を出して手を振った。

キム・ジェジュ氏の座り込みを支援しているテントに行った。 座込者たちがかけた横断幕が風にひらひらと動いていた。 「社納金制廃止、全額管理制、月給制争奪」 タクシー解雇者コ・ビョンジュ氏に事情を聞いた。

「全州市長が約束を守らないのでキム・ジェジュ同志が上がりました。 二回目の高空籠城です。 タクシー労働者たちは社納金を払えば手取りがありません。 30万ウォン、50万ウォンの場合が多いです。 それでどうして生活できますか。 2014年に403日のテント闘争を行い、全州市が全額管理制施行のための用役を任せました。 用役の結果を基礎に2017年1月1日から法令に準じる全額管理制施行を約束しましたが、 運輸会社云々と言って守っていません」。

彼が話した法令は、1997年の旅客自動車運輸事業法をいう。 全額管理制が法に明示されているが、社納金制度のおかげで詰まった。 結局またキム・ジェジュ氏は空を占拠することを選ぶほかはなかった。 2017年9月の明け方、引越荷物センターの車を動員して1坪の四角型の小屋を準備して上がった。 今の空の座込場はちょっと大きい。 とても狭くて、後でプラント労働者たちの助けを受けてまた作った。 われわれは3月31日に希望バスに乗ってくると約束した。 ファインテックをはじめとする高空籠城労働者たちが空を選んだのは、 韓国のどこにも労働者が足を踏む場所がないという叫びなのか、 あるいは空から不正な土地を占拠しようとする戦略なのか。

▲全州市庁[出処:サゲ]

▲イ・ビョンニョル烈士焼身場所[出処:サゲ]

全州中央市場の前で会った2008キャンドル

全州市庁を出て中央市場に行くと、2008年にキャンドル集会が開かれた場所がある。 広場ではないが、市場なので流動人口が多く、よく集会が開かれる所だ。 中央市場の入口の反対側の歩道で労働者イ・ビョンニョル氏がBSEの疑いがある米国産牛肉輸入に反対して焼身した。 誰もいない明け方だった。 病院に運ばれたが16日目の6月9日に結局彼は亡くなった。 全国各地に市民の健康を威嚇する牛肉輸入に反対する集会があり、 全州も他の所と同じように2008年5月3日から高校生と中学生がまず道路に出てきた。 全州で全国の怒った市民と学生がすぐに見られた。 政治的な主体として立ち上がった彼らが作り出した場所は、 大韓民国それ自体ではないだろうか。 このように、場所は主導者によって、地域の境界を象徴的にはるかに超えている。[ワーカーズ41号]

原文(ワーカーズ/チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2018-04-27 11:35:42 / Last modified on 2018-04-27 11:39:07 Copyright: Default

関連記事キーワード



世界のニュース | 韓国のニュース | 上の階層へ
このページの先頭に戻る

レイバーネット日本 / このサイトに関する連絡は <staff@labornetjp.org> 宛にお願いします。 サイトの記事利用について